ふと思い出した事があった。
数年前、長男の担任だった小学校の先生は、『起立、礼、着席』をしない方針だった。
チャイムさえ要らないという考えで、みんなが揃って席に着くと授業が始まり、なんとなく終わる。
先生の意図がわからないので、懇談の時に聞いてみた。
「先生に礼をする時間がもったいない」とか「生徒の自主性を尊重したい」とか、そんな理由だった気がする。
この先生はなにやらそういう思想の団体に参加しているらしく、全く保護者からの意見に耳を貸さなかった。
多分、先生は偉くないので、そんな先生に礼などしなくていい、(そういえば1段高くなった教壇に乗るのもなるべく避けていたらしい)そんな考えなんだろう。
今思うと、この先生は、自分の教師という職業に誇りを持っていないのだろうか?
自分ひとりに礼をしていると思っていたのだろうか?
起立からの一連の号令は、「今から授業を始めます、先生よろしくお願いします。そしてこうして授業を受けられる事に感謝し、すべての関わった方々にも感謝します。」の意味があって、頭を下げてキッチリとけじめをつけて授業を始めるためのものだと思う。
先生の後ろにもたくさんの感謝すべき人々が居るのだ。
それに、このときは次男はまだ小さかったのだが、もし次男のような子ども達には、「空気を読んで着席し、教科書を開く」なんて至難の業だったろう。
平等でいたいと言う考えが、逆に傲慢さを押し付けていた。
今、あの先生はどうしているだろう?(今は居ません)
次男の担任でなくてよかったとつくづく思う・・・。