先方の実家にごあいさつ。


に行く前に、せねばならないことがあります。


それは、自分の親への報告。



なんというか。


気恥ずかしさもあり、今まで恋愛については心配かけたこともあり、

親には「もうこいつはずっとひとりものかも」と思われていた状態。


とても報告しづらい……。



しかし報告もなしに、先方にごあいさつに行ってしまうのもどうなのよ。


なんとかして、9月連休の前には親に報告しておかないとなりません。


進学の時みたいにもめるわけにいかない。


ここんとこが正念場! という気合でした。



気になるポイントは、親に反対されるかどうか。


私が幼い頃に、お母さんからだんなになる人の条件が出ていました。

もちろん、冗談です。

失礼なこともありますが、なにぶん、娘を持った母としての希望ということでご容赦ください。


ひとつ。

理系の頭を持っていること。


お母さんは文系です。
かなり偏った文系脳をお持ちです。

そのことがコンプレックスになっています。


いろいろ考えた結果、徐々にその血を薄めていこうと計画。

お見合い結婚したお父さんは立派な理系人間でした。


しかし、生まれた娘は二人とも立派な文系脳。


お母さんごめんね。
公文式で数列を解くまでは得意だったんだけどね。
おほほほほ。




ふたつ。

頭髪のうすい家系でないこと。


お父さんはふさふさ→白髪系でした。

女性にはあまり縁のないことなのですが
男の孫が生まれて、生え際うすくなってきたらイヤー!

女性らしい、希望かと思われます。



みっつ。

長男でないこと。


長男に嫁ぐと、大変だから。

同居、遺産相続なんかの問題で嫁姑戦争が起こるかもしれない。

家を継いだりとか、責任重大になってしまうかもしれない。


娘にややこしいことを背負わせたくない。

つーか、こっちに問題持ってこないで。


そこが本音か、お母さんよ。




他にもちょこちょこあったと思いますが、はっきり覚えているのはこの三つ。


見目が良いことより、中身が肝心、というお母さん。

でも、「お父さんはカッコイイ顔(はーと)」と公言してはばからない。

お母さんの中では見目も大事なポイントなのでしょう。




お父さんから出ていた条件は、とっても大幅なものでした。


「お母さんが満足する相手であること」
「結婚してしあわせになってくれること」


この中に、細かい条件だとか、きちんと働いていることだとかが含まれているわけです。



はてさて、センセイはお父さんお母さんのお眼鏡にかなうのか……?

家を出たとき、ちょうど20歳。



やりたいことがあって、
自由にやってみたかった。

自立した大人に早くなりたかった。


全部、親におんぶにだっこ。

引越しの準備も、敷金礼金も、家電なんかもみんな親に支度してもらいました。


全然、いけてねーよこの人。



自力ではひとり立ちできないクセに、なんでひとり暮らしをしようと思ったのか?


その理由の最も大きなものは
地元で就職しなかったから。


地元には働き口なんてろくすっぽありません。

特に私が希望する、「企画」「デザイン」は、かーなーりー遠くに行かないとムリ。


なので、遠慮なく、住み慣れた大阪に拠点をしぼり、就職活動にいそしみました。



ちょうど、バブルが弾け、最初の就職難の年。


ろくすっぽ就職活動もせず、めでたく初夏に内定が降りてました。


勝因は、最初から高望みしなかったこと。


大手はムリだとわかっていたので
最初からガン無視。


就職できそうなところにとにかくアタックをかけていく、
闇雲作戦でした。


成功してしまったのが怖ろしい、無鉄砲な作戦……



あの時、就職できなかったら

フリーター→辞める→短期バイトを繰り返す→そのうち引きこもりに。

そんな道を一直線に進んでいたはず。


なんだかよくわからない会社だけども、ちゃんと自社ビルを大阪の中心地に構えているとこに入社してくれた。


お母さんの喜びも、今になってよくわかります。


そんなわけで、都会で就職した娘を親は喜んでひとり立ちさせてくれたのでした。


借金こそしなかったものの、大変によろしくない暮らし振りを数年後に披露。
自分があかん人間だと思いしらされました……。


親には心配と迷惑をいっぱいいっぱいかけてしまいました。


その分、いっぱいいっぱいいっぱい怒られたことは一生忘れられないよママン。



結婚するときに、すぐにお母さんのことを考えたのはなぜなんだろう。


安心、させたかった。
のだと思います。


なんだかふらふらしてて
理解不能で
バカ丸だしで
どうしようもない娘で
迷惑かけどおしなんだけど


これではじめて、恩返しできる。


そんな気持ちがありました。




結婚の報告をした時。


式の打ち合わせで、あれこれ連絡した時。


両家顔あわせの時。


なにより結婚式の当日。




お母さんの、明るい笑顔がなによりのごほうびでした。


当時のお母さんは、まだ入院や投薬で身体しんどい時期だったはずなのですが
誰からもそんなふうに見えないはしゃぎぶりでした。



まだまだ、たくさん恩が残っていて、返していくのが大変です。



どうも、わたしの中にひとつの概念があるようです。


女として、娘として生まれた以上

結婚して
子供産んで
ひとりだちできるまで育てる。


親にもらったものを次に送る。


そこまでやって、はじめて恩返し完了。


その先からがやっと自立としてやっていくこと。



そんなふうに、今考えてる自分がいて新鮮です。


ほんの少し前まで、全然ちがう価値観の中で生きてました。


自分の中にそんな概念があったこと自体、自身が一番おどろきです。



残念ながら孫を抱かせてあげられるのはだいぶ先の話になりそうですが、


少しずつ、
うれしいニュースが報告できたらと思ってます。




その時は、お母さんに笑ってほしい。


それが一番のごほうびだから。

姉はとても優等生でした。


その反動なのか

私はといえば
もー手のかかる悪ガキでした。



女の子らしくなくて、ナマイキで乱暴。
やりたいことしかやらない気質。
算数100点社会0点、といった感じ。


これは今でも名残が。
やりたいことしか、やりたくないんだもーん。



ともだちは多いほう。
でも、えらそう。
気が強くて傍若無人でした。

そしていたずら大好き。


休日の学校にしのびこんではチョークちょろまかしたり
ピンポンダッシュに精を出したりしてました。


なによりもお母さんの頭を抱えさせたのは、私の万引き。
それにともなう嘘つき。


漫画や文房具を、毎日のようにくすねてました。


「スリルが楽しかったんだね」
と大人たちに理由をつけられました。


違う。

スリルもあったのかもしれないけど、なんだか訳のわからないエネルギーが自分の中にあって

どうやって発散させたらいいのかわからなかったんです。


でも子供の私はそんな自分を分析することもできず
ちゃんと説明することもできず……



「自分の中に、強い衝動がある」
ことを、周りの大人に伝えることがないまま、育ってしまいました。


大きくなってからは、口論が絶えなかった。

お母さんが納得いくような進路を選べなかったことが原因です。



なんで私が自分で真剣に選んだことに文句ばかりいうのかわかんない。


ケンカしても、翌朝は起こしてくれてごはんも作ってくれてた。


なんでそんなことができるのかわかんない。



お母さんにしてみれば、


なんで普通に進学したり勤めたりできないのか
本気だというならその本気の分、努力しないのかわからない。


朝起こせば学校に行くしちゃんとごはんも食べて行く。


なにをしたいのか、わからない。



そんな風に心がすれ違ったまま、学生時代を経て、私は家を出ました。

お母さん。


小さい頃から、近しい存在だった。

不思議。

大好きで大嫌い。


小さい頃のお母さんの印象は


こまかくて、怖い


でした。




家事ばっちり専業主婦だったお母さん。


学校のイベントをプリント渡す前から把握してるのです。


他のお母さんとそんなに仲良くしてるようすはない。


なんで知っているのかわからなくて、とても怖かった。


遠足とか授業参観とか、本人が忘れていてもきっちり用意してくれていて。


ありがたいことなのですが、子供心に怖かった。


今なら、学校行事を知る方法なんていくとおりもあることわかるんですけどね。



いや、でも忘れちゃうだろうな私…。


手帳も持ってなかったお母さん。
やっぱりおそろしい。



専業主婦の意地だったのか
家事も家計のやりくりも、隙のない母でした。


多分、良妻賢母というレベルじゃないんだと思いますが、


私から見ると、末恐ろしい……
(単に私のレベルが低すぎるということなのでは(汗))


外食は基本的になし。


おかげさまでマクドナルドにはじめて入ったのが高校生の時さ…。


ファミレスは短大時代かな? 高校だったかな?


家族でレストランに入ること自体が稀で、ファミレスは父がいやがったので、この有様。



小学校低学年のころまで、母のてづくりの服を持っていました。


全部てづくりというわけじゃいけど、印象に残っている服はほとんどが母の手によるもの。


洋裁が趣味、というわけではなかったようなのでびっくりです。


今聞くと、あの当時、母本人は眠くてしかたなかったらしい。

昼寝しまくっていたそうです。
うぬれ、うらやましい……。

さてさて、あれから数ヶ月。


ぜんぜん衰える様子のないらぶらぶっぷりです。

それはもう、当人同士が驚くほど。




もともと6年以上も友達だったんだし。


素行どころか過去の悪事もほどよくバレてた仲だったし。


もちろん、友達時代と恋人時代では見せ合える顔がちがうけれど、

悪い部分をみせあってもだいじょうぶだという安心感がありました。



とにかく一緒にいたい。


数日会えないと、電話代がかかってしかたない。


今ならそんなこと気にしなくてもいいのに。


同じ会社の携帯電話間は無料だとか
専用の携帯電話間は無料だとか

長電話し放題。

うらやましい限りです。


あの頃は、ケイタイ代の明細を見るのがとても怖かった……。


お互いの家に行っては、泊まろうか帰ろうか悩む日々。


もー、一緒に住んでしまえば解決するのにー!




だいじょうぶだよ、これだけ一緒にいてもケンカひとつしやしないんだから。


結婚して起こる問題は、ふたりで協力して解決していけばいいんだし。


いろいろなこと、考えてはみましたが



やっぱり結婚しちゃおう! 



ということになりました。





さて、それでは。
結婚するための、準備にとりかかりましょう。


まずは
両家にごあいさつ。



私の実家は、電車で片道二時間くらい。

センセイの実家は、電車で片道三時間くらい。


距離的にはセンセイの実家の方が離れてるのですが、
特急が止まるためかなり便利なのです。


どちらも、日帰りできないことはない。


ないのに。


なぜか、アタリマエのようにセンセイの実家宅に一泊することになっていました。


初めてのごあいさつなのに
いきなり泊まり(>_<)



なに着ていけばいいの?
普通の旅行用の荷造りでよいの?
手土産は何がよいの?


ごあいさつに行くのはそれからひと月くらい後。


その間ずっと、考えるたびにおたおたあわあわしてました。


仕事ではなんとかつくろえる体裁が
結婚のごあいさつとなれば自信がない……


今思えば、ネット環境はととのっていたのだから
まじめに検索かけて調べればよかったのですね。

親切なサイトやブログがたくさんあるのだから。


ちなみに結婚情報誌を買って、読んではみたところ……


得られた情報→・式場は、たくさんある。

          ・お値段は、下見にいって見積もってもらうまでわからない。


得られなかった情報→・生の声。

               (ここが良かった! とか、これはマズイよね、とか)


分厚いページの大半は広告ページです。

きれいな式場の写真が見れて、夢はふくらむ。

けれど、現実的なことがわからない……


そりゃそうですよ。

私が読むべき本は月間情報誌じゃなくて、結婚式のマニュアルなんだから。

マニュアルも本屋で並んでたのに、なんで情報誌買っちゃったんだろう。


CMに踊らされてるなあ……。



生の声は、サイトやブログを参考にするのがオススメです!

お金かかんないし。


いろんなサイトを見に行くのが、コツだと思います。


地域差とか個人差とか、お国柄とか
とにかくいろんなところで幅広~~い差があります。


人によって、いい悪いの差が激しいので、オススメは敢えて省かせていただきますね。


「結婚」「準備」「マナー」なんかで、たくさん出てきます。

もちろん、式場やお値段なんかの情報サイトもたくさんあります。


時間をかけて、ゆっくり捜してみてくださいね~。

実際のプロポーズは、後日、いろんなことがひと段落した時にもらいました。



けっこうさらっと言われてしまった記憶……


インパクトがあまりなくって、


この日にもらった言葉がプロポーズなんだ!
と勝手に決めては

センセイをがっくりさせたりしています。



プロポーズというのは、とてもうれしい贈り物です。


とても大きな花束のイメージ。



私にとってのプロポーズは、このホテルのくまさんのイメージがかぶっています。

ふかふかで、おおきくて、やさしい。

そしてサプライズ。


しあわせな夜でした。



この日から、人生が一定の方向に向かって
どんどん加速していくことになります。


さあ、はじまる波乱万丈の結婚準備!


あったかホテルで、ひとごこち。


ようやくご飯も食べて、おちついたところで。




眠る前に、お風呂。

熱いお風呂を入れたものの

ふたりでぐにゃぐにゃぐふざけている間にすっかり冷めてしまいました。


なんだかぬるーい。


いい大人なんだから、ふざけるのも大概にしましょう。
反省。



ぬるいお風呂にゆっくりつかりながら

いろいろセンセイと話し始めてしまいました。


そして長話。


だから、もうすでに風呂ぬるいっつーのに。




一緒にいたい。
できれば、一緒に暮らしたい。
すぐにでも。


ふたりとも親元はなれたひとり暮らし。


一緒にいたい気持ちを優先しているうちに
ずるずるーっと一緒に暮らしてしまいそうな予感、満載です。



でもそんな風にずるずるして
なんだか馴れ合いのうちに大事なものが磨耗していきそうで
なんだかイヤだなぁ……


とか考えていました。



長すぎる春は、良いことなんてないのです。

三島由紀夫先生も作品にまでしています。

力説。



「同棲するならさ」
「親にもちゃんと報告したい」
「結婚を前提のおつきあいをしたい」


センセイが、そう切り出しました。


そうです。

わたしたちふたりとも、もーいい年なのです。


同年代の知人には、すでに小学生のこどもがいるのです。



結婚。


漠然と考えていましたが、

特に母の病気のことがあって
なんだかだいぶリアルに感じられていた言葉ですが。


ここにきて、やっと目前に姿をあらわしたような気がしました。



センセイ。


この人と、結婚。


一緒に暮らして
子供を育てて
年を重ねて
年金をもらう。


楽しいことも
苦しいことも
一緒に背負っていく。



できるだろうか?


でも、センセイとできなければ
もう誰ともできない気がする。



こんなに、こんなになつかしいのだもの。



「結婚を前提とするからには、期限を決めたほうがいいと思う」
「三年? 一年? 半年w?」


三年は長いなぁ。
半年は短いなぁ。
でも、早く一緒に暮らしたいなぁ。


結局、半年になりました。

短っ。


半年から一年くらいで考えておけば、なんのかんので準備が遅れて一年から一年半ごろに結婚することになるだろう。


そんな読みでした。



ここから結婚の秒読みカウントダウン。

さあ、ふたりで幸せに向かってレッツラゴウ。


そんな浮かれたお話がまとまった頃、
すっかりお風呂は冷えきっていましたとさ。

ガソリンいれてほっとした私たち。


そんじゃま帰りましょう。

となったのはいいのですが。


もうかなりの深夜っぷりでした。




眠いよね。
おなかすいたよね。
センセイ、一日運転しっぱなしだよね。
お疲れピークですねさては。


センセイの横顔にテイルランプが当たってミッドナイトランデブー。


違う。

そんなちょっと古めの歌にありそうなロマンティックは横に置いて。



目の下にクマができています。
疲れきっとるがな。


せっかく無事に車が動き出したのに、帰り道事故ったりしたらシャレになんないよね。


とりあえず町の方向に走りながら、今夜のお宿をさがすことにしました。



しかしながら、かなりの山奥……


おしゃれできれいなホテルを希望。

だってつきあいだして間がないらぶらぶ期間なんだもの。


そんな贅沢いってられる場合ではありません。

しかし、普通のホテルや民宿に泊まれるはずもない。

だってもう午前0時まわってるんだよぅ。

そんなとこは受け付けてくれないよぅ。


というか、普通のホテルや民宿がみつからない。




だいぶ町明かりが近くに見え出したころ、ようやっといくつか泊まれそうなところがみつかりました。


高速道路の降り口あたり。

どうやら、こういった場所にホテルが密集しているらしいです。


デートして、ドライブして、
帰るの遅くなった二人をお迎えするためなのでしょうか。



私としては、もー眠れたらどこでもいい……
という気持ちでしたが


センセイとしては、そうはいかない。


せっかくのらぶらぶデートのしめくくり。

できるだけマシなホテルで、ゆったりらぶらぶ眠りたい。



いくつかのホテルをスルーして、「ここ!」という看板がみあたらず……


最初のうちにスルーしたところに飛び込みました。



部屋はほとんどうまっています。


この時間で空いてなければ、みんなお泊りのはず。

ということは、夜明けまで空かない。



他のホテルをさがすしかありません。


とりあえず、下の方の値段適当な部屋を選んで入りました。



高っ……!

お泊り料金を見て、叫びました。

うーん、軽く二週間近く食べられそうなお値段です。


でも他のホテルも、同じようなお値段だと思う。



腹をくくって、入ってみたお部屋は


なんと、大当たりでした!



部屋に入ってまず目に入ったのが
大きなクマのぬいぐるみ。
等身大です。

これがまた、ふっかふか~。


しかもけっこう念入りに手入れされていて、汚れがないのです。


こんなところのぬいぐるみは、お化粧ばっちりのお嬢様&お姉様たちにたっぷりほおずりされているはずなのですが

そんな油汚れはナッシング。


経営者の気迫がうかがえる一品でした。



部屋の中には、でっかいテレビ。

24時間OKのオーダー有り。

しかもなぜか乗馬あんま有り。

そしてふとんはふっかふか。



そりゃ高いわけだわ~。
納得の価格です。

すごい贅沢な気分になりました。

覚悟を決めてから走ることだいぶ。


ガソリンの残量はもうEからかなりマイナス。


E以上の目盛はないのですが
目盛二つ分はへこんでました。


もう今にも「ぷすん」とかいって車とまっちゃいそうです。




すでにエンジンの音もちがってきてます。




あはははははもーあかんて!


しかしながら我らが愛車は、限界まで走ってくれたのでした。



あったよ。
ありましたよ!

24時間営業のセルフガソスタが。



ぱかーんとだだっぴろいガソスタ。


誘蛾灯に誘われた蛾よろしく、
トラックの運転手さんたちが集まってました。


あの安堵感。
忘れようにも忘れられない。


ああ、明るいってすばらしい。
たっぷりガソリンってすばらしい。


満タンにした車は、ご機嫌そうはなエンジン音をあげました。


おつかれさま。


思えばこのときからずっと、この車は私を守ってくれたのでした。




ぐしゃぐしゃになる、最後のときまで。

時計をみれば七時半。


繰り返し書きますが
車運転しない私はガソスタの営業時間をわかってなかった。


ちょっと閉まるの早くないかしら。
この辺田舎だから早いのかな。

(失礼な……)




その後、いくつかガソスタをみつけましたが
そのすべてが閉まっている。


いまだに不思議なのですが、あのあたりってトラックとかわりと走る道なのです。


みんなどうやってしのいでるんだろう?



さがしまわっているうちに、とうとうガソリン残量がEまでいってしまいました。



もー必至。



いくつかガソスタをみつけても
みんな閉まってる。


日は完全におちて真っ暗になったし

寒くなってきてるし

おなか減りすぎ…




そうです。


走りまわるうち、私たちはいつのまにか道路と草地しかないところに迷いこんでいたのです。


食べるとこどころか民家も稀。



どうしようどうしようどうしよう。

かなりハイになってきました。


どうしようどうしようどうしよう。

どーもこーもないがな。

最悪車中で一泊のこころづもりが要るがな。



だいじょうぶ水だけは自販機があるし
冬場じゃないから凍死もない。


JAFがくるまで何時間でも待ちましょう!


「…ごめんな。怒ってへん? 愛想ついてへん?」

おそるおそる問うセンセイ。



怒ってません。
ホントですとも。


だって助手席乗ってて注意してなかった私も悪い。

センセイの予測に余裕がないことはよく知ってて
尚、注意しなかった私が悪い。


開き直るしかないのだ。


センセイと一緒にいるということは、こんなピンチはアタリマエなのだ。


わかってたじゃん最初から。



覚悟は決まってけれど、
内心冷や汗ものでした。


こんなことで、いやな思い出つくりたくないな。

どうにかして楽しい笑い話にしないとな。


ぶじ家に帰れたら、なにか楽しいことしよう。


なにしようなにしようなにしよう。



けっこういっぱいいっぱいでした。