家を出たとき、ちょうど20歳。



やりたいことがあって、
自由にやってみたかった。

自立した大人に早くなりたかった。


全部、親におんぶにだっこ。

引越しの準備も、敷金礼金も、家電なんかもみんな親に支度してもらいました。


全然、いけてねーよこの人。



自力ではひとり立ちできないクセに、なんでひとり暮らしをしようと思ったのか?


その理由の最も大きなものは
地元で就職しなかったから。


地元には働き口なんてろくすっぽありません。

特に私が希望する、「企画」「デザイン」は、かーなーりー遠くに行かないとムリ。


なので、遠慮なく、住み慣れた大阪に拠点をしぼり、就職活動にいそしみました。



ちょうど、バブルが弾け、最初の就職難の年。


ろくすっぽ就職活動もせず、めでたく初夏に内定が降りてました。


勝因は、最初から高望みしなかったこと。


大手はムリだとわかっていたので
最初からガン無視。


就職できそうなところにとにかくアタックをかけていく、
闇雲作戦でした。


成功してしまったのが怖ろしい、無鉄砲な作戦……



あの時、就職できなかったら

フリーター→辞める→短期バイトを繰り返す→そのうち引きこもりに。

そんな道を一直線に進んでいたはず。


なんだかよくわからない会社だけども、ちゃんと自社ビルを大阪の中心地に構えているとこに入社してくれた。


お母さんの喜びも、今になってよくわかります。


そんなわけで、都会で就職した娘を親は喜んでひとり立ちさせてくれたのでした。


借金こそしなかったものの、大変によろしくない暮らし振りを数年後に披露。
自分があかん人間だと思いしらされました……。


親には心配と迷惑をいっぱいいっぱいかけてしまいました。


その分、いっぱいいっぱいいっぱい怒られたことは一生忘れられないよママン。



結婚するときに、すぐにお母さんのことを考えたのはなぜなんだろう。


安心、させたかった。
のだと思います。


なんだかふらふらしてて
理解不能で
バカ丸だしで
どうしようもない娘で
迷惑かけどおしなんだけど


これではじめて、恩返しできる。


そんな気持ちがありました。




結婚の報告をした時。


式の打ち合わせで、あれこれ連絡した時。


両家顔あわせの時。


なにより結婚式の当日。




お母さんの、明るい笑顔がなによりのごほうびでした。


当時のお母さんは、まだ入院や投薬で身体しんどい時期だったはずなのですが
誰からもそんなふうに見えないはしゃぎぶりでした。



まだまだ、たくさん恩が残っていて、返していくのが大変です。



どうも、わたしの中にひとつの概念があるようです。


女として、娘として生まれた以上

結婚して
子供産んで
ひとりだちできるまで育てる。


親にもらったものを次に送る。


そこまでやって、はじめて恩返し完了。


その先からがやっと自立としてやっていくこと。



そんなふうに、今考えてる自分がいて新鮮です。


ほんの少し前まで、全然ちがう価値観の中で生きてました。


自分の中にそんな概念があったこと自体、自身が一番おどろきです。



残念ながら孫を抱かせてあげられるのはだいぶ先の話になりそうですが、


少しずつ、
うれしいニュースが報告できたらと思ってます。




その時は、お母さんに笑ってほしい。


それが一番のごほうびだから。