こんばんは
今日も大河ドラマ「光る君へ」の話題です
今日は直秀と散楽のみなさんについて書いていこうと思います
直秀を含めた散楽の一座は、風刺とアクロバットで
庶民を楽しませる傍ら、盗賊として倫子の暮らす
左大臣の邸や、内裏にまで侵入して盗みを行っています
ついには道長の暮らす東三条の邸に盗みに入って
捕まってしまいました
度々盗みに入っていた割には、みなさん質素な衣服を身につけていて
暮らしていた家も質素で、あまり裕福そうには見えないですよね
盗んだものを河原に置いて、貧しい人に与えていたようですし、
貴族から盗んだ金品を庶民に分け与える「義賊」なんでしょうか
まずは、簡単に義賊について調べていきます
義賊とは、「金持ちから金品を盗み、それを貧民に分け与える、
義侠心 (ぎきょうしん・正義のために弱い者を助けようとする心) のある盗賊。」
ということだそうです(goo辞書より)。
日本で義賊というと、石川五右衛門や鼠小僧が思い浮かびますね
鼠小僧は、滝沢秀明さん主演でNHKの時代劇にもなっていましたね
といっても、この2人は江戸時代の人物です
では、平安時代にいた盗賊にはどんな人がいるかというと、
代表的な人に藤原保輔(ふじわらのやすすけ)という人がいます
名前からも分かる通り、藤原氏の一員で貴族でもあります
兄は藤原斉明という人で、武人として有名です
藤原保輔は、貴族に生まれながら傷害事件に殺人の計画、殺人事件、
更に強盗団の首領となり15回もの追討の宣旨を受けました
「追討の宣旨」とは天皇から追手を差し向けて討伐せよと
命令が下ったということです
更に、討ち取った者には恩賞を与えるという発表もされました
まさに、平安時代の大悪党です
彼は、日本最古の切腹を行った人物とも言われています
いよいよ逮捕されるというときに、最後の抵抗として
自分で腹を刀で切り、腸を自ら引き摺り出したと言われています
そして翌日、獄中で亡くなりました
私が9話で臓物が出ていないか心配したのはこれです
また後年、平安時代の伝説の盗賊「袴垂(はかまだれ)」と
同一人物とされるようになり、袴垂保輔として
知られるようになりましたが、現在では別人と
する説が有力なようです
袴垂は「今昔物語集」「宇治拾遺物語」に記載があり、
古典の教科書に採用されているらしいので、
学生時代に勉強した人も多いかもしれません
残念ながら、私は習わなかったです …多分
エピソードを読みましたが、内容は特にドラマとは
関係なさそうでした
散楽の一座の座頭さんの名前が、保輔を逆さにした
「輔保」というお名前なので、モデルになったのは
間違いないんじゃないかなと思っています
次に、私が気になったのは盗品の行方です
藤原実資の日記「小右記」の中に内裏に盗賊が入った
という記述があるのですが、そこの解説に
「宮中の深奥にまで盗人が侵入できるというのは、
(中略)、宮中に出入りすることのできる人物の犯行
ということになる」と書いてあり、更に
「高貴な盗品を使用することのできる階層は限られて
いて、それを換金できる場も限られている。
高価な盗品であればあるほど、すぐに足がついてしまう。」
最後に「まさか自分(やその妻)がそれらを使うわけには
いかないのである。」と書いてありました
全く仰る通りで…
この内裏に入った盗賊は、どうやって換金したのか
そもそもどうやって内裏まで入れたのか謎ですね
ドラマ内では、誰かから手引きしてもらうこともなく
アクロバットで内裏や邸に侵入し、盗みを行った後は
河原で待機していた貧しい人に盗んだ豪華な布を
そのまま与えていましたが、その豪華な布を
売り捌くルートがないと盗んでも意味がないんですよね
内裏では書物なども盗んでいましたしね
どちらも、貧しい人には無用の長物ですよね
そもそも庶民は絹を着ることが許されておらず、
豪華な絹織物は、着られる人が限られるし、
彼らは文字が読めないだろうし、
書物じゃ腹は膨れないですから…
だから、座頭の輔保さんが元は貴族で地方の有力者に
横流しするツテがあるとか、直秀が言っていた
「かの国」へ売るルートがあったのかな…
なんて思ったりします
とはいえ、そこまで詳細に描写するのは、
ドラマの尺の中では難しいでしょうし、
そもそも本題はそこじゃないので、ああいう表現に
なったのだと思います
ということで、今日は散楽一座に皆さんについて
深掘りしてみました〜
もう会えないのかと思うと辛いです
袴垂のお話も面白いので、興味を持った方は
調べてみてくださいね
私が解説を引用したのはこちらの本です
「日記には書かぬ!」と愚痴りながらも書いちゃう実資、
内裏の窃盗事件も日記に書いていた模様
それではまた〜