この間、


「東と西、どっちが好きか。右と左はどっちが好きか。」


という話をした。


もちろんその話を持ち出したのは私で、聞かれた相手は困惑していたが、私は迷いなく答える。


私は東が好き。


小学生の時から東が好き。東西南北を覚えるのも東からだった。

だがらブログのタイトルにも東を入れてみた。


東に魅かれる。響きも好きだし、字体も大人っぽくて落ち着いている。

西は落ち着きがない。
と私は思っている。


左と右だと、東西の問題より深刻ではないが、

まあ、右。まあ、右って程度だ。


数字の好みもその時期によって変わってくる。変則的なのだ。

今は「7」ってところだ。

前は7を書くのに折り返すところがうまく書けずに違和感を感じていたが、

最近はすんなり書けるので好きだ。


あとは何が好きだろう・・・。

興味深い話を聞く。


それが脳が軽く痙攣してしまうほど、衝撃を受ける。衝撃を受けたあとに笑みや涙がこぼれるほどの納得感。

そうあることではないが、最近起こった。


今まで目指していた道が、突然何か大きな力で全く違う方向に持ってかれてしまう時が人生にはある。

反抗のしようもなく、どうあがいても、もしくはあがく余裕もないほどに、突然に、その時がやってきて、道が大きくそれて曲がって無理やり違う場所に連れて行かれる。


困惑した頭で一生懸命どうしてそこに持っていかれてしまったのか考える。はじめは見えてこない。どうやって動けばいいのかなす術がわからない。

でも前へ進まなくてはならない。理解できなくても、納得できなくても、歩くことを止めてはいけない時がある。

毎日悩む。煩悩する。



でも後から見えてくるのだ。どれくらい経ってからなどはその時々だが、最終的に見えてくる。






私はその時、その道を曲がる準備が出来てた。






だから見えない力で、又見えていたかも知れない力でちゃんとその場所に持っていかれてた。


私にはそこに行くだけの能力と運と力量がちゃんと備わっていて、必ずその場を乗り越える一つのステージだったと。

導かれてた。最終論、そこに来ることになっていたんだと。


その時私の目から鱗は落ちた。

なるほど。

私もシンガポールに来てすぐに出会った試練がその通りだったことを指す。


すっきりする。

その話を聞いて、自分自身の人生で不可解な謎だった場所が少しだけ解ける。

晴れ晴れとした気分になる。



今日こうやってその話を聞いたのも、聞くときにして聞けたのだと。

私はその不思議な時間の循環に、思いを馳せる。

あたし、ちゃんと国内旅行しないままで海外に来てしまった。

ぽつぽつと転々と・・・はあるが、網羅してない。

母国を知らずして、海外を知るなんて、お門違いなことだと私は思っているのだが、海外に来て、より痛感した。

日本に旅行しようとする外国人に聞かれて度々言葉を濁してしまうことがある。あいまいなことを教えてしまったいいのだろうか。ちゃんと見て、食べて、歩いたところなら胸をはって紹介できるのだが。

一方、私は極端で、世界中を旅したい願望はあるのだが、それでも行きたい国、全く興味が沸かない国と分かれるという偏った趣向を持っている。

ま、それは時期に合わせて変わってくる。若いころはアクティブにアジア放浪、歳を取ったらのんびりリゾート、古跡を巡る旅・・・。

ともすれば、今頭に浮かぶのは、国内グルメの旅。博多でとんこつを堪能し、名古屋で味噌まみれになる。そして沖縄で豚を脂身ごとたらふく食べて長寿を目指し、

日本海で荒波に揉まれながら海の幸をほうばる。日本は誰がなんといおうと食の宝庫なのだ。日本の料理は街角の定食屋さんでも洗練されている。そして、多くの人が美食家と呼ばれてもおかしくない。美味しい食べ物の為なら糸目を掛けない人も多い。

私は食べないと、普通に元気がなく、動けなくなる単純な体の構造を持っている。

普通に体の中でブドウ糖がエネルギーに変わっていることを実感してしまう体。

だからおいしいものを食べると体も喜ぶ。私の脳内でもアドレナリン流出。

満足したら眠くなる。ゆっくり食べるよりさっさと食べて、ソファに寝転がる。シェフ泣かせ、食材泣かせのスタイル。

食は私を躍動的にさせる。美味しい食べ物を見れば、興奮し、目がキラキラしてしまう。

食への追求に関する話なら(かっこよくいくとそうだが、ただの食いしん坊談義)友達と何時間でも話せる。

話がそれてしまったが、風景と食の旅、絶景とその土地のとびきりの特産物。これこそ、醍醐味。醍醐味。醍醐味。3回も繰り返してしまう。

食が与えてくれる幸福に浸りたい。

よく考えると贅沢な話だ。