わたしたちは、本当に同じ世界を生きているのか
見ているものが違う
和多志は、
みんな別世界に生きている
と思うことがあります。
たとえ同じ地域に住んでいても
見ているものが全く違いますよね。
例えばラーメン屋さんばかり
目につく人もいれば、
ケーキ屋さんばかり
目につく人も射ます。
同じ道を通っていても
見ているものが違いますよね。
感じ方も違う
では、そのケーキ屋さんを見て、
美味しそうと思う人もいれば、
太るから我慢しようと思う人もいます。
家族の誕生日に
どのケーキ屋さんで買おうか
ということに焦点を当てている人も
いるのではないでしょうか。
ケーキ屋さんだけを見ても
様々な感情や思考がありますよね。
常識や正解は皆に共通しない
常識は、所変われば非常識に
常識は、社会生活で何より大事!
と、以前は思っていました。
でも、常識って、
と~っても狭い世界のことが
多いんですよね。
会社だって、
部署が違えば
ちょっとした常識だって
違う場合も多いですし、
その常識が通用する範囲は
世界共通ということはありえません。
住んでいる場所や時代が違えば
常識なんてまるで違うでしょうし。
ですから、その場に合わせる
一定基準くらいに思っていればいいんです。
でも、常識を重んじ過ぎる人もいますよね。
それがトラブルの種にもなりうる
やっかいなものであることも事実。
正解だって曖昧
正解だって人によって違う
と思うことがあります。
例えばファッション。
Aというブランドこそ一番すばらしい!
という人もいれば、
Bこそこの世で一番と感じる人もいるはず。
正解なんてない。
色だって、
同じ色を見てなんて素敵な色!
と思う人もいれば、
気分が落ち込む色
だと思う人もいるでしょう。
芸術やその他の価値観もしかり。
たとえ同じものを見ていたとしても
違った感覚で捉えています。
大多数が作った正解が本来の正解ではない
多くの人がそれを正解といえば
正解となっている今の世の中。
その「多くの人」は、
権力者や著名人の発言を
基準としている場合が
多いのではないでしょうか。
ですから少数派の意見は
不正解とされがちな
ちょっと危うい世界に
私たちは住んでいることになります。
正解って何?
誰かが言ったことは
その人の意見であり、
その人の正解。
じゃあ、自分もそれに
のっかろうというのは
考える能力を放棄してしまっているだけ
ということになります。
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世界観が違っても、愛の心で正解を考える
自分で考える!そこに愛の心があるかだけ
別の世界観で生きていても
自分に合わせてもらおうとするから
トラブルになるんでしょうね。
別の世界観で生きる、
それぞれの自由がありますから、
他人の世界を尊重すればいいのだと思います。
そこに正解や不正解、
さらに上の立場の人の意見を
基準に物事を考え出すと、
結局、自分を押し殺し、
殺風景な世界を生きることになります。
なにかの判断に困った時は、
自分に問いかけること、
その時に愛の心で見ること、
必要なのは、たぶんこれだけ。
ちょっと、とめどなくなってしまいましたが、
要は、正解を他人任せにしないこと、
人によって見ている世界が違うこと、
他人を尊重して愛の心で考えること、
それが重要なんだということです。
自戒を込めて。
今日も皆さんに幸せの風が吹きますように!
最後までお読みくださり、ありがとうございました♡
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