理想的な親になれなかったけど | 喫茶きむ

どもどもきむです。

 

今日は子どもたちの通っている小学校の集まりに行って来ました。

 

森の中にある小さな私立の小学校。

 

生徒数は少ないけれどアットホームで素敵な学校。

 

 

長女の音々ちゃんは初めは普通の小学校に通っていたんだけど、

「自由な学校に通いたい!」と2年間言い続けたので、

この3年生からこの学校に転校してきて、

 

それ以来、風太も花ちゃんもこの学校。

来年からは1番下の草志も多分この学校。

 

 

子どもが生まれた時、

素敵な子育てがしたいなって思ってた。

 

 

いつも怒らずに否定せずに子どもと接して、

いつもわかってあげられる、

いつも応援してあげれる、

 

そんな親になりたいし、なろうと思ってた。

 

ところが蓋を開けてみれば

自分の都合で子どもを動かそうとし、

言うことを聞かなければ怒り、

あれこれ子どものやる事に口出ししてた。

 

 

 

自分でもビックリするくらい無理だった(笑)

 

 

 

自分が思い描いていた理想的な親は無理だったし、

そんな自分を許せて無かったので、

 

せめて外面だけは。。。と他人がいる時だけは

良い親風だったりした(笑)

 

 

ちゃんと受け入れてあげよう、

聞いてあげようって何度心に決めても、

 

結局気がつけばイライラし始めて怒り始める。

 

子どもを責めるか、自分を責めるか。

 

そのどっちかだった気がするね。

 

 

 

そんなダメダメ状態からどうやって抜け出したのかを思い出すと、

 

やっぱり最初はあきらめた、開き直った事だと思うのです。

 

 

 

無理だ!

どーせ無理だし!

全然良い親なんかじゃないし!

無理でーーす!!

 

みたいな(笑)

 

 

だから他人がいる時もイライラしたらイライラを表現するようになったし、

怒ってる時は怒るようになった。

 

 

我慢しなくなった。

 

 

怒ることはダメなことって思ってたから

余計にイライラしたりしてたんだけど、

怒りを感じたらそのまま怒る。

 

 

そうしたら、子どもといることがどんどん楽になった。

 

子どものケンカみたいに怒ったら気分がスッキリして

次の瞬間にはもう怒ってない。

 

そんなふうになっていったな。

 

 

これが正しいから言ってるんだ!みたいに正義を振りかざしてたものが、

どんどんなくなっていって、

 

親だからとかではなく、正しいからではなく、

人として「イヤなものはイヤ」と子どもに言えるようになっていった。

 

 

うるさければうるさいって言うし、

うざければうざいって言うし、

可愛いと思えば可愛いと言うし、

イライラすればそのままイライラする。

 

 

親と子どもという感覚がどんどんなくなっていった。

 

対等な人と人。

 

そしたら育てようとか教えようとか躾けようとか、

そんな意識は全くなくなっていった。

 

 

子どもは勝手に育つ。

 

 

やりたい事をやりたいようにやったら良い。

 

 

完璧な親なんていない。

 

うまくできない事なんていくらでもある。

 

でも、子どもの事を愛してる。

 

僕はそれだけで親として満点だと思ってる。

 

 

 

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