昨日も少し触れましたが、愛と赦しについて最近考えることがあります。
日々の生活で、他人の小さな言動につまづいたり、相手にこうしてくれたらいいのになどと、要求してしまう自分自身に気が付きます。私たちは普段の生活の中で、知らず知らずのうちに相手に要求したり、裁いてしまっていることがあるのではないでしょうか。
要求し始めたらきりがなく、いつも心が平安でないように思います。
逆に私が寛容な心を持つことが出来たならば、小さなことにもつまずかず、相手に要求するのではなく、かえって相手を愛で包むことができるのだと感じます。
私はまだ未婚なので、想像でしかありませんが、家庭の中であれば要求し始めたならば大変なことになると思います。実際はそう簡単ではないと思いますが。
そういう意味では、相手に変わることを願う以上に、私が寛容になる、私が自分の堕落性を脱ぐ、私が相手を愛するしかないのだと感じます。
「私が変われば世界が変わる」という言葉がありますが、相手に変わることを願っても状況は変わらず、かえって私が変われば対象である相手も変わってくるということですね。相手に変わることを願う前に、如何に自分が変わるのか、それが問題です。
自分自身まだまだ愛する心、人を赦し受け入れる心があまりにも小さいです。毎日の生活が自己伝道の場であり、愛の訓練場であると感じます。そういう意味では毎日が人を愛する訓練であり、小さな次元ではありますが、赦すことを教えて頂ける尊い訓練場だと感じました。
「私が変われば世界が変わる!」自分に言い聞かせていきたいと思います。
文鮮明先生が16歳の時の素晴らしい詩です。2002年に世界詩コンテストで最優秀賞を受賞したものです。「栄光の王冠」(統一教会足立教会ホームページから)
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