龍馬伝始まりましたね!でも今日は、教育テレビでやっていた日本と朝鮮半島の歴史シリーズがおもしろかったので、ちょっと難しい話かもしれませんが、取り上げてみます。
昨日は①元寇(モンゴルの襲来)と日朝関係について、今日は②豊臣秀吉の朝鮮出兵が取り上げられていました。
①今まで元寇と朝鮮の関係について、考えても見ませんでしたが、モンゴルの侵略に対して当時の高麗王朝がかなり熾烈に反撃したことが描かれていました。かなりの人がモンゴル側に屈服したようですが、それでも命がけで、再三の攻撃に耐えて、最後は負けてしまいます。(ちなみにその残党が沖縄に渡っていったようです。)
そのおかげで、高麗を鎮圧した後に九州に上陸したモンゴル軍は武器も食料も底を尽き、最初の日本の蒙古襲来は一日でかなりやられてしまいますが、なんと一日で日本を撤退することになります。
そして、2度目の上陸は神風(台風)によって、モンゴル軍が壊滅してしまうという珍事件。日本守られているなと感じますが、高麗や東南アジア諸国の抵抗がなければ日本がとてつもないダメージを受けていただろうことを思うと感慨深いものを感じました。
簡単な要約ですが、続いて②の朝鮮出兵について
文禄と慶長の役と二度の大陸進出がありましたが、この二つの戦いの内容が異なっていることを初めて知りました。一度目は、秀吉が中国の当時の明を制圧し、大陸を支配するための補給路を確保するための戦いだったようです。
実際に天皇陛下を中国の皇帝の位置にまでつけ、インドなど大陸支配をもくろんだようです。しかし、一度目の戦いで明と朝鮮連合軍に敗れてからは、今度は朝鮮南側の4道を侵略する戦いになりました。それが、慶長の役。
この時はかなり残酷な戦いで、略奪や耳や鼻をそいだり、かなり残酷なことをした様です。結果的に李舜臣将軍の活躍などもあり、秀吉の死をきっかけとして全軍撤退という運びになります。
以上簡単ですが、何となく伝わったでしょうか。良し悪しは別として、まずは日韓の今後の関係を知る上でも、正しく知るということが何よりも大切だと感じます。折りしも朝鮮戦争が始まって今年が節目の60年。今の日本の経済発展がこの戦争を拠りどころとしている部分があるならば、我々も直視すべき内容だと思います。
今後も番組内で取り上げるかもしれません。次回は確か1月31日に明治維新以降の日本と韓国の関係になると思いますので、私のわかりにくい説明よりも、興味がある方はごらんになって下さい。
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