道徳の授業で「命のバトン」という授業をしたことがあります。
今僕がここにいるのは、両親(2人)がいてくれたから、
両親にはそれぞれ両親(4人)がいて、その両親にも両親(8人)がいる。
2人
4人
8人
16人
32人
64人
128人
256人
512人
1024人
2048人
4096人
8192人
16384人
32768人
65536人
131072人
262144人
524288人
1048576人
・・・・・
10代前になると1000人を超え、20代前になると100万人を超える
何がいいたいかというと、
例えばこの100万人の中の誰か一人でも欠けることがあったなら
今、僕はここに存在しないということなのです。
今僕は、例えば100万人の人生を経てここにいるのです。
だからこの「命のバトン」を次につないでいかないといけない。
僕たちは生きなければならないのです。自分だけの「命」ではないのだから・・・
昨日、89歳になる母方の祖父と、86歳になる祖母を囲んで食事会がありました。
祖父は酒が進むと戦争時代の話をよくします。
祖父は通信士として中国に3年半ほど従軍していました。
戦闘機からの機銃掃射の中で川を渡ったり、
空襲で隠れていた壕に爆弾が落ち、30人中7人が亡くなった。
誰も「天皇陛下万歳!」というて死んでいったのではない。
「残された家族がかわいそうだ」と死んでいったと。。。
自分が生かされているのは戒めなんや。ともいいます。
しかし、祖父が無事に帰ってきてくれたことで今の自分が存在し、
家庭を築き、子どもを授かることができたです。
食事会に参加していた誰もが出会うことがなかったのです。
人の命とはいくつもの奇跡の上に立っています。
なんと尊いものでしょうか・・・