結局“アセンション”ってどうなったの? | ツインソウルによろしく

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徐々に記憶の彼方に追いやられそうな雲行きですが、2012年12月22日を境に“アセンション”が起こると宣言していた著名なスピルチュアリストさんが沢山おられました。

それらを総合すると、
「地球滅亡クラスの大天変地異が起こる」
「ポールシフトが起こり、地球は3日程度のグレードヴォイドを経験する」
「天変地異に対してUFOが空からやってきて魂のきれいな人達だけが救われる」
「それまで身を隠していた“地底人”が現れる」

など色々とバラエティに富んだ言説が飛び交っていたものですが、そのようなことは何一つ起こりませんでした。でもアセンションをしきりに煽った人が後に反省の弁を述べたということは聞いたことがありません。

○スピリチュアルは責任を取らない。

原則的にスピリチュアルな言動、行為は結果責任を問われません。何故ならスピリチュアルとは元々そういうものだからです。もしも結果責任を問われるならそれは“三次元”のものになってしまいます。医療行為を謳って施術を行う場合は国家資格などの免許が必要になりますし、もしもその施術のせいで逆に健康が著しく悪化したような場合は責任が問われることもありましょう。ですからスピリチュアルなヒーリング施術は“医療行為”とは掲げませんし、施術者が責任を負わないということはその責任は施術を受けた本人の方に降りかかるということになります。

「だからスピリチュアルはトンデモだし危険!」という理屈にもなりますし、
「だからスピリチュアルには真理がある」
とも言えますね。

見る側の主観によって明確なダブルスタンダードが生まれる素地を残しているのが良くも悪くも“スピリチュアル”というものなのですね。

「人に騙された!」と思う時、騙した方が悪いという説と騙された自分が悪いという両方の捉え方が出来ると思います。そしてスピリチュアル的な立ち位置は当然後者、“騙された方が悪い”という立場をとるのですね。何故ならスピリチュアルの要諦は“目の前で展開される現実は全て創造主たる自分が現実化している”というものだからです。もしも前者の騙した方が悪いという説を取ると相手に責任を取らせようと思い立ちますが、この場合は主権が相手に移行してしまいます。つまり相手が「そんなの知らね〜。俺は騙したつもりなんてないもん」とシラを切ってしまうといつまでもそのモヤモヤの中で苦しまなければなりません。

それがいわゆる“業”、恨みつらみや執念、執着といった三次元特有の出口の見えない想念に縛りつけられて自らを不自由にしていきます。でも騙された自分が悪かったと思うことが出来ると、主権は現実を創造した自分の手に収まります。人を騙すような相手に何かを依存して期待してしまった自分の盲目性はどこに起因しているのか、内面を深く辿っていくことも出来るでしょう。そのような自己探求の訓練が続いていくと、“明晰性”というものが宿って簡単には人に騙されなくなるでしょう。

そうすると最初に自分を騙した人は、“気づきのチャンスを与えてくれた人”となるので、むしろ感謝の気持ちさえ湧いてくることになるので、恨みつらみの念から解放されて“楽に生きられる”というのがスピリチュアルの本質だと思います。

でもそういうことを言うとこんな反論をされることもあるかも知れません。

「じゃあ仮に自分の幼い娘が何者かにレイプされた上に殺されたとしても、それは相手に責任はなくて自分が現実化したというのか?自分の内的探求をいくらその後に行っても娘は返って来ないのに?」

というような問いかけです。実はこういう質問をされること自体がスピリチュアルを理解していないことになるのですが、一方でそれもそうだという気も起こります。

例えば“拉致被害者”のような問題。北朝鮮に子供が拉致されているのが明白となっていても、国家間の事情が絡んで中々返して貰えないという現実が起こっています。このような場合、子供を拉致されてしまった現実も自分が引き起こしたのだから、気づきを与えてくれた北朝鮮政府に感謝するべきだ、と思えるでしょうか?

思えるわけがないですし、思う必要もないでしょう。

ではどういう心持ちでいることが、真のスピリチュアリティーを理解していると言えるのでしょうか?

これは疑問に思う人がそれぞれに考えて答えを導き出して欲しいと思います。ただ分かっていることは、

○簡単な問題ではない。
ということです。そして、
○どう足掻いても主権が自分の元には及ばない。
ということが世の中にはあるということ。
○その中で今生の自分は限定された時間の中で何に重点を置いて過ごすべきか?
というところに安寧のヒントがあるということですね。

つまり人類規模のアセンションというのもこれと同様ということですね。一つ一つの創造主たる人々全体が関わっていることなので、何年何月何日に起きますよ〜なんて、
○簡単に言えることではないし、
○アセンション後の世界がどのように変化しているかなんて、殆どそのデザインに関する自分の権限は持ち得ない。
○それでも世の中は動いていて、そんな移ろいつつある世の中に対して自分はどのようなスタンスを保ち、どのように社会と関わり続けるか?

ということを“決める”ことが、明晰性をもった生き方ではないかと思います。

2012年12月22日に結局何も起こらなかった。だからやっぱりスピリチュアルなんてトンデモだ。アカシックリーダーなんて皆んな詐欺師も同然!という見方も一つの真理でしょう。

でも上記のような考え方を持つことが出来れば、もう少し柔軟に“アセンション”というものを再定義出来るのではないでしょうか?そしてその方が、スピリチュアルリーダーに騙された!と思って生きるより、明晰性をもった生き方が出来るように思います^^

 

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