(画像はお借りしました)
あれから25年。
四半世紀も経つんですね。
今日、未明のラジオ放送を聴いていたら
「あの日を忘れない」の「あの日」の意味を
震災を知らない子どもたちに問うたところ
「家族が元気に過ごしていた日」
「亡くなった友達と遊んだ思い出の日」
のような回答があったとか。
確かに、1995年1月17日、を「あの日」と固定するだけでなく
その日で未来を断ち切られた人たちの生きざまや
彼らとの交流を振り返ることも
大事だな、と思いました。
人は二度死ぬと言います。
物理的に亡くなった時と
誰もその人を思わなくなった時。
心の中で生き続けることもありますね。
5時46分、テレビの時報に合わせて
ホアキンも黙とうしました。