あ、彼だ。
少しだけ眺めていよう。
通勤時の駅のホーム。
多くの人が行き交う中でベンチに座る彼。
私を待っている。
でも、決してキョロキョロしない。
「いかにも人を待っていますって感じがあると不味いだろ?」
私が近づくと顔を上げて、一緒に歩き出すのだから、同じじゃないの、と思ったけど、反論はしなかった。
彼を最初に知ったのは高校1年の時だった。
兄の大学の友人として、我が家を訪れてきた。
「こんにちは」
彼は帰宅した私を見てあいさつしてきた。
兄の友人だとすぐに分かった。
私自身、兄とはあまり仲が良くなかったこともあって、曖昧な返事をしたような記憶がある。
それから何度か、遊びに来た。
夕飯を食べていったこともある。
正直に言って、5歳も上で、オジサンっぽかったので、全く関心外だった。
彼もそうだったようだ。
兄の結婚式に出席してくれたのを最後に、ずっと顔を会わせることはなかった。
それは全くの偶然だった。
短大の同級生たちと、久しぶりの飲み会をしているとき、隣り合ったグループに彼がいたのだ。
オジサンに思えた髪型は相変わらずだが、今の年齢には似合っている。
「彼だ」
と私が気付いた時、彼も「○の妹さんですよね?」と話しかけてきた。
20年以上前と同じ笑顔だった。
私たちが知り合いと分かって、2つのグループは合流した。
楽しい夜になった。
店を出てから駅までの帰り道、彼と話していると、通勤の経路が、私とダブっていることが分かった。
「何時ごろ、駅に着くの?」
飲み会の途中からくだけた口調になっていた彼が尋ねてきた。
私も深い考えもなく答えた。
私は毎日、働いているわけではない。
週に3回、事務仕事をしている。
容姿は平凡だ。
密かな自慢は色白なところと、目が大きなところ。
残念ながら大きな目は年をとると、かえって衰えが目立ちやすい。
まぁ、仕方がない。
ネイルもしないし、通勤時でも服装はプチプラ。
長女はもう中学生だが、仕事のある日は、下の子を学童に預けている。
飲み会の後、最初の仕事の日の朝。
「やあ」
声をかけられて驚いた。
彼だ。
「どうしたの」
「それはこっちが聞きたいよ。昨日は休みだったの?」
「私、仕事は週3回なの。言わなかった?」
「そうなんだ。いや、てっきり嘘をつかれたのかと思ったよ。警戒されて」
そうか、昨日も待っていたのか。
でもなぜ?
「あ、電車が来たよ」
つられるように車両に乗り込んだ。
待っていた理由も説明されないまま、世間話になった。
それはそれで楽しかった。
5歳年上の彼も、お子さんの年齢は、うちと同じくらい。
話も合うはずだ。
一緒に乗っているのは15分程度にすぎない。
先に降りるのも私。
彼の出勤が早まったり、子どもの病気で私が休んだり、必ずいつも会えるわけではない。
そういう時は相手を待たない。
朝と夜はメールをしない。
いつの間にか、暗黙の了解事項ができてきた。
お互い、何も告白しないまま、時が流れている。
ランチやお茶は一緒にしたことがある。
でも、それだけ。
お茶を飲んでいるとき、じっと私を見る彼の目が熱い時がある。
「何?」と尋ねても、「いや、別に」と話をそらされる。
満員電車は幸せな時間だ。
急停車でよろけて彼の腕にすがったとき、彼はびっくりしたようだった。
それからは背中に腕を回して、私がよろけないようにしてくれる。
身体が密着することもある。
手が触れて、握り合ったことは何度もある。
満員電車なら目立たない。
暑い夏。
素肌が接触する機会が増えるけど。。。。
さぁ、もう、1分くらい経ったかな。
彼のところに行こう。
あのクールビズは奥さんの見立てかしら。
ちょっぴり妬けるけど、お互いさまね。
きょうは、声をかけてみよう。
驚くかな。
「おはよう」
「やあ」
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