【東日本大震災】2011.3.11 避難所にて | 母がアルツになりまして。~頑張らない介護と私の日常〜

母がアルツになりまして。~頑張らない介護と私の日常〜

2015.2.18に子宮筋腫の開腹手術を受けました。
闘病日記。
2022.10〜認知症母の介護日記。メインは介護や実家の管理について。他に趣味ネタ(サザンとか)・時事ネタなど色々なテーマについて書いています。別ブログから順次転載作業中。

今日で東日本大震災の発生から13年。

当時の様子を振り返ろうと、過去のSNSを遡ってみました。

この13年で、5回機種変し、SDカードも交換したので、震災時の写真は今のスマホ内には無く、現時点でmixiやFacebookにアップした写真くらいしか見ることができませんが、2011年3月11日に避難した時のことを少しだけお話します。

私が家族と共に避難所(高校)ヘ向かったのは地震発生から1時間半後くらいだったかな?

学校前の側溝からは下水が逆流し始めていて、急いで校舎3階まで駆け上がりましたランニングダッシュ

たちまち水位が上がり、自販機は水没。

校舎の1階部分も完全に水没しました。
震災当日、私と同じ避難所の方が撮った写真ですダウン



2011年3月11日
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波が押し寄せ校舎1階部分まで水没(最深部1.7m)

津波の為、避難者約800人が孤立し、2日後机を桟橋にして救助された。
─避難した高校のWikipediaより

孤立した避難者約800人中4人は、うちの家族です。

断水でトイレの水が流せない為、用を足した後バケツを持って1階と2階の間の踊り場から水(海水)を汲んできて流しました。

避難所には丸2日いましたが、辺りが浸水して“陸の孤島”と化した為、何処からも救援物資が届かず、3日目の朝、宮城県警のゴムボートに6人ずつ乗せられ、水の浅い所まで警察官に引っ張ってもらって脱出しました。

その後、腰まで水に浸かりながら、1時間以上歩いて帰宅しました。

身体が芯まで冷え切って、3時間ガタガタ震えが止まりませんでした。

震災発生から約2週間後、私の地元はこんな感じでしたダウン



私、個人としてはあまり震災時の記録を残せませんでしたが、Yahoo!防災速報の防災カレンダーに東日本大震災関連の写真がたくさんありましたダウン


毎日見る必要は無いけど、せめて年1回(3.11)だけでも見て、震災について改めて考える日にしたいです。