667冊目 魂の錬金術 全アフォリズム集/エリック・ホッファー | ヘタな読書も数撃ちゃ当る

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ある日突然ブンガクに目覚めた無学なオッサンが、古今東西、名作から駄作まで一心不乱に濫読し一丁前に書評を書き評価までしちゃっているブログです

「魂の錬金術 全アフォリズム集」エリック・ホッファー著

「人間とは、まったく魅惑的な被造物である。そして、恥辱や弱さをプライドや信仰に転化する、打ちひしがれた魂の錬金術ほど魅惑的なものはない。」 「沖仲仕の哲学者」ホッファーの波瀾の生涯から紡ぎ出された魂の言葉。

 

今年一年、私はある団体のOBで組織している会(会員144名)の会長を務めている。

毎月、役員会(34名)と例会が有り、その度に会長挨拶をしている。

 

過去、長の付くものは、高校時に部活の部長、娘たちの小学校と高校時にPTA会長を務めたが、会長の一番の仕事はこの挨拶と言っても過言ではない。

今回の就任前は口下手な私が、果たして挨拶なんぞ出来るものなのか?という不安があった。

なにしろメンバーには私よりもずっーと年上の先輩や、国会・県議会・市議会議員など口達者で偉い方々が大勢いるのである。

 

ところが、いざ蓋を開けたら、喋る喋る。。。(;´▽`A``

自分でも予想外な程で、先輩には「話が長い」と言われ、後輩には「先輩こんなに喋る人だっけ?」と言われる始末。

型どおりの挨拶など程々に、喋りたい事がいっぱい有るからしょうがないのだ。!(´Д`;)

 

しかし、今年も残すところあと2か月余り。

会長としての挨拶もあと数回となり、今まで大した挨拶も出来ないでいたが、最後は聞く人の心に響くような&カッコいい挨拶をしたい、という事で何か材料は無いか?と考えたところ、このエリック・ホッファーを思い出した。(前置きが長~い)

 

著者のエリック・ホッファーは紹介文にある通り「沖仲士(*)の哲学者」と呼ばれ、その思想は労働の合間に独学で学んだ知識と経験により生まれた。

アフォリズムとは「金言」「格言」などの言葉である。

ホッファーは生涯で475篇のアフォリズムを遺し、本書はそのすべてを集めている。

 

本書の中で幾つか印象に残った言葉があるので紹介します。

 

「あれやこれがありさえすれば、幸せになれるだろうと信じることによって、われわれは、不幸の原因が不完全で汚れた自己にあることを悟らずに済むようになる。だから、過度の欲望は、自分が無価値であるという意識を抑えるための一手段なのである。」

 

仏教で言う「煩悩」ですかね。

 

「われわれが出会う人びとは、われわれの人生の脚本家であり、舞台監督である。彼らが役を割り振り、われわれは自分の意志と無関係にその役を演じる。つまり、他人を模範にして演じるよりも、むしろ他人の目に映り、他人の言葉に反響する自分を演じるのだ。」

 

これは、アドラー心理学で言えば「他者の評価をもって自分の人生を生きる」という承認欲求ですね。

 

「人生の舵取りは、金庫の数字合わせのようなものである。つまみをひとひねりしても、金庫が開くことは稀である。前進と後退のそれぞれが、目標へ向かう一歩なのだ。」

 

「保守主義は、往々にして不毛性を示す一兆候である。成長し発展しうるものが内面にないとき、人はすでにもっている信条、観念、財産にしがみつく。不毛な急進主義者もまた、基本的には保守的である。彼らは自分の人生が空虚で無駄なものだと見られたくないため、青年期に拾いあげた観念や信条から脱皮するのを恐れている。」

 

「自然は完全なものだが、人間は決して完全ではない。完全なアリ、完全なハチは存在するが、人間は永遠に未完のままである。人間は未完の動物であるのみならず、未完の人間でもある。他の生き物と人間を分かつもの、それはこの救いがたい不完全さにほかならない。人間は自らを完全さへと高めようとして、創造者となる。そして、この救いがたい不完全さゆえに、永遠の未完の存在として、学びつづけ成長していくことができる。」

 

本書以外でも記憶に残っているホッファーの言葉がある。

「「エリック・ホッファー自伝 -構想された真実―」の中の一節。

 

「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかることはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」

 

ホッファー以外でも私の印象に残っている言葉がある。

V.E.フランクルが「夜と霧」の中の一節で、著者がアウシュビッツ収容所に収容され、過酷な状況下で語った言葉。

 

「・・・そしてわたしは最後に、生きることを意味で満たすさまざまな可能性について語った。わたしは仲間たちに語った。横たわる仲間たちはひっそりと静まり返り、ほとんどぴくりとも動かなかった。せいぜい、時折かすかにそれとわかるため息が聞こえるだけだった。人間が生きることは、つねに、どんな状況でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことを、苦と死をもふくむのだ、とわたしは語った。そしてこの真っ暗な居住棟でわたしの話に耳をすましている哀れな人びとに、ものごとを、わたしたちの状況の深刻さを直視して、なおかつ意気消沈することなく、わたしたちの戦いが楽観を許さないことは戦いの意味や尊さをいささかも貶めるものではないことをしっかりと意識して、勇気をもちつづけてほしい、と言った。・・・」

 

どんな過酷な環境下に置かれても、なお人間は生きる意味を見い出し、自分自身の生き方を選択する事ができる。とフランクルは語った。

 

と、いろいろと名言があるが、日頃私が最も心に留めている言葉がある。

これはインディアンの格言として伝わっている言葉だそうです。

最後にその言葉を紹介します。

 

「あなたが生まれてきた時、あなたは泣いて周りの人達は笑っていたでしょう。
 だから、いつかあなたが死ぬときは、あなたが笑って周りの人たちが泣いている。

 そんな人生を送りなさい。

 

*沖仲士・・・貨物船の荷物を荷揚げ、荷下ろしをする港湾労働者。高賃金だが体力勝負の重労働で、荒くれ者が集まったが、ホッファーは大学教授になっても65歳まで沖仲士として働いた。現在は機械化が進み居なくなった。

 

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