「仮面の告白」三島由紀夫著・・・★★★★☆
「私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である」と作者・三島由紀夫は言っている。女性に対して不能であることを発見した青年は、幼年時代からの自分の姿を丹念に追求し、“否定に呪われたナルシシズム"を読者の前にさらけだす。
ラディゲからの三島由紀夫を読んだ。
本作は長編小説として「盗賊」に続く2作目の作品である。
紹介文にある通り、女性に対し不能な主人公の話であるが、三島はこう述べている。
〈生まれてはじめての私小説で、もちろん文壇的私小説ではなく、今まで仮想の人物に対して鋭いだ心理分析の刃を自分に向けて、自分で自分の生体解剖をしようといふ試み〉
このように、本作の主人公の「私」は三島自身であり、その他の登場人物も実在した人物をモデルに描かれた私小説的作品である。
文体は「盗賊」に較べ、難解な単語や三島特有の修辞が頻出し読解力を要する。
三島作品恒例の印象に残った一文を紹介します。
母や弟妹とA海岸で夏を過ごした一場面
――波ははじめ、不安な緑の膨らみの形で沖のほうから海面を滑って来た。海に突き出た低い岩群は、救いを求める白い手のように飛沫を高く立てて逆らいながらも、その深い充溢感に身を涵(ひた)して、繋縛をはなれた浮游を夢みているようにもみえた。しかし膨らみは忽ちそれを置き去りにして同じ速度で汀へ滑り寄って来るのだった。やがて何ものかがこの緑の母衣(ほろ)のなかで目ざめ・立上った。波はそれにつれて立上り、波打際に打ち下ろす巨大な海の斧の鋭ぎすまされた刃の側面を、残るくまなくわれわれの前に示すのだった。この濃紺のギロチンは白い血しぶきを立てて打ち下ろされた。すると砕けた波頭を追ってたぎり落ちる一瞬の波の背が、断末魔の人の瞳が映す至純の青空を、あの此世(このよ)ならぬ青をを映すのだった。――海からようやく露(あら)われている蝕まれた平らな岩の連なりは、波に襲われたつかのまこそ白く泡立つなかに身を隠したが、余波(なごり)の退きぎわには燦爛(さんらん)とした。その眩ゆさに宿かりがよろめき、蟹がじっと身動(みじろ)がなくなるのを、私は巌の上から見た。
本当は終盤に出てくる、主人公が女性に対する欲望について自分自身に問いかける描写を載せたかったが長い(2~3ページ)ので割愛します。
中学生だった主人公〈私〉は、逞しい級友の近江に恋をする。
体育の授業中、鉄棒で懸垂をする近江の腋窩に生い茂る豊饒な毛に〈私〉は瞠目するが、それと同時に、自ら恋を諦めてしまうほどの強烈な嫉妬を感じた。
友人たちは女の肉体に興味を持っていたが、〈私〉はそれを感じられず苦悩する。
高校卒業間近に、友人の妹園子に好意を持つが、やはり女の肉体としての欲望は湧いてこなかった。
園子を肉の欲望なしに愛していることだけを感じ、彼女と一緒に生きない世界は何の価値もないという観念にも襲われた。
やがて園子側から結婚の申し出の手紙を受け取るが、〈私〉は婉曲に断りの返信をする。
その後園子は他の男と結婚し、〈私〉は友人に誘われ娼家に行くが、「不能」が確定し、絶望に襲われた。
「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物だ」という苦しみに〈私〉は苛まれはじめる。。。
「盗賊」の主人公と同じく、この主人公も自己韜晦的であるが、三島が語ったように自分自身を解剖し己の全てを曝け出し本作を世に放った。
本作で描かれているのは男の肉体の「美」への憧憬と劣等感による「苦悩」である。
先日読んだ「午後の曳航」は男の精神性に対する美学であったが、三島作品は「男の美」と「苦悩」が通底している。
この一冊を研究するだけで本が書けそうな程、本作は性に対する人間心理を抉り出した奥の深い作品であった。
仮面の告白 (新潮文庫)
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