忍城水攻めの痕跡を求めてやってきましたのは「さきたま古墳公園」。昔は「さきたま風土記の丘」ってよんでた気がしますが、いつのまにか名称が変わったみたいですね。
駐車場から「丸墓山古墳」へ行く途中のこの土手の部分が「石田堤」です。
石碑には「史跡埼玉村(さきたまむら)古墳群」とあります。行田市になる前に建てられたのですね。今まで気づかなかった。
そして「石田堤」の先にあるのが・・・「丸墓山古墳」。日本一大きい円墳と言われているそうです。
石段じゃないけど登りがいがありそう。いざ!
上を見てしまうと、まだあんなにあるのかと感じてしまうので、上を見ずに黙々と登り切りました。ハアハア・・。山頂は結構な広さで、石田三成が陣を張っただけのことはあります。
さて三成になったつもりで忍城を探してみましょう。どれどれ・・・よくわからん。。。
ではズーム!おおっ!
さらにズーム!見えてきた御三階櫓は本丸跡に1988年に再建されたものです。もともと本丸に櫓はなく、初めて御三階櫓がつくられたのは江戸時代らしいので、三成の時にはなかったようですね。まあ当時は一面沼地や田んぼばかりで障害物もなかったでしょうから、城はよく見えたでしょう。
東方面に目を移すと、「古代蓮の里 古代蓮会館」のタワーがありました。
昨年は「古代蓮の里」で田んぼアートをやってたのですが、今年は新コロのせいで中止でしょうか。昨年の田んぼアートはラグビー日本代表でした、なつかしい~。昨年の様子はこちら
他にも古墳はたくさんありますが、今日のテーマは「忍城水攻め」なので、ここらで撤退です。これは丸墓山から見える将軍山古墳かな。
こちらは稲荷山古墳。登れるようになっていますので、上に人がいます。
前回も載せたこのイラストですが、今回忍城水攻めツアーの結果、こんなやりとりが浮かんできてしまいました。
さきたま古墳は子供のころからよく行っていたのでもう結構飽きていたのですが、「忍城水攻め」の観点で訪れると新鮮な感じで見られて興味深いものがありました。
また、いままで気にしていなかったのですが、忍城と以前紹介した唐沢山城(栃木県佐野市)、新田金山城(群馬県太田市)は、「関東七名城」だったんですね。今後は他の関東七名城も行って見たいですね。まずは前橋城かな。