3月頃に、夏休みの人気の宿予約とれた~と喜んでいたのですが、期待に反して新コロ沈静化せず・・・。朝夕バイキングでもあり、泣く泣くキャンセルしました GWの時もキャンセルしたのよね・・・。残念だけど仕方がない。早く収まって~。
先週ようやく梅雨明け(&熱波到来)となり、めでたく外出してみました。
今回行ったのは、まずは鴻巣にある「石田堤史跡公園」。年に2~3回すぐそばを通っていたのに気づかなかったという超マイナースポットでございます。この櫓?の下にいくと動体感知?で、忍城の水攻めについての解説が流れ始めます。結構なボリュームなんですが、絶対近所迷惑だって。
場所はこんなところ。時折真上を新幹線がゴーと走っていくような環境です。
wikiによりますと、「石田堤(いしだつつみ)は、豊臣秀吉による関東平定の一環として小田原方の成田氏長居城である武蔵国・忍城を石田三成らが攻めたとき(忍城の戦い)に、水攻めのために忍城の周囲を総延長28 km(現・埼玉県行田市・鴻巣市内)に渡って築いた堤」とのことです。古びたパネルの中には三成さんが、なかなか落ちんのぉ、と恨めしげに忍城を見つめる図などもあります。
こちらは秀吉さんのからの朱印状。真田(昌幸?)を送るからよく相談するようにとか書いてあるそうで、三成の水攻めに不安があったのかな。
この俵には、堤をつくるのにかり出した人足に払った対価が書いてあります。昼は銭60文+米1升、夜は銭100文+米1升、破格の対価で人をかき集めたんですね。
西側から続いてきている石田堤は新幹線でぶった切られています。正面の窓みたいになっているところは堤の断面が見られるようになっています。まあ断面といっても、なんてことないただの土なんですけどね。
階段があって堤の上に登ることが出来ます。ここらへんはいかにも堤って感じですね。
これはわきから見たところ。結構先の方まで続いていました。
ここから戻って、今度は新幹線の東側へ。東側は西側に比べると緩やかな堤の造りになっています。
謎の展望台?
展望台の近くには東屋。
さらに東へ進むと忍川が流れています。架かっている橋は「堀切橋」。水攻めの際にここら辺で堤が切れたのでこの「堀切」と名前が付いたそうな。
梅雨が終わったばかりで水量は豊富です。
橋を渡った先にも石田堤は続いています。
この「堀切橋」、土木遺産だそうで。
高欄が尖頭半球や三角形になっており、また幾何学模様が刻まれていて野外アート風の橋だからだそうです。
このあとは車で10分ほど離れた「さきたま古墳」へ忍城水攻めの痕跡を探しにまいります。