逃げの理由は無限大
逃げたい人間にとって、「理由」なんてものはそこかしこにあるものです。
毒親、貧困、虐め…本当に苦しんでる人間もいるのですが、
逃げたい人間はそれに肖って自分を甘やかします。
見分け方は簡単、上手くいかない理由を取り除いても
新たな理由が生まれ続ける人間は確実に逃げたいだけです。
本当に困ってる人は少しの援助でも頑張ろうと結果を出すものです。
最近は「現代っ子」というのも逃げ口上になるのは吃驚しました。
「現代っ子だから自分は〜できない」
まぁ百歩譲ってそこはしょうがないとしましょう。
現代っ子は〜しにくいタイプなのねと同意しておくとしましょう。
じゃあ次に話が発展する先は「それを頑張って克服しよう」になるでしょう。
声が小さい、挨拶ができない、積極性が足りない、やる気が無い…。
そうですね、現代っ子は確かにそういう傾向はあるでしょうね。
でもそのままじゃ仕事にならない場合が多いのである程度は克服すべきです。
せめてまともな社会生活が営める程度には。
しかし、そういう話になった時に衝撃の返事が返ってきたのです。
「俺に言われてもね」
流石に驚愕しました。
同じ逃げ人間にもジェネレーションギャップは存在するようです。
その発言はまるであたかも時代や環境によってできた人の性格は
絶対的なものであり変えることのできない不変のものであるかのようです。
でも愚弟ほど社会的生活に支障を来してる逃げ人間は
彼のクラスメイトにはいないと思います。
少なくとも過半数以上は普通に暮らしています。同じ現代っ子ですが。
その事実をどう捉えてどう屁理屈を捏ねられるのか楽しみにしてたのですが、
愚弟は大分不勉強者なのでその言い訳を考える能はないようです。
理が通っていないことを壊れたレコードのように繰り返すだけです。
向上心がなくなるというのは怖いことですね。
向上しなくても向上心があるとないとでは雲泥の差ですもんね。
「環境の所為でこうなった」も大概甘えた発言ですよ。
それが本当に辛かったことでも僕は少しばかりそう思ってしまうのです。
実際僕が言うからね。クズの僕がいうことは甘えた発言ですよ。
確かに何回か死にかけたことはあるし、
教育学でよく見るやっちゃいけない育て方をオール制覇してるし、
そもそもDNAレベルでクズなんだけど。
「克服しなきゃなぁ」くらいは思っても罰は当たらないのでは?
まぁ、向上心がない以上は自殺マニュアルに乗っ取るしかないんだろうね。
そこは流石僕の血族なので緩やかな自殺を選んだようです。
それが楽しそうじゃないのが一番の謎なんだけどね。
僕が緩やかな自殺を図ったときは人生で一番気が晴れたけどな。
正直それで今の僕があるといっても過言ではない。
一度死ぬことを本気で考えれば生きる意味も見えるのだ。
体が欲しているものは一度少量与えてみるのが一番だ。
あ、依存症の人は別だよね。よくわかってらっしゃる。
閑話休題。
僕が昔始めた試みは「どうせ逃げるなら果てまで逃げよう」だった。
絶対後悔するのもわかってたし、色んな書物によくないって書いてあった。
しかしクズの血が逃げを欲している。だったら半端じゃつまらない。
どこまでも逃げてやると思った。
そして底辺まで落ちたら上るだけになる。
バカでも目標が見えるようになる。
実際、今は果てしなく後悔してるし目標も見えてきている。
予想通りのことが起こっているので心は穏やかだ。
ただ上るだけ。上れないかもしれない。でもやるしかない。
その為の備蓄は少しだけしてあるし生き甲斐というのも感じる。
だから人生、心構えだろうなと思ってる。
クズでも逃げたっても、潰れない覚悟ができてればいいんだ。
そんな覚悟が持てるなら最初から普通に頑張れ。ハイ。
賢いフリしてクールのつもりかけだる気に何にも興味なさそうに生きている。
そんな自分の本性や実力から逃げている人間を見るのが僕は大好きだ。
その構えを崩さない人間はどんなことだって理由にして逃げる。
興味がない、好きじゃない、アホらしい…。
そのポージングを取れば取るほど自分の本性と実力は透けて見える。
隠そうとすればするほど、真実は浮き彫りになるのだ。
だから頭のいい嘘付きは敢えて本当のことをいったりするのだ。
でも僕はその愚かなポージングを見るのが大好きだよ。
なんせ絶対的な信用と安心感があるからね。素直だなって思うよ。
どうすればファビョるかもわかるし、扱い易い。
僕自身がそれの成れ果てみたいなものだからあまり酷いことはできないけど。
無限に出て来る理由に自分を騙したって周りは騙せない。
生き物として存在できる内に理由探しをやめられるといいね。
【診断】好きな顔を選ぶと本当の自分の性格がバレる
自分が思っているより強い
あなたは感情的な人と見みられているかもしれませんが、実際には強い人です。その在り様はほとんどの人が夢見ることしかできないものです。あなたには鉄の ように強い心があります。つまり、人生が投げかけるどんなことも、あなたは完全に対処できるということです。恐れずに前進しましょう。
嘘付けって言いたいところですが、
ここでその反応は裏付けになってしまうので素直に喜んでおこうね。
ところで「感情的な人」っていうのは「弱い」のかい?
すごっ…!今まで付き合った人数がバレる診断
10人です!
超自由に恋愛してきたあなた。
その経験から、相談されることも少なくないようです。
あ、すいません。2人です。(しかも未経験)
なんでこういう診断で多く見積もられるのかね。
無人診断でおべっか使う必要ある??
自縛してるからつらいんだよ
「分業」
それは社会性動物の素晴らしいテクノロジー。
個の時間は短く、できることは多くはない。
しかし、みんなで手分けをすれば大掛かりな作業も可能になる。
そんな素晴らしいものにも弱点は存在する。
プロフェッショナルに丸任せしてしまう現象だ。
「専門家の言うことだから間違いない」というやつだ。
専門家といったって一人というわけではない。
色んな考えの専門家がいて意見を闘わせている。
誰の理論が正しいかさえも多数決で決まっているようなものだ。
本当に真実かはわからない。
そういう世界が続いてしまうと
「声のでかい専門家っぽい人間」の言うことを聞いてしまう人が出てくる。
雑誌や人柄で信用度というものを固定化させることもある。
疑心暗鬼になるのはよくないが、ただ事実としてあるのは、
「100正しいことを言う人間だって1の嘘を付く」ということ。
すべてが正しいことばなんてことはアリエナイのだ。
悪心もあるだろうし、間違いもあるだろう。
脅迫されたりするだろうし、雰囲気に流されることもあるだろう。
人間誰しも完璧超人ではいられないのだ。
一番いいのは各々がそれなりに知識を持っていることだが、
なかなかどうしてそれを徹底することは難しい。
そもそもすべての人間が利口では困る人間が多いのだ。
僕程度の人間だって僕より頭の悪い人間がいないと困るのだ。
そんな環境で便宜だけの理想を押し進めることは不可能だ。
だから個々が持つべきは「柔軟な受容」だと思ってる。
「挙動が不信だから、彼奴は信用できない。」
「あの先生は勲章を持ってるから、信用できる。」
これらは理由と結論が実は組み合っていない。
気持ちはわかるがその考えは己に損しか与えない。
真実なんてわからなくていい。興味がなくったっていい。
ただ情報の真偽を出どころで判断するのは実は大変危険だ。
だったらすべてに半信半疑でいた方がよっぽどマシだ。
例えを出すなら「牛乳の飲むのは健康か否か」の議題。
僕はこの議題については無知に等しい。
だが、思うところはある。
子供の頃から「カルシウムを補う」とか
「生まれた子牛が飲むものなのだから栄養が満点だ」とか
色々言われて嫌いな人でも無理矢理飲まされたものだろう。
それらは一般常識になり牛乳を飲む人は多いだろう。
満腹感もあるし洋食にも合う。味も美味い。(個人談)
ただ「健康の為」と言われると僕のような捻くれ者は引っ掛かってしまう。
牛と人間では体の構造が違うのだから合う合わないは出て来るだろう。
それに乳離れをした牛は乳を飲んでないがそこはいいのか?
何故長い進化の歴史で永続的に乳が出るようにならなかったのか?
そもそもCa増量牛乳とかもはや牛乳である必要性はあるのか?
あまりにもおおっぴらに健康を煽られると
戦後に給食で導入されたパンと牛乳の構図を持ち出す人の意見も
なんとなく頷けてしまうのだ。
ただ、それを言う人で偶にド酷いコミュ障がいるので
「胡散臭ぇな…」って思われてしまうのも仕方はない。
しかし「胡散臭い」と思った人間の何割が実際に牛乳の研究をしているのか。
自分の目で何を見て来たというのか。
彼らが信じる常識もまた「胡散臭い」のである。
牛乳に苦言を呈する人の中には「ガンになりやするなる」といった類いの
話を出して来るのでそれも牛乳を知らない僕らからしたら眉唾ものだ。
ただ否定はできないのだ。知らないのだから。
教科書に書いてあったって教科書は絶対ではない。
これはぶっちゃけ厨房の頃から心底思っている。
余談にはなるが教科書というものは正しい知識を教えるものではない。
そこに企みがあるとかいうと陰謀論的だと思われるだろうが、
企みがあろうがなかろうが酷いものであることは明白なのだ。
何も知らない人間に教える為に苦心した結果の大惨事かもしれないが。
ファインマン博士の自伝にも教科書添削のシーンがあったが、
彼はそれの内容の酷さに机のものを引っくり返し続けて仕事をしたらしい。
僕の母校の理科の先生は常に教科書を添削して直したプリントを配っていた。
厨房の頃に受けた漢検の反対語も正直ぞっとしたものだ。
「戦争」の反対語は「平和」だと。いい加減にしろと思ったね。
閑話休題。
文科省が出してたって何人もの人間が見てたって、
その団体のヴィジョンが知能の向上でなければその点において
信用度なんてあったものじゃないのだ。
自分で調べて研究していたって仮説の部分はあまりに多い。
「この線が濃厚だ」程度のものなのだ。
数学や科学の授業でもその試験で必要とされた公式でないのに
答えが合ってたなんてことがあった人もいるかと思う。
僕自身がそんなことがよくあったので不思議だなぁと思っていた。
それが偶然か必然かなんてのは僕には断言できないが、
まぁ偶然の可能性が高いだろう。
そしての偶然が、こうも起きるものかと思うと、
今僕らが体験している世界では想像もつかないことが起こっているのに
人間が考えた法則が偶然にも当てはまって上手く使えてしまった。
そんな状況もアリエナイことではないと思う。
っていうか化学の実験レポ書いてる時によく起こらない?
要するに言いたいことは、
信じ易いことでも嘘はあるし、信じ難いことでも真実であるということ。
そしてそういったものに完璧なマニュアルがあるわけでもなく、
常に人々が探し求めて闇を彷徨っているということ。
そんな状況の中で情報の取捨選択を個人で行っているのだ。
多くの人間が信じてたって嘘はあるのだ。
「石油ショック」のトイレットペーパー買い占めだって、
「噂の伝達」の実験だったらしいわけで。
みんながトイレットペーパーがなくなると思い込んだって
トイレットペーパーはいつも通り生産されていたわけなのだ。
(買い占めが起こったから店頭からなくなることはあっただろうけど)
こういう話を人としていると必ず
「何を信じていいのかわからなくなる」という人が現れる。
僕も実際そう思うし、情報の選択も心底面倒だ。
「分業」というテクノロジーを捨てて一々プロになるのも難しい。
でもそれは「正しい答え」を求めるからそう考えてしまう。
そんなものはわからないし存在も危ういことがわかっていれば
自ずと答えは出て来る。
そう、これはジャイアン選びなのだ。
信用できる人間を、一人だと危険だから複数人、用意すればいいだけ。
共感できるとか信じたいとかだけでもいいし、
「この人にだったら騙されてもいい」というカリスマを信じてもいい。
「誰についていけば生き残れるのか」
大事なのはそこなのだ。情報の正しさなど二の次だ。
何かを信じるということはそれに身を任せるということなのだ。
悔いのないように、惚れた人間たちに委ねたら良い。
そして余力があったら自分で考えるのも大事。
惚れた相手でも合わない部分はあるのだから。
そういう個々の取り組みで「分業」は完成すると思っている。
弱点を克服できるのではないかと期待している。
もっといいテクノロジーが出て来るかもしれないし。
テクノロジーは今生きてる人間しか作れない。
最前線で科学者が試験管を振って出来るものではないのだ。
僕は人間の底力が見たい。きっとある。絶対ある。
自分たちの平穏を乱すもの、愛するものが脅かされるもの、
そんなものがなくなってほしいけどきっと難しいのだろう。
そんな風に弱らないでほしい。アリエナイなんて思わないでほしい。
アリエナクナイのだ。
人間が想像した程度のこと、この世界でできないことないどないのだ。
絶対解けないと捨てたパズルゲーム、答えがないことがあるか?
自分ができなかったからといって不可能なんてことはないのだ。
ただ生きるだけでもいい。
生き残って子孫を繁栄させるだけでも進化への貢献なのだ。
生き残らなければ進化さえできないのだ。
たかだか100年そこらしか生きられないのだから。
何億年も生き残らなければいけないのだ。
逆にテクノロジーの発展に全人生を掛けたっていいだろう。
そういう人間は子孫繁栄が難しいことがあるだろうが、
彼らが残すのは「ミーム」だ。「意思」のようなものだ。
人とミームが残り続けることが我々の発展の仕方なのだ。
これこそが理想的な「分業」。
ちなみにゴキブリもこれをやっている。ミームとは違うかもしれないが。
あの生命力と完成されたフォルムはそこからきているのかもしれない。
自縛されている世界はつまらないだろう。
生きてる楽しさがまったく実感できないだろう。
世界は面白いくらいに狂ってるぞ。
ひとまず物理学の動画見たらその非常識さに絶望するからオススメである。
(特に時間とか宇宙空間系)
人生は思考する為の猶予
この世に生を受けたことを、誰かに感謝するのは不思議な気持ちだ。
頼んでもいないし、正直つらいことも多いし、望まれてもいないし。
まともっぽい人間にならないと陰口を言われる世界だ。
僕はこの世界は好きだ。
空は常に顔色を変え、鮮やかに移ろい、時に不穏な色も見せる。
木々は萌えや枯れ、花は華やかさと恐ろしさを映し出す。
海は近付けば僕らの全身を包み、生かし殺す。
豊かさと恐怖。最高の支配者。彼らを越えられるものは早々いない。
存在するだけですべてを支配している。
それすらも支配しているのは物理の法則。
人の結束力。高め合う力。衝突。
すべての感情は人との間で生まれる。
喜び、悲しみ、怒り、寂しさ。
恐怖だけは一人でも感じられるから不思議じゃないけど不思議。
善悪なんて綺麗に別れるものはなく、
すべて正しい人間だってすべて間違った人間だって存在しない。
全員が色とりどりで覗けば覗く程、自分の理解が追い付かない程に濃く、
キャパ崩壊を起こしてすべてが空虚にさえ見えて来る。
空虚な人間など絶対あり得ないのに空虚に見えるならば、
多分それは理解できない内容だったに過ぎない。
それを理解しようとするだけでも人生が足りない。
僕が好きだと思うことは、生まれなければ体験できなかったこと。
そう、説く人は沢山いる。
確かにそうだろう。多分、きっと。
好きにならなければ生きられなかったのかもしれないから、
自分の感覚にはいまいち信用はないのだが。
それを理解していても、やっぱり感謝という気持ちは不思議になる。
していないわけではない。でも不思議な気持ちになるのだ。
義務と権利の所為かもしれない。
生まれ、這い出て、この世界の美しさを見る権利を得た。
そして、この生命体の種の保存の義務を申し渡される。
その現実に異があるわけではない。
ただ、利害の一致であり、使命である。
そこに「生んでくれてありがとう」の言葉は不思議だ。
勿論、健全な関係としては
「生んでくれてありがとう」「育ってくれてありがとう」という
そういったものが存在するのかもしれない。
それならば納得がいく。
片方が強要されている気がするから不思議な気持ちになるのだろうか。
でも僕は極最近ではあるがそれは頂けるようになった気がする。
それでも心の底で何か腑に落ちていない。
何か罪を逃れられた気がするのだろうか。
それとも自分を許せていないのだろうか。
僕が納得がいかないのは「親にだけ感謝する」ということかもしれない。
もっともっと感謝するべき人は沢山いる。
その人たちに一回も感謝を伝えていないのに、
親にその感情を思うのは何か違う気がしてしまうのかもしれない。
でももう感謝を伝えられない人もいるから、
自分に伝える能力がないから、余計に拗れているのかもしれない。
とにかく、とても複雑な感情を生むものなのだ。
生への感謝というものは。
だから、自分を殺したい程憎む人間には絶対言えないんだろうと思う。
ファッション鬱民には言ってしまうかもしれないが、
まぁもうわからないもんね。傍目には。本気か冗談かなんて。
だから別に生に感謝はしたくなったらしたらいいんじゃないかな。
した方が自分が健全に生きられるかもだけど、絶対的なものではないし。
人生苦しくって当たり前。悲しいことだってあるに決まってる。
そんな時に何かを憎んだり、感謝できなくなるなんて当たり前。
でも同意しづらい話だから誰も共感はしてくれないよ。それも当たり前。
時には本気で死ぬこと考えたっていいじゃない。死にかけたっていいよ。
それで前を向けるかもしれないならなんでもやったらいいじゃない。
命をかけて何かをやろうとしてるだけでももがいてる証拠でしょ。
不謹慎って怒られるよ。バカだって笑われるよ。
それでもやりたいんでしょ。やったらいいよ。
できれば一人で、考えてやれたらいい。
他のことは誰かとやった方がいいかもしれないけど、
自殺ってやっぱり犯罪になるだけにさ、失敗すると面倒なことが多いから。
人とやると足が付くし、ストップが効かないこともあるし。
別の事件に巻き込まれることもあるし、やっぱり面倒だよ。
一人で沢山調べて、自殺博士になって、やめたかったらやめてもいいし。
自殺だって遊びじゃないんだ。真面目に極めたらいいじゃない。
興味を持ってもらえたんだったら、極めてほしいよ。僕は。
ホラ、どの世界にもマナーってあるでしょ。自殺にもあるからさ。
久しぶりに自殺マナーに脱線したね。
昔の僕は馬鹿だけど結局根本は変わってないのだな。
好きなことしたらいいじゃんって思うよ。あくまで紳士的にね。
人の気を引きたいだけの自殺に何の感情もない糞みたいな感覚じゃなければ、
きっと絶対楽しいと思う。自殺の知識はすべてに通ずるから。
人体医学、物理、社会、別口ではオカルトにも行く人もいるだろうし、
毒に興味を持ったら毒学、薬学、化学。
本来勉強とは目的あっての代物。
一般学校の暗記だけで毒にも薬にもならないつまらない雑学なんかより、
興味が出たものを極めた方が頭よくなると思うよ実際。
もう何もわからなくて、考えるのも億劫で、
ただただ死にたいないし全ての関係性を断ち切ってしまいたい、
そんなことも思うことだってあるだろうよ。
不道徳と言われようが思ってしまうのはしょうがないだろうよ。
でも速攻で死んで無いんだったら、なるべくいい死に方をしたいなら、
別にいいじゃんやることもないんだし。夢中になれるよきっと。
自殺したいって思っただけで素質があるんだから。
ベッドで横たわってゲームしてるよりは虚無感はないよ。ホント。
あ、人を殺したいと思った人も同じだと僕は思ってる。
人殺しって色々あるけどさ、発狂したみたいなのって正直ダサくない?
傍から見ても不謹慎ながら胸が熱くなるようなことする人間って少ないよ。
誰から見ても格好良いと思える殺しを考えて下さいお願いします。
ニュース見ててダサさに鼻水が止まらないんです。世界にいけない。
フィクション作品ですらダサい場合が多いのつらいんです。
笑いながら血を求める的なのもうお腹いっぱいというか普通に古い。
僕はこっちも随時募集してるので興味しかない人は考えてカンヌ狙ってね。
まあ何でも殺しを推奨してるわけではないのだけれど、
頭の中くらい好きに考えたっていいと僕は思うのだよ。
それで現実が健やかに生きられるならいいんじゃないと思うのだよ。
無理して我慢して繕って破滅したりされたりするより、
よっぽど不謹慎なこと考えてるだけの無害な人間が一番いいのだよ。
みんなは違うのかな。バカ正直なアホに刺されたいのかな。
結局「生への感謝」については脱線しまくったわけだけど、
要は身が入ってないソレを聞かされ続けたのが問題なのかもね。
テンプレコピペ貼られてもなかなか感情移入できないよね。
そしてそれに執着する必要もないという僕の今の所の考えです。
不謹慎なこと考えて調べて思考し続けた末に、
「生」という問題に行き着くと思うのです。
「死」は「生」の一部で、「生」と「死」はイコールなんだから。
道の途中で感謝したくなったっていいじゃない。
最後までしないつもりでもいいんじゃないかな。
そりゃ、好かれることはなくなるだろうけど。
自分の心を騙してさえいなければそんな生き方だってアリだよ。
余談だけど自分の心を騙して進む道はつらいだけじゃ済まないよ。
仕事とかならまだ痛手は少ないし仕方ないと思えるけど、
生き方だけは自分に正直で居た方が良いよ。
「人間嫌い」とかよく聞くけど、本当に嫌いな人ってあんまり見ないよ。
人を気にしてるから嫌いって発想にまず行くんだろうし。
手に入らないから嫌いって心理が働いているようにしか見えない。
手に入る努力が難しいだけなら、なんとかして隙間を見つけた方がいい。
楽だと思える方法でなんとか低めの理想を叶えるだけでも違うと思う。
見栄の嘘で自分さえも騙すのはもっと苦しいことになる。
情けない自分を受け入れないことには万年厨房だから。
閑話休題。
大事なことなので脱線ついでに書きました。
結論が後から出て来た議題の方でいいのかと思うけれど、
このブログでは僕が法なので自由に書くよ。
見栄も照れも抜きにして、本当に興味があるなら、
それが外の世界でどんなに不謹慎なことでも、極めてみようと思ってほしい。
極めるまではブタ箱にも行く訳にはいかないし、死ぬ訳にもいかない。
暇つぶし気分だっていい。どうせだらだら生きるなら、楽しくだらけよう。
僕はいつも何かを探して生きているけど、
そしてそのとっかかりがネガティブなものばかりだけれど、
多分、ずっと、
この世界で生きられる気持ちの表現方法を探し続けてるのかもしれない。