SHOUT PIT -10ページ目

同じ穴

恋愛においてはクソクズマンを自覚せざるを得ない状況の肉です、今晩は。

 

僕には現在付き合っているという体になってる異性の恋人と、

なんか不思議な感じになってきた同性の友人がいます。

 

 

なんかトラウマ持ちのクソ童貞が拗らせたみたいな人間関係なので

整理したいと思うんですが、クズの自覚はあるのでどうか心穏やかに。

 

 

まず異性の恋人さんから。

小学校から高校まで学校が一緒だった同級生です。

存在を知ったのは小6ですが、中学の時に初めて一緒のクラスになり、

名前順が近かったこともあり友人になりました。

 

僕はムッツリドスケベなんですが、

小学校高学年〜厨房の時期は兎に角恋人に飢えていて、

好みとは別にチョロそうな異性を漁ってました。

っつっても結局ムッツリクソ童貞なのでヤリチンではないのですが。

チンコ出してオカズ探してるような状態だったんだよ。

 

つまり確信犯的にその異性に近付いたのは認めます。

でも誠意はあったよ?手は出してないんだもん。

(好みは考慮した方が良いというのはここで学んだね)

 

まぁ相手も流石僕の選んだチョロい異性だったので、

高校頃に告白されてしまいました。

しかしこの頃には僕もチンコが萎んでいて、誰でも良い欲はなかったんだな。

というわけで断ったんですよ。

 

そして大学の間はそれぞれ違う道を歩んでいました。

 

そこから再会したのは2、3年後かな?

僕からメールしたんだと思います。

その頃丁度、僕は大学を退学してバイトしてた時期でした。

バイト先で人間関係が拗れてしんどい毎日に頭がおかしくなり、

切れても痛手が少ない友好的なその異性に連絡を取ってしまったのです。

 

そこから2度目の告白を受けました。

正直、見た目も性格も好みではないんですが、

ここで断ったら数少ない友人が減ってしまうと当時の狂った僕は

その告白を受けてしまったのでした。

 

それから特に何の進展もなく日々進んでおります。

もうアレから何年っていう感じです。

 

僕の保身の為に(手遅れ)言うと、その異性には

「僕は大変優柔不断であり、君への好意も量りかねている。

君の人生を無駄にしない為にも常に捨てる決断をしてほしい。」

と付き合い始めに言ってるんですよね。何回か。

脈のあることもまったく言ってないしね。

むしろ怖くないですかこれで付き合ってる相手の方が。

 

ごめんね。圧倒的に悪いのは僕なんだけどね。

こんな態度を取ってると大概周りから「なんで付き合ってるの」って
言われるんですけど、これには複雑な心理が重なってくるんですよ。

まず一番は将来性っていうクズポイント加算案件なんだけど。
そこはまぁお察しだからひとまず置いてもらって、
もう一つがご本人様にもお伝えしたことに含まれる
僕の優柔不断な部分の問題なんですよね。

言ってしまえば僕は自分の気持ちを理解できないんです。
言語化できないというのか?モヤモヤした闇に現物を見せないと
今食べたいものすらハッキリしない人間なんですよ。

そして僕は自己嫌悪による好みの屈折があるので、
自分に興味のない人間が好きなんですよ。
最初に誰でも良いと思ったのもその所為なのかもしれませんが。
でもそれって意味が無いというか。恋愛にならんというか。
好きになられたら嫌いになるわけだから。

まぁそんなんじゃ将来的によくないと思ったので、
自分の気持ちを無視して現実的なものを選択したのが現在なんですよね。
相手は異性で、将来性も自分よりあって、何より献身的。
見た目は大分ブスだけど僕みたいなのには十分過ぎる人です。

だから付き合ってるんですけど。
生きるに当たって自分を信用できない人間というものは理解されにくいんだ。
実際クズだとは思うしね。


これが僕の今の「異性との恋愛関係」。
次は同性とのなんか変な関係の方。


こちらは高校から初めて一緒の学校になった同級生です。
部活動も一緒で自己紹介の時に僕のチョロセンサーに反応した一人です。

はい。その通り。こちらも僕から声を掛けております。
といってもこっちは同性なもんだから最初は純粋に友好関係を。

高校になって地元民が減り、クラスで友人が出来ずに焦っていた僕は
部活の自己紹介で逆裁4が攻略できないと言ってたその同性に
攻略法を教えるという手口で近付きました。

ゲームや漫画が好きという点で話が合った為にすぐに仲良くはなれました。

しかしやはり当時も萎んでたとはいえ思春期から抱えていた
欲求不満がピークを向かえつつある時期!
僕に不思議な化学反応が起こったのです。

その同性と接している時に
「こいつとつくった家庭だったら維持しようと頑張れる気がする」
という謎の感覚が僕の全身を襲ったのです。

ちなみにこっちも顔はまったく好みじゃないんだよな。
性格は異性の方よりは気が合う。ケチだなと思うことはあるけど。

この頃は周りも恋愛に余裕のある奴が増えてくるので
クソ童貞の僕はよくからかわれたものです。
多分それ故だと思うんで、自分が同性愛者かと問われたら胸を張って
そうだとは言えないんですが…、まぁ悪い気はしてなかったです。はい。
思えば厨房の頃から「異性には味わえない幸福」と体育の度に思ってました。

ただの欲求不満なのかバイなのかわからないんだよなぁ。

閑話休題。
まぁ、何か受信したのも何かの縁。
もし、脈があるならアタックも厭わないと思い、カマを掛けていました。
確信がないのでハッキリとアタックできないクソクズが通ります。

同性愛に興味があるか、どう思うかというダイレクトな質問もしました。
その時は「興味ない」とハッキリ言われてしまったので
僕は大人しく失恋しました。

そこでね。終わったと思ったのよ。僕は。

その後も友人として社会人になってからも会ったりはしてたんですが、
数年前から「ルームシェアをしたい」という話を相手が出してきまして。

まぁ、独立したいんだけど不安があるから一緒にどうだというノリで。
しかもその時は他にも誰か誘おうとか言ってたんですよね。
僕もいい加減家族の追い出しが激しいのでいいよって言ってたりして。

冗談的に流してたんですけど割と本気っぽくて話が進んで。
ついに去年には二人で同居まで話が固定されていたんですよね。

そして今年。なんだか同性の発言が怪しくなってきまして。
まぁ同性は大変な社蓄なんで心身共に疲れてると思うんで
ホント、発言に信憑性が薄れていくんですが。
「なんでもいいから結婚というものがしたい」と言い出し。

その流れで「結婚しよう」と言われました。

困惑が凄い。この話、ホントはもっと前フリが長いんですけど、
ホント長いので割愛します。
ただ、その結婚に恋愛感情は要らないという内容の前フリがあったので、
「本当に疲れてるんだな。チョロい人間と傷を舐め合いたいんだな。」
と、チョロ人間センサーを持つ僕は理解したんですが。

その後も自分の趣向を隠したいとかいう意味深な発言や、
服装を褒めて「口説きにかかってる」という謎の捨て台詞。

これは僕が担がれているのか?
それとも疲れで一番チョロそうな人間を癒しに使おうとしてるのか?
ガチで…いやなんかガチって感じしないんだよな…どうなの?
自分がこんなんだから人のことが信用できなくてなぁ…。

まぁ相手にも意気地がないなとは思うけどね。
結婚する気ならカミングアウトしないでも僕には開示しなきゃ…。
知らんぷりしてる僕も僕だけど。
傷付きたくないんだよねお互い。クソ童貞共だから。

困惑が凄いんだけど、なんか年甲斐も無くドキドキしてるんだよな。
多分、相手の好意がわからない所為で僕の病気が発動しないんだろう。
ある意味、上手く攻略された感じはする。まぐれかもだけど。
だってただの都合のいい人間だもん。金はないけど。

そう後、こいつには将来性はあんまない。
共働きでなんとか生きて行けるかな?程度だろう。

ただ子どもができないという安心感からか軽卒に性欲が湧くんだよな。
異性の方には興味としての性欲は湧くけど人間を前にすると萎むだよ。
まぁそんな心配は横目に童貞のまま生涯を終えそうでもあるけど。僕。

そうなったら預金全部卸して風俗いくよ。チックショ-



でもこの二人ともに言えることなんだけど、
僕は本当に何の勝負からも逃げてきたなぁということ。
折角のモテ期だけど、好みの人間に強いアタックをしてないんだよなぁ。
なんだかそれが心残りで。バカだったなぁとは思う。

いや、一応軽いアタックはしてたけど…。
高嶺の花が多くてな…。面食いだもんで…。恋人いる人多かったし…。


閑話休題。
異性と同性の間でンーってなっとる僕でした。
ちなみに同性の方は僕に恋人がいるの知ってるんだよな。そういえばだけど。
やっぱ担がれてんのかなぁ〜。まぁ疲れてるは濃厚な線。




ガキの頃は不貞や不倫が文化の話には首を傾げていたが…。
なんか最近…自分にその属性があるということをしんみりと感じてしまった。

クズは…考え葛藤し自罰しながら…、
どうしようもない自分の愚かさに突き動かされて流されているんだなぁ…。

そしてそのクズの周りもまた、同じ穴の狢なんだよな。

僕の目線はミクロ

自分も賛同する思想でも絶対数が多くなると臆病になる肉です、こんばんは。

近年のレインボーな方々の活動が活発過ぎて震えて眠っております。

元々僕は性癖や趣味趣向、思想といったものの多様性や自由は
ウェルカムでレインボーな方々の活動は快く思っていたのですが。

最近さ、圧が凄過ぎない?

単純に賛同者が多くなったんじゃないのって話なんだけどさ。
いやまぁ、そうだったとしても。こう圧が強いと引く気持ちあるじゃん。

こういうので怖いのは、肯定派の僕がこんなだから
中立だった人や反対派の人には大分堪えてるんじゃないかって思っちゃう。

自由思想だからこそ圧を感じると抵抗感が出ちゃう僕なんですけどね。


なんかさ、ミストのカルト集団ができあがってく行程を見てる時の気持ち。
そんな酷いことにはならないと思うけど怖いんだよ〜。
セロトニン足りてないのかなぁ!?


まぁ…多様性と自由を愛する僕なので…。
ある思想の絶対数が多くなったら僕はそこに懐疑の目を向けます。
全部が同じ思想になることが一番怖いからね。

懐疑的だからといって別に妨害したり否定したりするわけではないけど。
あの旗を快く見れない僕を多様性と自由の観点からお許し下さい。
安易だけど故にわかりやすくて受け入れ易い素敵な旗だと思います。
デザインも素人臭くて故に民草から生まれた集団っぽさが出てます。
第一印象はとても良かったです。ホントです。僕は捻くれてるんです。


本来、自由とは主張する必要もないものだと僕は思っています。
すべからず人々に約束されているものだと。

それは生物的な生存の主軸あっての話ですが。
何が生存の鍵になるかわからないですから。なんでもするべきなんです。
そしてそのなんでもする個体が多ければ多いほど、
種としては生き残る確率が上がっていくんです。

僕に取って自由とは模索なんです。


そういった考えは差別が緩やかだった僕の人生ならではかもしれません。
まずは否定されるし改めさせられるし受け入れられない。
受け入れるフリをして後ろ指を指す。なんか権利が少ない。変人扱い。
まぁこんな程度なんで主張をするという発想が湧きません。
殺されるとかないもんな。


なんていうか…口で主張するよりも
自由に生きてる姿を格好良いと思っちゃうんですよね。

勿論、勇気のいることだからまずは環境の方を変えていく…。
そういった発想を間違ってるとは思いません。むしろ正攻法だと思います。
同時に自由に生きている姿を見せているんだと思うし。


うぅん…でもなんだろう。なんだろうこの言い知れない不安。
僕はこの不安の正体を言葉で言い表せません。しっぽさえも掴めない。

ただ弱腰になってるだけでしょうか。ビビっているだけ?
そうならいいんですが。



まぁ…彼らが主に訴えたいのは個人にではなくて、
結婚や家族の在り方という制度や常識に訴えたいのだろうから、
声が大きくなるのは当たり前かもしれませんね。

僕はそれを個人が曲解するのが怖いのかもわかりません。

ファッキン小論文

社会問題に切り込んだ映画を視ると憂鬱になってくる肉です、こんにちは。

頭使うのが憂鬱なだけなのかなんかトラウマでもあるのか謎です。

 

まぁ、そんなことはさておき。

憂鬱な気分の中で思い出した思い出話をしたいと思います。

 

 

厨房の時に国語の授業で小論文を提出する課題が出ました。

その時の小論文は担当の国語の先生が採点するのではなく、

外注の採点者に送って採点してもらうというものでした。

 

テーマは「環境破壊と今後の対応について」みたいなやつだったかと。

 

その時はまだ厨二くらいで思考が自由だったというか、

点数を取りに行かない考え方をしてたんですよね。僕。

要は結構真面目に自分の考えを述べてしまいまして。

 

といっても環境問題について真面目だったわけではありません。

自分の考えを表現することについて真面目だったんです。

 

環境問題について言及したいわけではないし、

厨房が考えた内容なので以下に書く小論文のあらすじは

軽い気持ちで流して下さい。

 

 

一個人、環境問題に対する気持ちも平均的、知識も意欲も乏しい。

そんな個人が自分の暮らしをしながら環境の為にできることは、

環境に携わる人たちのルールに従いゴミ分別や

使用制限(エアコンとか車とか)をするくらい。

僕個人ができることはそれが限度。

 

環境改善に意欲的な人たちが常に時代の環境リーダーとして

その目的に対する指針を示してくれ、

僕個人はそれをできるだけの力で指示するのみです。

 

そして今の技術で解決できないことは多いと思います。

しかしそこで諦めず、環境改善最前線の方々が解決法を見つけるまで、

現状維持(悪化させない)を目指して個人は指針に従い行こう。

それが長引けば次世代にバトンタッチしていく。

解決法が見つからなければ次世代は大変かもしれないが、

きっと解決法は見つけてくれると信じている。

 

 

〜みたいな内容を書いた気がします。多分。

そしてこれが採点者にめちゃくちゃ不評で。笑っちゃった。

 

確かに他力本願ですよ。読んでいて気持ちいい内容ではありませんね。

採点者も気になったのがそこらへんだったみたいで。

「本人もわかって記述していますが、これは問題を先送りにしていることになります。子どもたち(次世代)に問題を押し付ける前に、自力で解決する方法を考えてほしいと思います。」

的な感想が添えられていました。

 

この感想で僕は子どもながらに「こいつ何言ってんだ?」って思いましたね。

小論文採点者の気持ちなんてわからんので、

素人が純粋に抱いた感情で言っちゃいますが。

 

 

そもそもよ?僕ら生まれた瞬間に環境問題は熱い話題だったわけですよ。

それこそ長い歴史もあり、公害だのは解決に向かいつつも、

次はやれ温暖化だCO2削減だとか言ってる最中です。

 

その問題を現役のガキに「どう対応していくか?」って聞いたのお前らだろ?

 

現時点で先送りにしてるのお前らだよね??

 

今の文明を享受してるだろとか言うなら僕の考えも間違ってないでしょ。

僕らの先の世代だってその礎で生活する予定なんだから。

 

そして人間の命なんて環境の変動に比べたら短いもの。

先送りっていうか、もう間に合わないだけなのよ。

 

だから僕的には大人たちを擁護するような内容だったと思うけどね?

君たちは先送りにしているけど仕方ないよと。

日本沈没させてないだけ偉いよと。教育に取り入れて偉いよと。

 

 

それがなんで僕が解決法考えなきゃならねぇみたいに

言われなきゃいけないんだよ?僕そんなに期待されてるの?嘘だろ?

 

 

別に何もしねぇなんて書いてねぇだろちゃんと読めよ。

僕は単に「適材適所」って言いたかっただけなんだよ。
環境に関しては僕は一個人としてできることしかできねぇよ。
ボランティアするほど能力も余裕もないけど、できることはするって。

それとも何か?休日は公園のゴミ拾いでもしろってか?
それで世界は何度冷えてくれるんでしょうね。根本解決を求むよ俺は。


まぁ僕も書き方が悪かったとは思うよ。多分。覚えてねぇけど。
もっと「環境改善リーダーの補佐をしていく」という部分にフォーカスして
自分なりの仕事というものを書いて行くべきだったかもしれないね。

同じ内容だけど印象は違ったかもね。
クソ面倒臭ぇけど小論文の授業としてはそこを改めることに異議はないです。


自分の意見を書けと言われて書いたら
内容否定されるとは思ってなかったけど。

否定っていうか、矛盾した突っ込みっつーか。

もっとこうさ…「一緒に熱く考えて行こうぜ!」みたいなんだったらさ、
ウゼーけど理屈は理解できるじゃん。

先人に責任があるとは言わないよ。言ってないし。むしろ擁護派だし。
発展は人類にとって常に初めてだらけなんだからさ。
失敗なんていくらでもあるじゃんよ。起きちゃったことはしょうがないよ。

巻き込まれ組は状況把握からで大変だけどさ、
そんでなんで俺らがケツ拭くねんって気持ちもある人はあるだろうけどさ、
まぁ、今生きてるみんなで対策考えようよって段階じゃん?
え?何?もう全人類環境改善の為に殉職しなきゃいけない段階なの?

巻き込まれ組にだって人権はあると思うんだけど。
楽しくのんびり生きる権利はあるでしょ。
なんで仕事とは別にせっせこご奉仕しなきゃなんねーのよ。
みんなでのんびり考えたらいいじゃん。

そんで絶対環境改善オタクが生まれるんだからさ。
そいつらが革新的な根本解決方法を考えるわけじゃない。
そいつらはもう仕事としてできるほど能力がある筈だし。

僕みたいな興味ない奴はそいつらが仕事しやすい環境作るのみでしょ?
美味しいご飯作ったり、安全な治安を保ったり、
面白いコンテンツで癒したり…。

無い知恵搾るくらいならそういう為になることするべきじゃん。

そんで、環境改善リーダーたちが見つけた環境にいいルールを守るのみよ。
ね。それしかできないっていうか、それしないとっていうか。


ホント、今考えてもクソだなって思う記憶。
何がクソって採点者じゃなくて、そういうバカが意味ないことを
考えてるフリをしないと通らない小論文システムの方よ。


ちなみに三年生になって受験を意識し出すとそこらへんが
抑えられる様になった僕は見事なんかの小論文コンテストで受賞して
図書カード500円だか1000円だかを貰いましたとさ。

こんな支離滅裂な文章書く人間でも頭悪いフリすると通るのが小論文ですよ。

要は採点者が好む内容をある程度わかりやすく書いてればいいんだ。
子どもらしく拙い思考を一生懸命巡らせて奉仕心を示す内容をね。
当選した小論文、内容忘れたけど書きながらクソ笑ってた記憶はある。
気持ち的にはホストとかそこらへんになった感じよ。ご奉仕文章。

その文章には根本的解決もなければ本人の考えもない。
何の意味もない虚無の文章。


バカバカしくなるよ、こんなんじゃ。




んー、ちょっと話がずれたかな。
そもそも外注の顔も見えねぇ採点者ってのがよくなかったよ。
そしてそんな奴が内容に言及したのもよくなかった。

だって一方的になっちゃうじゃない。

僕に言い訳をする暇がない。
僕の文章が拙くて実際の考えが表現できてなかったのかもしれない。
だとしたら採点者が受けた印象と僕の考えは違ったかもしれない。
その擦り合わせができてない内から否定されて終わりじゃあんまりだよ。

もっとディスカッションして、
「ああ、そう言いたいならここの文章を直せばもっと伝わるよ」とか
小論文としての完成度を上げられただろうに。

まぁ、普段は国語の先生が採点してくれるので、
その小論文が実験的なものだったから事故みたいなものだと思うしかないか。
実際、受験で採点する人はまったく知らない人だし、
そういう不条理的な採点に慣れる授業だったのかも。

はー、なるほどねー。
頭悪いからそういう観点にいかないのがねー。
試験の為の思考とかバカバカしいって思っちゃうところがねー。


まぁ、僕をよく知らないとかそれ以前に、
自分を棚に上げて人を問題先送り人間みたいにいってくるような人間を
(そういう不条理な人間に慣れさせようとしていたのだとしても)
許容できるほど寛容じゃないんでごめんなさいですねー。

つーかそういう人間に慣れさせるっていうことは
そういう人間を擁護するってことだから。
うるせーよテメーが改めろってやつなので。


普段人の言うことへーへー聞くけど、
納得できないと10年でも20年でも根に持つから面倒臭いよねホント。

どーこーしたいとか思ってるわけじゃないけど、
納得のいく説明をしてくれよって思っちゃうよね。

コミュニケーションって大事なんだなぁ…ホント。

僕のペット

僕の悪いところは「心の闇」を手放したくないと思っているところ。

 

幼少期のちょっとレアな体験ってそうそう簡単にできることじゃない。

勿論だけど、今からトラウマ作ってくるわもできない。

修正の効かないレア体験なのだ。

 

折角そのフラグが立っているのに、

無視して「正常」といわれる位置に属するのが勿体無い気がしてしまう。

 

そもそも僕はその「正常」世界に行くのに大変努力が必要な状況だ。

そんなつらい思いまでして得られるのは「正常」だけのなのだ。

 

つまらない、型人間のレッテルだけなのだ。

 

折角フラグが立ってたのに、みすみすつまらない人間に収まりたくない。

でもそのフラグをどう運用していけばいいのかはわからない。

 

しかし少なくとも、この闇がなくなってしまったら、勿体無い。

 

 

 

そんな心理から、僕はずっと「心の闇」を育ててきている。

勿論、反社会的行動をしたい欲求があるわけじゃない。

ある程度の常識は理屈的に覚えていたい。それはそれという感じ。

 

まぁただ僕はできた人間ではないので、それが結構難しいのだけど。

 

 

 

「お前は異常がないのに何故まともに生きないんだ」とよく言われるけど、

僕に異常性があるのだとしたらその「心の闇」を手放したくないところだ。

つまらない人間がみんな持つ感覚だと思うけど。

 

 

エサをあげて、育てて大きくして、そいつについて調べたり勉強して、

そいつを生かしたままどうやって社会生活を送ろうかとか。

普通に生きるのも大変なのにそうやって無茶してるんだけど。

 

最近ちょっと大きくなって来たかなぁとは思ってる。

少々モンスター化してるなぁとも思ってる。

でも全然、現時点では大人しい、変な奴ってだけ。

 

勿論、育て方を間違えたら悪い奴になると思う。

そんなちんけなことで捕まりたくないので僕はしっかり世話をしている。

 

 

どういう芸をするようになるのか楽しみなんだけど、

どういう仕込みをしたら面白い芸をするんだろうなぁ。

 

もう少し、調教師の勉強をしておけばよかったよ。
僕は育てるばっかりで全然面白い芸を仕込めてないや。


僕の可愛いペット。
どうなっていくんだろう。

暗黙の肯定

年上の友人と話してた時に、

ひょんなことから「母親は子ども好き」って話になった。

 

そうしたら友人は

「肉の食事事情から鑑みるに君の母親が子ども好きとは認められない」

と言ってきた。

 

友人は意思と自分の好き嫌いがハッキリしてる人なので、

少々手厳しい意見だとは思ったがなんだか不思議な気持ちになった。

 

勿論、友人は僕からの情報でしか母親を知らないわけだし、

その情報にも限度や偏りが必ず存在するわけで、

その中で言い切る友人も彼なりの琴線に触れるものがあった感覚は

受けるのだが。

 

僕自身も母親の話はほとんど人にしないので少々驚いた。

多分、してないからこそ母親なりの事情は加味されてないのだろう。

まぁ、それはしたところで友人からしたら言い訳に過ぎないのだけど。

 

 

でもなんか不思議な気持ちだった。

悪い気分じゃない。かといって手放しで喜ぶことでもないのだけど。

親を愚弄されたという感覚はない。

こらこら人の親にはもう少し言い方があるでしょとは思うけど。

友人は誰に対してもそうだから悪い気はしなかったのかな。

 

 

僕としては「僕が言った情報」や「僕の態度」とかではなくて、

「僕の食生活」について言及したところが面白いなと思ってしまった。

単純に意外な(慣れない)反応・発言に感心したのだと思う。

 

こういったことを僕に言った人はいなかった。

 

その友人も含めてそうだったけど、

僕の食生活で常に僕自身に責任を問うのが普通だった。

当たり前のことなんだけど。改革できるのは本人だから。

 

しかし、そこから「親の関心が低い」というのを

思うだけならまだしも言う人は初めてだった。

 

これは多分友人のその話への関心が強いからだと思う。

子どもや人やなんらかに対する「好意」に強い拘りがあるのだと思う。

だから、僕に対する行為程度の意気込みで「子ども好き」を

名乗り出ては欲しくなかったのかもしれない。

 

これはあくまで僕の勝手な推測だが。

この推測だと友人の日頃の発言と矛盾が生じる場面が出てきてしまうので、

確信がないというところは多い。少々解釈が違うかも。

 

友人の母親はしっかりした自分に厳しいタイプの人なので

そんなところも彼女の常識が厳格になる所以かも。

 

 

まぁ、友人のパーソナルや友人の発言の是非やなんかは

言及するつもりはありません。

僕自身もその発言の意図というのは量りかねるし、
そもそも友人自身、脊椎反応で「そう言って欲しくない」と
思っただけにも見えたので。

そこだけ取ってしまえば
「人がどんな形で愛を表現しててもその愛の大きさは関係ない」
或いは「愛の大きさで行動を制限されることはない」
とは思ってしまうのですが。
っていうかその友人自身がそういう発想を持ってた気がしますが。
これが生じてしまう矛盾点なんですけど。


まぁそんな難しい話はもうここではしません。僕もよくわからないです。
理論的な思考というのは本当に難しいです。


ここからは日頃僕が抱えていた感覚的なことになってしまうのですが、
僕は昔から母親の「愛してる」が大嫌いでした。

勿論、行動との矛盾が生じていたというのも強いのですが、
条件付きの愛情を感じる部分も多かったからです。
彼女なりの無知な中での試行錯誤した教育法が邪魔をしたのかもしれません。
彼女の言葉を信じるのであれば彼女の本心の屈折を認めないといけない。
それは無知な子どもには難しいことでした。

発言自体は潔白なので僕の違和感は周囲に受け入れられませんでした。

母親もそれをいうことによって自分には愛があるという盾を作っていました。
その言葉自体に嘘はないとも思います。

ただ多分、愛の定義が違うんだと思います。

そこに友人は引っ掛かり違和感を覚えたのだと思います。
友人は「それは愛玩」という表現を使っていました。


ここで僕は友人の常識範囲がわからないので
どうとも説明ができず言及できなかったのですが…。

愛玩の愛というが普通のなのではないのですか?

「可愛い」とか「愛おしい」とか思わせてくれるものを愛する。
それが普通なのではないのですか?
多少「うんこする」とか「憎まれ口を叩く」とかあっても、
まぁ「可愛い」と思っていれば許せる。(ここで嫌いになるのは問題外)
こういうのが愛ってことじゃないんですか?

愛するものの為に動くのは自分の快楽なのですから、
自分の快楽の為に頑張ったりすることもある。


ここで僕の中での愛は「趣向品=恋人」くらいの定義なんだろうと思います。
確かに字面にするとなんだか酷い感じもしてしまうのですが。

愛おしいものの為にそれを手に入れる・維持する為に
仕事を頑張って金銭を手に入れて投資する。
それのことを常に意識して考えている。
その時間が幸せであったりする。

要はこういう感覚を僕は愛と認識していたのですが。
そしてこれは母親は屈折してる成りに持っていると思っています。


ここに足りないのは対象との関係性でしょうか。
でも見返りを求めてしまったらそれは条件付きの愛だし、
必ずいい見返りがあるとは思えないし。(それは愛ではなく愛し合いでは)


友人は努力が足りないという感覚を持ったのかなぁ。
愛するものの為にする努力が足りないと。
まぁ、食事に関しても多大な言い訳があるんですがね。うちは。
結局良い訳なんだろうとは思うけど。



なんだろう、頭がまるで整理できてませんが、
僕が今まで感覚的に違和感を覚えていた事柄。
そして、それを断言してはいけないと抑圧していた事柄を言われた気分です。

大歓喜なんて感情はないけど、すっと肩が軽くなったのです。

やっぱり、愛玩動物くらいの扱いだよね?
でもそれって何が違うの?みんな子どもにはそういう感覚じゃないの?
可愛いと思って世話してるんでしょ?そういうことじゃないの?


愛玩動物と子どもへの愛の違いって何?


この手の話になると「まったくわからない」という感情が出てしまう。
わかりそうとか、勉強しようとか、そういう次元を越えてるというか。
データがないというか。




いくら子どもが可愛くったって自分の人権を放棄しろとは思わないし、
自分のプライベートは欲しいって思うよね。
であったら、子どもに注ぎ込み過ぎるのもおかしい気がするんだよ。
依存っぽいし。


確かに母親の「あっちいって」「面倒臭い」には子ども心に傷付いたけど、
今となっては彼女の人権としてそれは問題なかったと思っている。
言い方はあっただろとは思うけど。

でもそこに違和感があったのも確か。



まぁ、友人だって万能ではないから、
友人の意見が正しいとも正しくないとも僕は言えないのだけれど。


生まれて初めて、僕の違和感を肯定された気がして。
だからなんだってことなんだけど。

頭はこんがらがってはいるけど、
心のわだかまりが消えたような、

不思議な感覚です。



生まれて初めて、こんなに心が晴れている。
イドが晴れててスーパーエゴが曇りって感じ。



今、初めて。

つらくない。



つらくないって、こういう状態だったんだ。



生きれそう。