桂宮 宜仁さんが亡くなった。この人との出会いは記憶にない。
高校を卒業してから、我が家を訪ねてきた時に、幼い頃、何度か来たと言うのだけど記憶になかったので、もしかしたら、弟さんのほうと一緒にしたんでしょうな。ほら、三笠のおじさんという固有名称でよんでたからというと、弟?そういうものかと言いつつ、なんだか納得いかない顔をしていた。
我が家を尋ねてきたのは、寛仁親王と一緒に、いろいろと考えているのが露見したからであった。桂宮は、皇族全体としては皇族の男子が高齢化するのを問題にしておらず、旧皇族を女性皇族に輿入れさせて、男子が生まれれば皇族とする案も反対であり、手を引くように説得しにきたと語った。
桂宮自身の考えとしては皇族は減らすべきであり、自分も皇籍離脱を念頭にNHKで働いていたが体調を崩してしまい、それも不可能になったと。
私が、皆いなくなってしまえば大事でしょうと答えれば、いや、いなくなってしまっても良いんだと答えられた。衝撃的な返事に、私が答えを窮すると、意外な人物が家にきた。
寛仁親王だった。なんでも集まりがあって、17時位まで時間を潰しによったそうだが・・・そんな遅くから、始まる集まりなんて本当だろうか?居間に入るなり、桂宮を一瞥し、やっぱり此処にいたかと一言発言したのも怪しかった。
桂宮が、寛仁親王に俺の方が兄なんだから、ここにいたという発言はないんじゃないかな?と、ニヤリと笑いながら言えば、おまえが!?誰がそんなことを!と、寛仁親王が驚いた顔で言い返すので、思わず、え?お兄さんじゃないんですか?と聞き返してしまった。
寛仁親王は、一回、深呼吸すると、どうしてアイツが年上だと思ったと聞かれたので、親王より、桂宮の方が名前的にカッコイイし、威厳がありそうと答えると、そうなんだよなぁ・・・名前的に、そう思うようなぁというので、いえ、そうではなくて外見や立ち振る舞い、全て含めてと答えると、卓見!今のは傷ついたぞ!冗談でもやめてくれと答えるので、もしかして、こっちの方が兄なのと、母に聞くと、母も苦笑して、兄弟の順番を教えてくれた。
この時、TVでみたスポーツの宮様が一番下の弟なんだと聞かされて、お二人と違って母親に似たんですな。二枚目ですよねと答えると、俺が一番二枚目だろと答えると、さすがに場が引いたが、気を取り直して、でもよ、昔はコイツが一番カッコよかったろと桂宮を指差した。
いやいやと照れる桂宮を尻目に、昔さ、気取って長い髪をサラッと流していてよ。俺も、ああいう髪型にしたいと思ったもん。俺、憧れてたんだぜというと、桂宮が笑いつつもありがとうと答える。その光景に、へぇーなどと言ってたら、桂宮が、どうも俺のこと、なんにも憶えてないんだよと言い出した。
寛仁親王が驚いた顔で、え?おまえ、本当に憶えてないの、俺より、こいつに懐いていたじゃんと寛仁親王がいうと、母は、大笑いして、一言いった「おまえは本当に薄情だねぇ」この一言を言う機会を、今か、今かと待っていたのだろう。
寛仁親王が、本当に思い出せないのか、今は、こんなヤクザみたいな面だけど、昔は、おまえの好きなジュリー(確かに二歳くらいから小学校位までレコードを買って貰う位すきだった)みたいな長髪でさと言われ、ああっと一瞬、そういえば、そんな人も来てたようなと思い出しそうになったが駄目だった。
桂宮がヤクザとかいうけど、さっきソックリだと言ってたぞと、私を指差すと、おまえ、これと俺が似ているのかというのか!と言いだして、みんな大笑いで、和やかな雰囲気になった。
実は、二人は私を驚かそうとして、別々に来たという展開を心の中で期待したが、やはり、皇族男子の数を維持すべきかという問題で、二人は議論し、一歩も引かなかった。
桂宮は、皇族男子を維持する方法を問題としているのではなく、皇族が増えることになるかもしれないということを問題にしていた。
私は、一度離脱した旧皇族が、皇籍復帰を望むほど厚顔無恥ではないと思っていた。が、現実は桂宮の危惧したとおりであったのは、皆さん御存知のことだろう。私が浅はかだった。寛仁親王は、最悪の場合、結婚相手位だったら、入れてやっても良い位に考えてると答えた。
大胆な考えだなと思ったが、もし、それを望んだとしても法改正の過程で却下されることを折り込んでの発言だろう。よく、これは国民は許してくれるだろうか?と似たような事柄を私に質問してきたからだ。そのような時に、私は、我ら民草としてはと返答をしていた。国民主権の時代であり、朝廷の臣下ではないから、臣としましては~なんぞと答えればおかしいからだ。
Wikipediaをみて知ったのだが、この民草と言う言葉が寛仁親王にうつってしまい、後に海外メディアに問題発言として扱われてしまったのは心外なことだ。
三国人もそうだが、日本で、過去に用いられていた古い単語の意味を解さない、無知な外国人による難癖は非常に迷惑だ。彼らの権力者を叩ければ、なんでも良いという下衆な指向は非常に不快に思う。それを真似れば一流のマスメディアだと勘違いしている日本のマスコミもだ。だが、私が一因で、寛仁親王に迷惑をかけたことも真実だ。誠に、誠に申し訳ないと思う。
そんな二人の激論が15時から17時と続き、我が家の飯時が近くなってきたので、家の母が食べていきます?と尋ねると、頃合だな二人とも出かけるよと寛仁親王が答えた。桂宮が、勝手に答えるなと答えたら、寛仁親王が何いってんだよ。行くとこがあるんだろ?と冷やかした。
桂宮の顔色が変わり、なにか言いかけたが急に黙ってしまった。勝ち誇ったように寛仁親王が、コイツには行くあてがあるから、大丈夫、大丈夫と、ニヤついた顔で答えながら、車椅子を用意する。
いや、いい、一人でやると明らかに不機嫌な顔で桂宮が抵抗するが、遠慮すんなよ。一人なんて無理だろうとニヤついた寛仁親王が、玄関先で車椅子をひろげる。さすがに溜まらんなと思い、ちょいと、お待ちくださいと声をかけた。
我が家一階部分は車庫なので、玄関先で折りたたんである車椅子を広げるのは気が早い。まぁ、簡単に言えば、寛仁親王は桂宮に、ちょいとした嫌がらせをして楽しんでいたのだろう。
ここで、椅子を組み立てるのは気が早いですよ。あっしが桂宮を運びますから、下で車椅子を持って待ってもらえますか?と声をかけると、嫌がらせを中断されて不機嫌になったのか、なんで時代劇みたいな言葉遣いなんだよ。俺がやるからいいってと文句を言い出したので、じゃあ桂宮を、お願いしますと頼み、階段を降りて車椅子を用意したが、二人が降りてこない。
気になって玄関まで行けば、桂宮と、桂宮に肩を貸した寛仁親王が言い争っていた。一人で行く、いや、無理だろと。さっきまで、二人が議論していた内容と、目前で繰り広げられる二人の子供っぽい言い争い呆れて、ぼうっとみていると、二人は照れくさそうに、ひょこひょこと降りてきた。 右手で家の壁に押し付けバランスをとりながら降りてきたので、桂宮の右手が汚れてしまった。
なんか拭くものを持ってきますねと言ったが桂宮は断った。余りにも降りる速さが遅いので、寛仁親王は途中の踊り場で肩を貸すのをやめて、桂宮を抱きかかえて残りの階段を降りた。
最初、桂宮は抵抗していたが、寛仁親王が頼むから手間をかけさせんなよというと、兄貴が手間をかけさせたんだろと反論する。そっちの問題じゃねぇよ。兄弟なんだからさ、素直になれよというと、抵抗をやめたので、桂宮を抱えた寛仁親王は階段を降りて、私が抑えている車椅子に、ゆっくりと桂宮を載せた。
私が、ほっと、安堵の一息をつくと、寛仁親王が、いやぁ昔を思い出したわ。昔はイジメられて泣かされたら、俺に助けを求めに来るくらい素直だったのになぁというと、桂宮が、コイツ嘘ついてるから。俺を一番いじめたのはコイツだからとニヤリと笑いながら寛仁親王を指を差す。
ああ、やっぱり兄弟だなと思いつつ、確かに悪い冗談ですよねぇ、皇室の子がイジメられるなんてというと、いや、そんなことはないと二人に思いっきり否定された。さっきまでの争っていたのは嘘の様に二人して、いろいろと捲し立てるので、仲が良いことですな。もしかして、今日は二人で私をからかうために示し合わせて参ったのですか?と尋ねれば、二人は偶然だと真顔で否定した。
じゃあ行くぞと寛仁親王が車椅子を押しつつ言えば、今日のところは許しておいてやると返す桂宮。やっぱり、桂宮が兄なのでは?と、私が疑念を口にすると、寛仁親王は非常に落胆した表情を見せ、さすがに桂宮が、いやいやそんなことないからと笑いながら否定した。
その姿に、ほら私より、兄弟で助け合った方が、ずっと楽だし身分も近いのですから、分かり合えますよ。考えを改めたらどうですか?と答えると、二人がどっちだと聞いてきたので両方と答えた。そりゃないだろうと答えつつも二人の中に思うところがあったのだろう。もう一悶着あったが、二人は仲良く、秋空の夕日に向って車椅子を進めていった。その時はバス亭のある八丁目線に向うのだなと思った。まあ、これで暫くは尋ねてこないだろうと思ったが予想が外れた。
二日後、仕事明けで寝ている私を母が起こした。なんでも寛仁親王が尋ねてきているのだという。まさかと思ったら、本当に居間のソファーに陣取っていた。
よぉ!こんな時間まで寝てるとは庶民とは良いご身分だなと、夜勤あけの私に言う。母が夜勤で寝てないんですよと抗議したら、俺達にはそんな自由さえもないぞと真面目な顔でいわれたが、面倒なので、いやいや、別に寝たい時に寝る自由はあるじゃないですか、貴方の睡眠を妨げる法律はないから好きなだけ眠れば良いのでは?と、惚けて答えると、周りが許さないんだよと答えるので、そりゃ人権侵害ですな。こんど思いきって、好みじゃない公務の時に寝れば良いんです。それで皇室不適格だのなんだの非難されて追放されたら、お望みどおり皇籍を離脱できて自由な暮らしをできますぞと答えたら、それじゃあ駄目だろ!減らしてどうするんだよと呆れて笑い出した。
続けて、今日は、やけにトゲがあるな。なにが気に喰わないんだと聞いてきたので、私が桂宮側へと裏切ると疑っているのが気にくわないのですと静かに答えた。
寛仁親王がビクッと、一瞬、反応しつつも、そんなことないぞと答えた。わかりやすいなと思った。そういう隠し事ができない性格の人だからこそ、腹黒いことは苦手だろうから、是非、手助けしたいと思ったのだが。しかし、この時点で一つだけ、寛仁親王が隠し切っていた事実があった。
それはさておき、ならば何故、いくばくも経ってもいないのに参ったのです?と聞けば、いや、何時こようが人の勝手だろと言いつつ、懐から財布を取り出し、一枚の写真を抜き取ると、今日はオマエに可愛い女の子を紹介しようと思ってなという。
母が写真を見て、大きくなったわねぇなどという。私が、娘さんがいたんですか!というと、流石に母が呆れた顔で、あんた、そんなことも忘れちゃったのかいという。なんとなく二人ほどいたのを思い出したので、ああ確か娘さんが二人ほどいましたな。結婚なさったんですか!こりゃ目出度いというと、寛仁親王が目出度いか?実は、まだ相手がいないからな。おまえ、結婚しろよと言い出した。あまりにも、ぶっきらぼうに言うので冗談だと思い笑うと、冗談じゃないぞ。来年で高校を卒業するからな。おまえが責任取れよと言い出した。
無茶苦茶な言い振りに、皇族という身分によって自由を制限されていると批判している貴方が、娘さんの自由を制限してどうなさるんです!と激高して思わず答えると、何が忠臣だ!俺の命令一つ聞かないじゃないか!と返してきたので、そんなに言う事を聞く人物が欲しければ、旧皇族の様に金に汚く、性根や、生まれの卑しい奴らを幾らでも周りにおきなさい。忠臣は奴隷ではないし、主を諌めてこそ忠臣です。貴方が、そんな有様では先が思いやられますぞと答えると、いや、すまんと素直に謝ってくれた。こういうところは憎めないのだが。
母が、言うことを聞かないと言いますけど、この子はナガコさんに貴方と縁を切れって言われても、それだけは頑なに抵抗してたんですよ。貴方から、今度、直接ナガコさんに申し開きをしてみたらどうですか?というと、寛仁親王は押し黙ってしまった。更に母が畳み掛けた、大体、大学へは行かせないんですか?皇族の方なら、学習院大学とかに進学しなければいけないじゃないの?と言われて、別に学習院大学に行くって決まってるわけじゃないよと答えるので、母に話をそらさないでください!大学には行かせるんでしょ?と聞かれて、ああ、もう、この話はなしでいいよ、なしで!どうやら寛仁親王は結婚するという言質が欲しかった様だった。
このあと、一つ二つ、世間話を挟んだ後、寛仁親王が、こういう皇族関連の話題を離れた世間話もいいよなと言い出したので、母が同意しつつ、最近の貴方の動向がおかしいんですよ。卓見に関係のない話を持ち込んでと答えると、関係ない話でもないだろうと寛仁親王が答えつつ、大体、関係ない話なら、昨日、なんで桂宮様が、わざわざ、こんなところへ御足労なさったんだろうなぁ、卓見ぃと、こっちに話を振ってきた。いやぁ、身分の高い人のかんがえることは良くわかりませんわと答えると、良くわかんねぇってことはないだろ。なに話したんだよ。教えろよと、聞いてきた。
寛仁親王がくる十五分ほど前に話した内容は、とくになかったので、(冒頭の覚えてない?とかあたりだ)特に話すことはないと答えたら、それはないだろうと、しつこいので、一つ意地悪を言いたくなった。
寛仁親王は皇族の危機だと、おっしゃいましたが、どなたが味方で、どなたが寛仁親王の意見に反対しておられるのですか?と、すると寛仁親王は黙ってしまった。
やや、間があって口を開くと、実は、皇室会議というところでだな、全員揃って話してないから、誰がどういう考えかわからんのだという。
(こうやって隠し続けたわけだ)
しかし、桂宮は全員反対しているといってましたし、ナガコさんも皇族なんですか?とても怒ってましたよというと、あー違う違う、あれは関係ない。ただのボケた婆さんなんだというと、母がエッ?と一言いったあと睨んだので、寛仁親王は、いや関係ないことないな。でもボケてるのは本当だぞと、少し意見を訂正したが、正直、電話ではボケてる様には思えなかった。
私が訝しむと、大体な、コソコソとでかけるアイツが悪いんだよ。知ってるかアイツは愛人を囲っててだな、おまえの家に来たのも愛人の家に寄るついでなんだぜとニヤリと笑いながら言った。
雑誌でなんとなく、そのような見出しをみかけた記憶もあった。見出しとしては先が長くない皇族の財産目当て謎の女性といったものだった。桂宮、いやこれは名前じゃないので、宜仁さん(さんをつける歳ではないだろと言われたが、つけさせてもらう)本人は亡くなったら皇族じゃなくなるから、よろしく頼むからなと言ってたっけ。
宜仁さんが亡くなった時に、ポスト、現代、文春、新潮etc(女性週刊誌も酷かったな)各週刊誌が謝罪の一つも載せずに手のひらを返して美談として、新潮あたりが内縁の女性のことを記事にしているあたり調子の良いもんだと思った。
そんな話をされてもと困っていると17時になり、おっと時間だと言い出して、寛仁親王は出かけようとした。前回は中止になったので、急遽、今日になったのだという。事実関係はわからない。
普通に機嫌よく家を出て行った寛仁親王だが、貴族らしく次の手は打っていた。二、三週間後位に久しぶりにナガコさんから電話がきた。
やたら上機嫌なので理由を聞くと、話は聞いてますよ。やっと決心なさったようですねという。なにがですかと聞けば、隠さなくても良いのですよと、嬉しそうに答えた。なんでも私が結婚するという。
誰が相手ですかと聞くと、さすがにおかしいと思ったのか、寛仁の娘と結婚するのではなかったのですかときた。・・・やられたと思いつつも、ナガコさんが皇族であることを知らなかったことや、桂宮が来たことなど、今までのことを正直に話した。
さすがに桂宮が来たことを聞くと驚いた。私より、桂宮の病状について詳しいからだ。私は、ただ単に足が悪いので車椅子なんだろうと思ってたが、実際の病状を聞かされ驚いた。
ナガコさんが皇族であることに気がつかなかったことは良いけど、桂宮の病状は報道でも流れているのだからと怒られてしまった。
そろそろ、寛仁の叛乱ごっこに付き合うのはやめにして身を固めてはどうですか?といわれたので、いやぁ庶民の産まれですから、皇族のかたなんて、とてもとてもというと、色々いわれたので、でも、相手の方も進学せねばならないでしょうというと、じゃあ一緒に学習院はどうですか?と言ってきた。
ある人物の母親が学習院を馬鹿にして、子供を慶応に入れたことを非難しつつ、ここで以前話した皇學館は衰退した駄目なところで、國学院か学習院へ進学したらどうですという話になり、進学を勧められたのだが、金銭面で難しいので辞退させてもらった。
なにより、村山富市、河野洋平、武村正義が、亀井静香というか統一教会の肝煎りで作った反創価学会組織、四月会に在日系右翼とベタベタな飯坂良明という学習院大学名誉教授がメンバーにいたので、母は絶対に学習院へ私を進学させたくはなかった。
しかし、それを口にしてはいけないと言われた。もし口にすれば飯坂の人生は目茶苦茶になるからだという。
正直な話し、そんな奴どうにでもなれと思うが、あの優しい人が、そんな真似をする訳ないと思ってた。大げさなことを言って、からかうなぁと笑っていると、あんたが優しいと思ってても、世間じゃ恐ろしい人なんだよというけど、一面だけとって恐ろしい人いうのも勝手なもんで、池田徳真さんも身内には、少々悪くいわれたけど、この二人は、他人の子に対して厳しくしているところは見た事がない。ただ、石をぶつけようとするなどの度が過ぎた悪戯した場合や、非常に失礼な物言いをした時くらいだ。
非常に失礼な物言いといっても、礼儀作法などの類ではなく(生れや身分によっては習わないからだ)、差別的発言など、もっと人の根源的なものだ。
例えば小学校の頃、K・Nというクラスで一、二を争うほど番背が小さいのだが、鼻っ柱だけはクラス一の自称上流階級な輩が居た。他の友人達と我が家に遊びに来た時に、Kは徳真さんの前で、私のこと貧乏人の生れなどと言い、私の家をさして貧乏に相応しいあばら家と馬鹿にしたのがいけなかった。怒りを買い制裁をもらったようだ。(叩いてないぞ、あんな汚いもの触れるか!あんなものコレだコレと、手の甲をみせ、頑なに叩いたという表現を用いることに抵抗したのには困ったが)
徳真さんは、石の投げあいなど負けて泣いて帰って来ると、それでも男かという人で、少々の乱暴で怒る人ではない。子供同士の喧嘩なんかもニコニコ笑いながら見つつ、余所の子供が生意気な口を聞いても元気なものだと、好々爺然と応じる人だが、こういった差別的な発言は好まなく、徹底して嫌った。こういった人達は、人品に劣る行為を嫌う、そういう激しさが誤解されているのではと思う。
過去になにかあったかもしれないが、自分の知っている二人は、そんな事をしだす人物には思えなかった。過去のことにとらわれず、今の姿を見なければならないと思うのだが・・・
母もナガコさんを悪い人とは思ってなかったが、生きている間に創価大学へ入れるのは失礼だと思い、じっと機会を待っていたのは事実だ。
電話の後、数週間ほどで桂宮が来た。以前より、打ち解けた感じで、明るさがあった。開口一番、電話で喋ったのかと聞かれたので、確かになんとなく、桂宮が言うように反対されている皇族の方が多いのは理解できましたと答えた。
まだ、兄貴の味方するの?と聞かれたので、いえ、個人の味方ではなくて皇統を保つためですと答えたら、桂宮は、そろそろ君も、お払い箱かもしれないよ。竹田君って知ってる?彼を味方に引き入れたそうだからと、昨日、聞いたことのある名前だったので、もしや慶應の?聞き返したらドンピシャだった。
そんな優秀な(まったく知らない相手なので、当時はそう思ってた)人がついたのなら千人力ですな。私もやっと楽な生活がおくれますと答えた。
大体、竹田恒泰を、はっきりと認識したのが、99のバラエティ番組で、昨今、精神をやられてしまい、気が狂って久しい岡村と一緒に伊勢を散策した回だ。
このころは、あー礼儀正しい学究肌の人かな?というイメージであった。皇族や、関係者で悪く言う人が多かったので、拍子抜けした感じだった。
TV番組放送より、少し前のこと、道久王(仮名)に息子が居ないので、養子を取るんですか?と聞いたところ、おう、興味があるのか、おまえは血筋がな。まあ、改心して精進するなら考えて、やらんでもないと言うので困りつつ、私は学会員ですから無理ですが、オリンピックの竹田さんとか、伊勢が好きなんでしょう?昔、ながこさんに聞きましたよ。あの人なんかどうですか?と話を振ったら、おまえはアレ(竹田家は北白川家の分家だ)が、うちの分家だから名案だと思って口にしたんだろうが、あんなもの養子にできるか!おまえは会ったことがないからわからないだろうが云々と、怒髪天を突く勢いで(電話越しでも向こうの怒りようが伝わってくる・・・)説教されてしまった。
こんなことがあったので、TVを見た時は、いや、そんなに酷くなさそうだな。と、当時は思ったが、そのイメージも一年ももたなかった。
むしろ、今となっては怒って当然な人物の名前を口にしてしまったなと思う。
竹田恒泰は竹田研究会で、天照が元は男性神だったという説
―平安時代、武士の権勢が強まると発生し、江戸時代に再び盛んになった説で、幕府の時代だからなのか、本来、南方系の女神天照を、東照と同じ北方系統の男性の太陽神(古代朝鮮の天帝など)に貶め、日光が伊勢より上であると幕府の支配体制を強固にするため盛んに提唱されたという背景があった。
歴史学者が指摘する日本の女帝が、中国のように簒奪者ではなく、朝鮮のような統治能力のない中継ぎでもないという日本独特の道を歩んだのは、天照が女神という事実も一因であろう。惜しむらくは推古天皇が後を継がせようとした、竹田皇子が夭折してしまったことだ。
―を支持、展開しており、自説の裏付けとなるべきめものを求め、竹之内文書、秀真、など偽書を当たっているという。竹田恒泰の古事記を出版している学研の雑誌『ムー』あたりなら、主張しても許される説かもしれないが、その場合でも明治天皇の玄孫という肩書きや、旧皇族という単語を用いるのは許されないだろう。
ましてや記紀を否定し、偽書へ自説の輔弼を求めるなどという、日本の伝統を守るどころか、破壊するという正反対の行いをしている人物を、世間話のつもりで養子に推薦されたら、伊勢神宮の大宮司ならずとも激怒するところだろう。これは失礼なことを言ってしまったと思う。
岡村も、自身のラジオ番組で、号泣会見で有名な元兵庫県議・野々村竜太郎の水の飲み方が、ネット右翼がネット上で広めている朝鮮飲みで、会見中に水を飲んでいるという。
ネットで流布されている画像、漫画『美味しんぼ』によれば朝鮮人が目上にたいしてやる飲み方で、片手で口元を隠すやり方だが、ネット右翼が朝鮮飲みと指摘している写真には、ネット右翼が気に入らない人物が、右手でコップを掴み、左手は軽くコップに添えながら水を飲んでいる写真しかない。・・・明らかに違うのだが・・・
http://news.livedoor.com/article/detail/9009067/
どうやら、岡村は竹田の毒気に中てられて、神道でいうところの穢れてしまったのだろう。
まだ、兄貴の味方するの?頑固だなぁと余裕綽々で答えるのが気に障ったので、そういえば件の愛人の方、札幌にお住まいのようですなと言うと、一瞬、真顔になったけど、誰に聞いたのか聞くので、寛仁親王ですと正直に答えると、アイツ喋ったのか~アイツ本当に口が軽いよな。だから、今度の件も、いくら頑張っても無理なんだって!アイツがやってるかぎり、わかるでしょ?と畳み掛けられたが、いや、これは世間から隠すものでは御座いません。
むしろ、国民みんなに周知せねばならないことですと答えれば、真顔になって皇室を残して国民は喜ぶと思う?と聞いてきた。
すかさず、勿論で御座いますと答えると、イライラした顔で、そういう儀礼的な答えはいいよ。皇室が残って国民は喜ぶのかい?と、再度、尋ねてきたので、なくなれば惜しむ国民が多数だろうけど、大半がなんとなく無くなるのが惜しいと思っている感じじゃないかと思います。
実際、跡継ぎが無くなって絶えれば、無理に続けようとはしないで、皇居に皇室記念館とか作って歴史として親しむ程度で、殉死する者など殆どいないでしょうなと答えると、そこまで慕われている?と驚いた顔で尋ねてきたので、ええ、その程度ですよと答えると、これでその程度か・・・と考え込んでしまった。
チャンスだと思い、もし、体制の変革で皇族が追放されたり、例え法律で穏やかに皇室が解体されたとしても、それに変わる連中が同じ地位につくだけですよ。せっかく、実権はないけれど、世間に微妙に影響を及ぼすことができる存在、皇室は独裁者に三権を掌握されても、三権の外から日本をまともに戻すことができる貴重な存在です。
(まさに現代日本の右傾化を押し留めれたのは陛下の力添えがあってこそと思う)
これを潰すことは日本のためにならないのですと、畳み掛けると、そうかぁ・・・と一瞬考え込んだが、でも増やすのは賛成できないなとニッコリ笑って否定された。その無邪気な笑顔をみて、やっぱり寛仁親王と兄弟だな。同じ様な顔で笑うもんだと思った。
そこへインターホンが鳴り、一人の女性が尋ねてきた。これが彼女との初めての出会いだった。時間になっても家の外に出ない桂宮が心配になり、思い切ってインターホンを押してみたのだという。
待たせてたとは・・・桂宮は、ほら会わせてやっただろとうそぶいてるので、悪いと思って、あっ、すみません!今、桂宮出荷しますから、と答えると、いえ、慣れてるんで一人で大丈夫ですというと、緊張した面持ちで答える。ああ、世間の噂を気にしてるなと思い、世間じゃ酷いことに、アンタのことを愛人だのいうけど、私らは、そう思ってませんぞと答えると、彼女は、愛人ですか?それが妥当な表現かもしれませんねと、ニッコリと初めて笑った。一寸の澱みもない明るい綺麗な笑顔だった。その裏表のない笑顔に私は確信した。
この人は週刊誌に書かれているような個人の名誉や、桂宮の身分目当てじゃないと、思わず私は、お二人の結婚、応援させてくださいと口走ってしまった。
彼女は困った様に、それは無理だと思いますと答えた。ああっ、失礼しました。自分は男女のことには疎いもので、無理に結婚などと謝ると、いえ、そうじゃないんです。確かに一時期結婚を考えたことはないとえば嘘になります。けど、諦めざるを得ないですと、言ったあと、少し恥らいながら、私、あの、そのバツ1なんで、周りが許さないだろうし、あの人の立場もありますからと答えた。
つまらないことを聞いて、すまないと私が答えると、桂宮の車椅子をミラージュだったかスターレットだったか忘れたが、彼女が丸味のある車体のトランクに車椅子を積み、後部座席に桂宮が搭載されるのを見送った。(微動だにしない、まさに荷物)
桂宮も慣れたもんで、照れないで至って普通にしている。二人の関係の長さを覗わせた。窓をあけて、桂宮が、じゃあ、またなと言うので、また、来るんですか!と母と一緒に驚くと、もちろんさ、おまえが兄貴の手伝いをやめるまで来るというので、何時でもどうぞと言うしかなかった。そう答えつつも私の頭の中には別の考えが占めていた。
週刊誌に(税金だから実際には払われるはずのない)遺産目当てなどと誹謗中傷され、内縁の妻と陰口を言われる位なら、いっそ結婚させちまえば良いと思った。
結婚させれば謂れのない中傷がなくなる。離婚暦位どうでもいいじゃないかと、二人の結婚を認めるのなら、寛仁親王の手助けはしないと提案したが、島津さん、北白川さん、いろいろな方々、(特に、こういった問題なので女性の方に)お願いしたけど、結局、三日もせずに拒否の連絡がきた。
女性に連れ子が居たからだ。もし、二人が結婚するなら、子供はどうなるのか?一緒に暮させて子供を子供を皇統譜とやらに載せなければ良いだろうがと凄んだが、後ろで聞いていた親に突っ込まれた。
皇族と結婚すれば女性は皇族になる。では、誰が子供の面倒をみるのか?親から離すのか?一緒に暮すにしても子供の養育費は税金で賄われることになるが、国民は、それに納得するのかと。
もし、MSN産経のコラムに書いてあったとおり、隠し子であれば、昔の自分なら、これ幸いとばかりに世間公表すれば良いと思うし、行動するはずだ。しかし、前夫の子だ。
ネット上で引用されている記事に親子二人で札幌と書いてあるが、息子さんが、暮していたのは札幌市ではなかったはずだ。
なぜなら、札幌の私の家に、桂宮を迎えに行ったせいで、息子さんに迷惑がかかってしまったのだ。授業参観か、三者面談があったのだが、何時もの様に桂宮を迎えに走った煽りで、行くことができなかったことがあったからだ。
さて、最近、俄かにネット上で男系論者が囃し立てる隠し子の件だが、もし、仮に連れ子の他に、もう一人、二人の間にできた子供が(2006年から2014年まで実際に会ってないのでいるかもしれないが、あの体調では厳しいだろう)居たとしても、宜仁の意思を尊重するのであれば、法に刃向ってまで皇族にしてしまうのは問題があるだろう。
どうにかして、家族を一緒に暮らさせることができないか、悩む私に追い討ちが来た。桂宮が、肺炎を起こしてしまったという。以前、ヒロヒトさんが尋ねて三ヶ月だったか、半年だったか、それ位経った後に体調を悪くしてしまい亡くなってしまった。無理して、あの家を訪ねたから寿命が縮んだと謗られたものだ。皇族の方が、皇族の周りに集まる人間(宮内庁の者ではない)なんて、あんなもんだから気にしなくてもいいと言ったが、皇族でもない者が、どういった経緯で皇居なんぞに、やってくるのか不気味でしょうがなかった。
つづく
今回は長くなったので、二回に分けた。
どうも男系維持に固執する者達が五月蝿いのと、故人の意思と生前の要望により、若干、細かく描写した。