死は平等に訪れず、万物の霊長たる人は、人故に死んでも平等になれない2/2 | 儂は悪くないぞ!松平が!松平の奴が悪いンだ!

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 もし、桂宮の身に何かあったら、また、一部の者からそしりを受けることになっただろうが、皆さんも御存知のとおりの結果となった。

 まぁ、しかし、なんだ家が呼んでるわけでもないのに文句を言われても困るもんだ。むしろ、同じ都内で招いて避けられる方に問題があるのではと思うのだが・・・


 さて、無事に回復したことを島津さんに聞かされて、母は安堵したが、向うが話があるので電話を代わってくれという。今度の件に関しては、何度か問題になっていて、これ以上の譲歩は無理だと言われた。親子三人で暮すのは難しいということだ。

 貴方は国民主権と、まるで伝家の宝刀のように振り回すけど、私にだってあるんですからねというので、いやぁ、私ら貧民と違って、財産のある華族の方に言われましてもというと、華族の生れではないという。そう、島津さんは臣籍降嫁された方で、今は一般の日本国民です。それでも私に主権がないと、おっしゃいますか?それこそ差別じゃないですか!と怒られてしまった。

 更に電話の向こうで泣いてるのか?鼻声で、貴方は、まるで私達が桂宮が苦しむのを、ただ、指を咥えて黙ってみていたと思ってるかもしれないけど、宮家の予算では桂宮の治療費だけでも不足気味なのに、更に予算を積めということですか?大体、放置して冷たいといったようだけど、一般家庭で同じことができるの?と、更に詰めてくるので、じゃあ、隆政さんとかに養子の件、承諾するんで代わりに治療費をだしてくれと頼んでみますというと、貴方って人は、どうしても逆らうのね云々と泣き出してしまった。

 先程の国民主権の件といい、なんだか悪いなと思ってしまった。そこへ、男性は基本的に皇籍を出ることが叶わないことを聞かされ、どう頑張っても無理で、なにかをしようとすればするだけ、彼女を苦しめてしまうと諭された。大体、あなたがやろうとしているようなことを誰もしなかったと思う?と聞かれ、私は何も答えれなかった。


 これ以降も、桂宮は体調が良ければ訪ねてきた。闘病中に、我が家が言われたことなんぞ、どこ吹く風で、いや、むしろ、何故、闘病中に、わざわざ北海道の、あんな不吉な家を訪ねるより、都内の私の家に立ち寄らないのかと言った連中に対して、意趣返しをしているのは明らかであった。

 ただ、話す内容が、若干、以前より暗くなってしまい、健康だったら無理にでも離脱して結婚をしたのだがなどと申し訳なさそうにしたり、自身への皮肉を口にしたりと、むしろ俺が情けなくてすまないと答えられた時には、いやいや、情けないということもないでしょう。生きているだけで立派ですよ。私なんか病弱ですから、同じ病にかかった日には、無事でいられるかどうかなどと、答えると、その治療費が税金ででてるんだぞ!腹がたたないか?と聞かれるので、そうですか?私は別に構いませんよ。もし、貴方が税金で治療されるのが、間違いだといわれるのでしたら、国内の税金で暮している連中はどうなります?老人が沢山死ぬことになりますな。いや、病気や怪我で仕事ができない連中も飢え死にしますなと答えると、そうか・・・と静かになった。こと、病人であれば平民も皇族もありますまいと問答をしたりしてが、やはり、主題は説得であった。もちろん、話は、いつも平行線で、さすがに当時の私が右より思考だったので桂宮に味方していた母も、もう諦めたら、どうですか?また、お体を悪くしたら大変ですよと、桂宮に諦めるよう説得しだした。

 
 だが、桂宮は、自分はどうなってもいいから、おまえが兄貴の手伝いをやめるというまでやめないというので、いい加減にしてください。どうなってもいい人のために国は治療費を出してるわけじゃないでしょう?私ら一般人でも病気や怪我が治ったら、その分、働くんです。どうでもいいだなんて、やけっぱちな人に説得されて、誰が心を動かしますか!ましてや一人の幼子を不幸にしている方ですぞと、酷いことを言ったもんだ。

 そうか、すまんというので、すまないと思うのでしたら、体調の良い時には、こんなとこへ行かないで、公の場で、手でも一つ振ってくださいよというと、どうしても言うことを聞いてくれないのかというので、先程、言ったとおりです。貴方のお願いは聞けません。これ以上、此処へ来ても色んな人に迷惑がかかるだけです。今度訪ねてきても追い返しますよというと、じゃあ、俺じゃなきゃ良いんだろと、若干、キレ気味に言い出した。俺以外の者が訪ねてくれば話すな?と念を押された。その気迫に思わず私は良いですとも約束しましょうと答えてしまった。桂宮が誰を連れて来るのか、ちょっと気になったが、母は皇族の人達だってヒマじゃないから、そんなに直ぐに訪ねてこないでしょと母は呑気に答えた。

 事実、何ヶ月か後に報道で桂宮が何かのイベントを訪問しているのが流れてるのをみて、母と一緒に、ああっ、やっと諦めてくれたかと安心した。


 すると、報道から数日もしないうちに桂宮が来ていた。約束どおり、代わりに説得する人物をつれて。連れてきたのは海外から帰ってきたばかりの高円宮だった・・・勿論、この二人が来たら、寛仁親王が来ないわけはない。自分が帰るより先に電話で、こっちに向っていると連絡が入っていた。


 本当に連れてきたんですか!と私が驚くと、高円宮は冷静に挨拶をし、久しぶりだね。おめでとう結婚するんだってねとニッコリ笑いながら話を切り出した。

 ・・・もう誰と結婚するかは、わかっていたので、学生ですよ、無理ですよと答えると、でも、君と竹田君が結婚するって聞いたよ。家も娘の結婚相手をさがさなきゃなーなどと、うそぶきだしたので、ああ、からかわれてるのかと納得したが、しかし、寛仁親王が自分の娘二人の結婚相手を勝手に決めたのは本当だという。どっちをどっちに結婚させるか聞いてなくてさ、で、今、みんなで相談してたんだと笑いながら答えた。一緒に、そんな雑談を楽しんでいたとは酷い母親だ。


 高円宮が本当に結婚しないの?じゃ、家の娘はどう?と聞くので何歳なんですか?と聞けば・・・突っ込む気も起こらなかった。思わず笑ってしまったが、高円宮が幾つなら結婚する気あるの?と意外な質問をするので、戸惑いつつも大学を卒業したくらいですかね?その頃には生きてるかどうかも、わかりませんがと答えると、皇族と結婚するのは嫌だけど寛仁の陰謀には死ぬまで加担したいんだってさと桂宮が、意地の悪いことを言い出したので、そんなことはないですよ。相手が私のことを好きなら、何時でも、どんな状態でも結婚しますよ。好いてくれるならねと自嘲気味に答えつつ、気になることを聞いてみた。



 やはり、皇族が増えることには反対ですか?と聞くと、一定数の皇族を保つことには反対ではないけど、旧皇族をつかうのには反対だねと、はっきりと答えた。桂宮がニヤついた顔で、自分の考えじゃないでしょ?誰の差金?誰の差金?と高円宮を追求すると、高円宮が真剣な顔で自分の考えだよ。私の方を向いて、この人達、(減らせと言ったり、増やせと言ったり)本当に極端でしょう?と笑顔で聞くので、思わず頷いてしまった。

 なんだよ、俺も極端だというのかよと、インターホンも鳴らさずに寛仁親王が居間に上がりこんできた。というか、寛仁親王は、時々、インターフォンを鳴らさずに上がってくるという、ちょっと面白い癖を持っていた。曰く、こういった民家を訪ねるのが稀だからだよ!とのことだが。

 話を中断して,挨拶をすると、おう、なんだよ。今日は面白い奴がきてるじゃねーか。なに話してるんだよ。続けろよと興味深げにいうので、もう一つ気になっていることを聞いた。


 貴方のお兄さん二人は、やたらと皇族をやめたがってますが、高円宮も皇族をやめたいって思ったことはありますか?と聞くと、皇族をやめたいと思ったことはあるが、兄二人が出て行こうとしてるから、自分が残るしかないと中学生の頃から決めていたと答えたが、早速、二人の兄からの突っ込みが、早くない?そんなに早くないでしょ?と、指折り数えて年数を確認する桂宮、一人だけカッコつけやがってとツッコみをいれる寛仁親王、普通の一般家庭における兄弟と、なんら変わりはない。本当に仲の良い兄弟だなと思ったものだ。

 三人のじゃれあいをみていると、高円宮が、そういえば吉川くん名前忘れちゃったけど、寛仁の娘と結婚しないってさ、と、いうと、寛仁親王は何ぃーおい!卓見!俺の娘と結婚しないで誰と結婚するんだよと答えると、いやあ、高円宮様の娘さんと結婚するって約束しちゃった。ごめんねと冗談で答えたのだが、なにぃー!と寛仁親王から真面目な反応が返ってきた。


 寛仁親王は高円宮に向き直り、おまえ、なに考えてるんだ。考え直せ、大事な娘を、平民のあんなボンクラと結婚させてどうすると言いだした。高円宮が、え?ボンクラなんでしょ、ならウチがもらってもいいでしょ?寛仁とこは竹田君兄弟と結婚させればいいじゃないと笑顔で答えると、寛仁親王は、おまえ本気で言ってるのか?っていうか、おまえ、さっきから俺のこと呼び捨てにしてるだろといえば、桂宮が何時も二人でいる時は寛仁って呼んでるから、いつものことだからと言えば、なんだよ影では呼び捨てにしてたのかよ!水臭いなーそれはいい、なんで卓見が、おまえの娘のこと知ってるんだ?(桂宮を指差し)おまえもさっきから、名案だみたいな顔してるんじゃないよ。なんとか言えよ!と言われた桂宮は頑張れ寛仁ー!と、からかい気味に応援した。


 寛仁親王が、おまえの気持ちはどうなんだと聞いてきたので、高円宮の娘さんと結婚するというのは冗談ですが、(ここで、わざとらしくエーなどと声をあげて高円宮が寛仁親王を上手く煽るんだ、これが)同考えても若すぎますよ。それに本人達の意思を尊重しないのは問題じゃないですか?それとも皇族から抜け出せなかった腹いせに娘さんを縛ろうとしてるんですか?と寛仁親王に聞いた瞬間、弟さん二人がオーと言いながら拍手をしだした。

 寛仁親王が今日のおまえら変だぞといえば、桂宮が、最近、変になったのはというと、寛仁親王が、俺だというのか?と答えた。寛仁親王の答えに高円宮も頷いた。寛仁親王が、確かに急にというのは認めるよ。でも皇族全体の危機だぞ!といえば、でも、そんなに急ぎじゃないでしょ?浩宮や礼宮も、まだ若いし桂宮が応戦する。二対一で、しかも寛仁親王は何か真意を隠している。もしかしたら議論が得意な方だったのかもしれない。


 あっという間に劣勢になり、じゃあ、さ、今日のところはそれでいいよ。それより、卓見、おまえは本当に結婚する気がないのか?と聞かれたので、娘さんは二人とも竹田さん兄弟で良いじゃないですか?と答えると、寛仁親王はオマエ人が真剣に聞いてるのに、なに他人事みたいに答えてるんだよ!というので、三人が議論している間に聞いたんですけど、竹田さんは旧皇族の家柄で、もう、この時点で我々の目的を達成してるじゃないですか、何故、黙ってたんです?で、父親もオリンピック委員だということで文句なしじゃないですか!何を迷うんです?寛仁親王は別に黙ってたわけじゃないが・・・と口を濁した。
 名家の生れですから彼女達が卒業するまで悪い虫もつき辛いでしょうし、なにより、夜の街でチンピラ相手に働いてるような底辺の男より、金持ちの方が相手だったほうが豪華な結婚式を挙げられて、TV中継などしても映える!国民的にも断然良いではないのでしょうか?と、答えると、寛仁親王が、どーしても駄目か?と聞いてきたけれど、駄目です。世間がお許しになるはずがないと答えた。

 寛仁親王は、あーわかった。もういい!おまえともここまでだ。好きにしろ!と言ったあと、ぽつりと、卓見、おまえは昔から、最後の最後で俺を裏切るよなというので、私は三つ子の魂百までですなと答えた。


 この頃には、桂宮のこともなんとなく思い出していた。幼い頃、二人とも可愛がってくれたが、寛仁親王は私が泣けば、色々とかまってくれたが、桂宮は泣きすぎると、おまえは泣けば何でも言うこと聞いてもらえると思ってるだろう?このままだとオマエが駄目になるからと路上に放置するタイプだ。

 こっちも同じことを2、3回やられれば反発したくなるもので、泣きながら明後日の方向に行ったものだが、ある日、二人の内、どっちが好きかなんて聞かれたことがあって、アッサリと桂宮のほうへ抱きついていったのは良い思い出だ。寛仁親王はあれだけ優しくしてやったのに、結局、そっちへ行くのか!といえば、桂宮がコイツは将来は札付きの性悪女になるなという冗談をいったあと、おまえのハートは札つきだの替え歌で、卓見のハートは札つきだなんて歌われて、かわらかわれた記憶をおもいだしていた。

 しかし、本当の裏切り者は誰だろうか?


 世間では寛仁親王が男系主張する右寄りの人物と思ってる方々が多いかもしれないが、旧皇族に関しても用いるにあたって、寛仁親王が、まず、一つ手を打とうと提案した。90年代末期、国際学士院大学という学位ビジネスをやっている所があった。当時、ここの総裁として名前をだしていたのが伏見博明だった。


 そんな団体にいてはヤバイから、おまえから日本の為にやめるように、お願いしてくれといわれた。向うは電話に出ると戸惑いつつも、わかった。もう名前を出すのはやめにするよと承諾してくれた。

 が、寛仁親王は、それで満足しなかった。もう一つ、もう一つあるんだ。それもやめろと言えというので、なんか、もう一つあるというんですけどと聞けば、それは東久邇宮から連綿と続く由緒正しい団体だぞ!と言われ、伏見さんの奥さんからは高貴な生活を維持するのは大変なんですよと言われて、困ってしまった。

 寛仁親王が電話をかわり、ああだこうだと話したが、結局、別の日に話したところ、伏見家に男子はいないからメリットがない。だから、有限会社日本文化振興会から離れる意味がないと返答が返ってきた。

 まあ、男子を出すわけではないからなんとかなるかと、寛仁親王は決断し、有限会社日本文化振興会から離れてもらう件は沙汰やみとなった。

 この頃は有限会社日本文化振興会がいかなるものか知らなかったし、興味がわかなかった。この時、聞いた由緒正しいに云々に騙され、あんまり気にしてなかった。

 何度も色んな人に話を聞かされても、かかわりあうこともなかろうと放っておいたら、ネット右翼のバックと同じヤクザが運営してたとは・・・有限会社日本文化振興会については、当ブログの2014年6月15日付けの記事を読むか、検索すれば沢山サイトが出てくる。

 ちなみに伏見さんの奥さんの旧姓が吉川だが、直接的な血の繋がりはないことを明記しておく。

 寛仁親王は、別に旧皇族のこういった面をしらなかったわけでもない。逆に知ってたからこそ、娘の団体を社団法人にするようにアドバイスしたのではと思う。



 靖国にも微妙な気持ちを持っていた。90年初頭前後に訪ねてきて時に、なにを熱心に読んでいるんだと聞かれたので、精神病患者の手紙、表から読むと読めないけど、裏から読むと外国語で読めるキチガイの不思議な手紙(島田文五郎の新造二重文字)と答えると、あーキチガイの手紙かと答えるので、そういうの読んだことあります?と質問すると、手紙は読んだことはないが、キチガイが書いた文章なら良く見るなと神妙そうな顔で答えるので、どこで?と高校生の私は目を輝かせて聞いた。

 寛仁親王は靖国神社に遊就館という建物があってな、そこに気違いが書いた歴史が読めるんだと、答えると、流石に靖国嫌いの母も怒った。貴方は自分の立場をわきまえてるんですか?というと、え?あんなのがマトモだと思ってんの?と揶揄するように返事する。母が、貴方が喋ったことを誰かに聞かれて命でも狙われたら、どうするんです?それに真摯な気持ちで参拝している人もいるでしょうに・・・と抗議されれば悪びれもせず、アイツらに、そんな度胸なんてないって、あんなとこ気違いしかいかないってと答えるので、母は、じゃあ貴方は気違いなんですねと一言だけ答えた。え、と、寛仁親王が言葉に詰まったら、続けて、もし卓見が貴方の話を間に受けて学校で話したりしたら、どうするんですか!と詰め寄ってたら、え?まともな歴史観をもてたんだら良いことじゃんと答え、なあ!と私に話を振ってきた。

 なんとも返事のしようがない話題だったが、後で母に三笠宮家は靖国に参拝しているから、あんなこと言ったら大問題なんだよと聞いた。

 しかし、寛仁親王は悪びれず、なんどか関連の話をした。オリエント学会なんて大層なもんを作った奴が、あんなキチガイの書いた歴史のある所に参拝に行く、欺瞞だろ!こんな欺瞞なことはないだろう!世間じゃアイツを誤解してるがアイツの本性は右翼だ。絶対に騙されるなよと、なんどか私の目の前で言ってたもんだ。本当に赤い宮様だったら、陛下と同じ様に参拝なんぞにいかねーよとも。


 ナガコさんも三笠宮については、軍隊に行けて良かったといってる右翼です。騙されてはいけませんと言ったけど、週刊誌の記事では軍隊自体を賛美しているわけではなかった。紀元節に反対した三笠宮に対する世間の評価は、二人と逆だ。実際に会えば、真実が、何かがわかるのだろうか?とにかく、寛仁親王が靖国参拝に対して複雑な気持ちを持ってたのは確かだった。


 話を戻して、三兄弟と話したことがターニングポイントとなり、翌年、ある人から戦争にたいする思いを聞かされ、寛仁親王と手を切る決断をした。

 その前に、三人の中で一番健康そうな高円宮が、この日から、二年も経たないうちに亡くなってしまった。早くから自分は長くないと言っていた桂宮が、皮肉なことに三兄弟で最後になってしまったのは、皆さん御存知のとおり。

 

 寛仁親王とはそれから、新聞紙上などで再会することになる。新聞を見て驚く私に対して、母親は誰かに言わされてるんだよ。おまえも危うく、あんな人生を送るところだったんだよと言った。確かに上記のような発言をしていたのを、眼の当たりにしていたので、三笠宮家は全員反対だというのに違和感をもった。

 その後、なんやかんやで巻き込まれ、三つの罪の内、最後の一つ。


一つに旧皇族を用いることを寛仁親王に提案した罪

一つに皇室会議に提案する出席者候補として小林よしのりを名を出した罪

一つに皇位継承問題で、男系固執、女系固執、拘らず多方面に知恵を貸し、相争わせた罪


 これで再び、深入りしそうになった時に、久しぶりに桂宮が訪ねて来た。一家総出とは大変ですねと聞いたら、アイツ一人でやってるんだ放っておけと、少なくとも自分は関係ないと答えた。

 皇位継承問題の時は一体何をしてるんだと思われてたが、いろいろと事情があった。当事者が全員亡くなった時に私が生きていれば書くこともあろう。ただ、当時、私が予言したとおり、ピッタリと皇室に男子が産まれた。(ただし、皇太子夫妻に産まれると、若干、外している)

 、それによって騒動は収まったが、寛仁親王の男系継承を維持するという目的は、裏切り者の手によって何時の間にやら、皇籍離脱した旧皇族を皇籍に復帰させるという目的に換骨奪胎されてしまった。


 余談だが、密教系or神道系新興宗教教祖や、政治家御用達、伊勢周辺に現れる陰陽師、占い師etcなどで、私の様に男子懐妊を、月まで予測したのは皆無だ。嘘だと思うのなら北白川道久王に確認すればいい。道久王に予言が外れれば従うと勝負したからだ。

 当時は、隆政さんが、私と違う年月を予測した有名占い師や、幸運を呼ぶ方法の教祖など(いわゆる半田晴久こと深見のことだ。こいつは数年先を予言して外した)が違う日を予言してるぞ、違う日にするか、謝ったほうが良いんじゃないかと、ことある事に電話してきて大げさなもんだと思ったもんだ。

 故に有名な、イカサマ占い師や、詐欺師教祖のプロフィールに悠仁さま誕生を予言とか類似する記述がある奴は信用しなくていい。それは確実に大嘘だ。そんなの元から信用するなという感じだが。


 深見東州の名前が出たついでに、高円宮が訪ねてきたことでも、ハッキリと記憶しているのは3回ほど。(他にもあるのだが、上の二人に比べて圧倒的に数が少ないので、幼い頃の記憶は殆どない)そのうち一回が深見東州が雑誌に何か書かれた件と、日本の伝統芸術21世紀展実行委員会絡みで、なにか不祥事があり、誰かは知らないが、皇族か旧皇族の方(名前を聞いたが当時興味がないので失念した)が、そんな怪しき輩と繋がりがあるとは皇族としての自覚が足りないと激怒し、謝罪して廻って来い!と言われて、全国を謝罪してまわり、最後に来たのが家だった。


 高円宮は青息吐息な感じで夏の暑さにやられたのかな?と思い聞いてみたら、上記の理由で謝罪して廻っているという予想もしない返答が返ってきて、正直な話、母と一緒に困惑してしまった。

 高円宮も、前回に会った時のイメージと、他の人物から聞いたイメージで、私が、かなりの国粋主義者的な、下手な神道さんよりも厳しい人物だと予想していたそうで、いやぁ深見東州なんぞ聞いたことないし、家は創価学会ですから、なにがなにやら・・・、こっちの能天気ぶりに拍子抜けしてしまったようだ。
 途端にネクタイを緩め、普通のおじさんのように暑がり、なにか冷たいものをもらえませんか?と言ってきたので、母と大笑いしてしまった。いやあ、本当に大変だったんだからと、酷い目にあったと言わんばかりの少し不満げな表情に、ああ、やっぱり、あの二人と兄弟だなと思ったもんだ。


 今はネットがあるから深見東州、いや、ワールドメイト(旧称コスモメイトなど)という企業(2014年9月14日に宗教団体となった)についても名前や悪行を知っている。

 当時は、私が小学生の頃に友達に借りたオカルト本邪教事件で、破かれた邪教本の著者こそ深見東州だと、母が憶えていた位で、当時は新聞にもでないマイナーな人物である。
 そんな人物について、謝罪をされても困惑するし、その上、全国を廻っていたと聞かされた日には、高円宮を怒るどころか、逆に身を案じてしまった。

 深見については借り物の本を破かれた時、まだ読んでもいないのにとか、他人の本なのにと思った程度だが、マルサの女2という映画から、法の華という宗教団体がカンボジアのシアヌーク病院に寄付していることを知り、このワールドメイトについて興味をもったわけだが

http://homepage1.nifty.com/kito/wm-info.htm
 確かに、婆さんの言うとおり邪教であった。なんといっても裁判所に判決文で邪教と断定されるくらいの組織だからだ。まさか、こういった未来を見通してたとは!?まさかな・・・


 ネット右翼の間で高円宮がワールドメイト信者などと言う根も葉もない噂が立てられているが、ワールドメイト信者なら、全国廻って謝罪することに素直に従わないだろうし、ここで人間らしく愚痴を言い出さないだろう。ましてや創価学会員の家でだ。ワールドメイトは教祖が愚痴を言うななどと、厳戒している教団なのだから。

 更に言わせてもらえば、秋篠宮家ができたから公務がなくなったというが、それなら、なぜ高円宮はカナダ大使館で最期を迎えたのか?冗談も休み休み言って欲しいもんだ。


 ただ、面識があったのは事実で宗教家としてではなく、実業家として認識していた。先に企業と書いたのは、教祖の植松愛子は、大蔵官僚出身の武富士顧問(もうヤクザが出てきた)徳田博美の親類と結婚(後に離婚しているが、徳田の名を利用するためか姓は戻してない)しており、徳田愛子と名乗っている。

 この徳田一族の出資で、愛子が1978年に東京都杉並区南荻窪で設立したのが、(株)三十鈴(現・(株)ミスズ)。健康器具、食品の販売、そして今も続いてる学習塾経営が主な事業であった。

 この企業を母体に宗教活動をおこなっていくが、ここに半田親子、父、半田利晴と息子、半田晴久こと深見東州が加わる。


 さて、この半田利晴は皇族周辺を笹川良一の指示で、うろつく与太者というか、笹川の盟友であった。当時は、皇后の実家であることを理由に久邇あたりが皇室に金を無心していた時代だ。こういった与太者が多く出入りしていた。苦しくも嘆かわしい時代だ。

 笹川良一といえば右翼の老害(皇族の誰がいってたかは秘密)で、戦犯者救済活動や日本船舶振興会で有名だ。戸締り用心~のフレーズで始まる、あのCMを憶えている方も多かろう。

 笹川は李承晩や蒋介石と懇意であり、一時期、統一協会日本支部顧問や、国際勝共連合の名誉会長に就いていた。そういった人物の元にいたのが、深見東州だった。

 政治的師匠が笹川なので、余程、政界に勢力を伸ばしたいのか、色んな政治家を信徒にしたが、全て不幸な末路を迎えている。

http://wmdata.main.jp/jittai-2/seijikenkin.html

http://kyusai020826.web.fc2.com/saibandata/r-shisaiban.html

 リクルート事件で国会議員として唯一有罪になった藤波孝生はワールドメイトの役員で、二信組事件で有罪となった山口敏夫も熱心な信者だったようだ。他にも土井たか子、鳩山邦夫、鳩山由紀夫兄弟、亀井静香、小沢一郎と右翼の首魁、笹川の弟子らしい中国、韓国どっぷりな政治家のラインナップだ。

 話は大分逸れたが、こういった人物で皇族周辺にいる好ましからぬ人物であったが、本名以外にレオナルドTOSHU、戸渡阿見、深見東州など沢山の通名を持っている人物だ。チェックしきれなかったのだろう。1988年年5月26日に桂宮が倒れたのは右翼に対して反抗的な三笠宮に対する見せしめとして襲撃された結果で、その襲撃犯、もしくは襲撃犯を手引きしたのが笹川の命を受けた半田親子という噂があった。


 話は戻り、兄二人よりはマイルド口調で如何に大変な目にあったかを聞いた。それで母が食事をとってないのでは?聞くと空港で食べたといううけど、聞けばモーニングセットのみという有様だったので、家が最後なら何か食べていったらどうですか?と聞き、一回断った後、時計を見て、やっぱり頂こうかなと言ったので、母が素麺だったか?にゅう麺だったかを出したのを憶えている。


 食べ終わった後、ご苦労様ですと声をかければ、いやあ、そんなに大したことじゃないよと、にこやかに答える高円宮。一息ついて、何時もの調子が戻ってきたようだ。

 なんでも謝罪したら、日帰りで報告に戻らねばならないと言ってたので、じゃお帰りになるんで?と聞けば、飛行機の時間に、かなり余裕があって(一言も苦情をいわなくてスミマセン)時間つぶしに、いろいろと雑談をした。

 聞いたのは、以前、三人が会話していた時に、三笠宮は上の二人には厳しいけれど、高円宮には小遣いなどをやっていたという話をしていた。その時、思ったのは上の二人は性格が性格だから、少し大げさに言ってるのでは?という疑問が頭を過ぎったからだ。

 実際に厳しかったそうだ。だから、あの二人がああいうのも仕方がないとおっしゃってた。確かに自分だけ小遣いを貰ったかもしれないけど、それは勉強などを頑張ったりしたからで、悪いことをしたら、同じ様に起こられたけどねとおっしゃるので、何だ、あの二人、さも自分は悪くないというけど、なにかやってだんですか!どうやら大切なものを壊したり隠したりしたそうだ。その行動をとったのも、遊びに出させてくれなかったからとか子供らしい理由だった。しかし、その報復として、幾つかの高級品が犠牲になったと聞くと、今でも噴出しそうになる。


 あと、桂宮が一番の頑固者だと言ってましたよ。怒った時押入れに篭って、三笠宮が謝るまで出てこなかったというのは本当ですか?と聞いたら、事実で、事のいきさつを事細かに教えてくれたが、ここでは書けない。ただ、天岩戸のようで皇族らしいエピソードですねというと、そんな答えが返ってきたのは君が初めてだと、君はやっぱり右翼だろと大笑いしながら言われたもんだ。(この話を聞かれた人は、大変ですねぇとか、わかったように適当に相槌を打つ人ばかりだったそうだ)

 しかし、親と争って子供が押し入れに閉じこもるなんて、一般家庭では良くあるエピソードを大変ですねぇって、まぁ皇族の方々にとっては珍しいエピソードなんでしょうねというと、苦笑しつつ、手を振りながら違う、違う、皇族じゃない人、やっぱり、こういう生れだからね。一人の人間としてみて話してくれる人は稀だよと、一瞬、寂しげな表情で語ったのが印象的だった。

 こんな感じで、いろいろと聞いたけど、 三笠宮と桂宮が喧嘩して、桂宮が部屋を出て行くと三笠宮が涙をこぼし嘆いたそうですが、一体、どんな内容で喧嘩したんですかときいたが、それだけは教えてもらえなかった。


 話してみて思ったのは、上の兄二人は、危ういから、こっちが助けなければという感じだが、高円宮は、下知が来るまで仕事をしていれば良いという安心感というか、安定感があり、話し方も兄二人と違い、落ち着いた話し方だ。

 しかし、話の主導権は常に握っており、それに気がついたとしても圧迫感や苦痛は感じさせない。まさに我々がイメージする皇族といった方だった。やはり、高円宮だけ教育方針を変えたのかなと、常々気になっていたが、本人から聞く限り、そんなに一般の家庭と変わらなさそうだ。

 個人的には、この人が、もう少し長く生きてくれれば、皇室典範に関する有識者会議に関する騒動もアッサリと片がついたのではと、何度か考えたこともあるし、口にしたことがあるが、今更死んだ人に頼るなどと、己の心の弱さを、なんどか窘められた。ネット上では、なぜか話題にならないけれど、それだけ惜しい人物を亡くしたと思う。


 戦後直後、皇族をやめることを考えた三笠宮だけに、上の二人は、普通の家庭を目指していた過程で厳しくしすぎてしまったのだろうか?など考えるのも時間の無駄だろう。興味のある方はマスコミなどを通じて三笠宮が生きているうちに、直接、話を聞けば良いのだから。何より、別の事柄について書きたい。


 それにつけてもワールドメイトは酷い。深見東州の宗教的師匠である植松愛子は菊理姫の肉体に、神功皇后が生まれ変わった存在だという。深見東州も明治天皇の生まれ変わりだそうだ・・・竹田恒泰に、是非!会って欲しいもんだ。双方とも金と伊勢が好きだから、気が合いそうなもんだが。


 皇族自身は皇族をやめたがる人物が多いが、逆に、皇族になりたがる奴にはロクな奴がいない。だが、皇族の血を引いている竹田恒泰ならまだしも、どこの犬猫の血を引くともわからぬ奴が小銭をチラつかせて皇族ににじり寄り、しまいには自分は明治天皇生まれ変わりだと信者の前で吠える。水木しげるの妖怪漫画か、日本昔ばなしさながらの光景だ。こういった畜生に化かされた人間は可哀想なもんだ。

 ワールドメイトは、○○神業(○○部分には氷見神事、伊勢神事など神社名が入る)と称して、さも、有名神社と関係あるような集金目的の詐欺苦行イベントを行なっている。
http://wmdata.main.jp/index.html

 昨今まで、宗教法人の認可をえてなかったので、まるで公認の信徒団体が活動しているかの様に、全国各地の有名神社周辺で、さも関係あるように振舞い、紛らわしい名称の集金活動をしていたが、2014年(平成24年)9月14日に晴れて宗教法人として認可を取れたのだから、こういった詐欺行為は、これまでにしてもらいたい。これからは自分達の本山で大人しくしてもらいたいもんだ。

 まあ、自分達の住処で大人しくしていても、教祖の命令で24時間ネットに張り付いて、ネット上を監視する生活を送ってるんだろうなぁ・・・・これが現代の神道なのかな?奇妙なもんだな^^

 

 ワールドメイト信者も、せっかく伊勢くんだりまできたのに、なんで関係のない奴に金を使うのか?まとめて参拝するといって手数料取る輩に利用されている奴も同じだぞ。

 そんなものに頼らず自分で気になる場所を廻ってみよう。伊勢を利用する詐欺師共に金を落すより、地元の人達に銭を使ってやれ。

 え?俺、神道の信者じゃないし、信じてないよ?じゃ、尚更だ!パワースポットだかなんだかしらんが、訳のわからん石ころを買うより、山海の幸から菓子まで揃ってる(通販でも買えるかもしれないが)伊勢に、せっかく来たんだから、本物の味を楽しんでみたらどうだろう?

 地域振興ついでに食べ物まみれの豊受が、財宝まみれのえびすに変わるぐらい地元の方々を儲けさてあげてはいかがだろうか?願わくは他の地方も同様に賑わって欲しいものだ。


 しかし、宜仁さんが、さんづけでも怒られるかな?許して欲しい。呼び捨ては少々キツイ。宜仁さんが死ねば、皇族でなくなる。本当に自由だと言ったが、だが皇族として豊岡墓地に、生前愛した女性とは別に葬られる。多分、分骨も許されないだろう。生前の意思に反して、死んでも皇族として扱われている。


一人死に
二人くたばり
みな殺し
しなば弔え
わけへだてなく


2014/06/22沢田研二のスピリットを聞きながら~500人も来たと報道されてるのに本人希望のバイ・バイ・バイでは皮肉が利きすぎているのと、なにより俺が素直に言うこと聞くわけがない。



 故人が生前危惧していたとおり、男系維持に固執する者達が五月蝿くなってきたこと。故人の意思と生前の要望により、若干、細かく描写して書かせてもらった。