昔、太陽を盗んだ男というタイトルの映画があった。内容は中学校の理科教師がプルトニウムを盗んで
自作の原爆を造り、世を乱しアナーキズムに走る話だが、よもや議席を盗んだ男が誕生するとは思わなかった。その男は、前述の映画とは違い科学知識はない、というか原発に対して謝った識見を持った男が議席を盗んで、これから一騒動起こすところである・・・
http://agora-web.jp/archives/1549142.html
上記のブログで書かれているまでの騒動は起きるとは思いたくないが、ネトウヨ関連が、なにか事が起こるたびに韓国や、山本太郎のせいにして思考停止に陥らなければ良いがと憂慮する。
この男が議席を取った代わりに社民などの非共産左翼勢力は勢いを弱めることとなった。特に社民は萌えキャラを作ったせいで議席を失った福島瑞穂が党首を辞任することとなった。あとは前回の澤田研二の応援演説から一年も経ってなかったのが良かったのだろう。東京や神奈川なら澤田研二のファンから創価学会婦人部並の支援を得られたのではないだろうか?たかがアイドル歌手のファンだと思うことなかれ、澤田研二の年季の入ったファンなら60-50代と、かなり人脈友人が熟成期に入っている。年代的にも反原発が多かろう。澤田がアイドル歌手ではなく実力派の歌手と認識している時代の30-40代の女性も多いだろう。もし、彼の地元、兵庫県からの出馬だったら議席獲得はできなかったはずだ。
これらの女性の中で50-30代は山本が中核派から支援されていると言われてもピンとこないはずだ。60代の女性も怪しい。多分、中核派の名前はうろ覚えで、彼らの行ったことは憶えていても学生運動が終わったから、あれから何年も経っているから問題がないという認識であろう。
では対抗勢力の共産党が躍進したのは何故か?他に投票するところがなかったという人もいるだろうが、多くは上記の中核派と同じ原理である。
嘗て美濃部都政時代に共産党が都の財政を破綻させ私腹を肥やしていたことを知っている者達が老齢になり減った。諸事情で生まれ故郷に帰った者も多いだろう。そこで甘い言葉でもささやけば騙すのは容易いだろう。今の若者の大半は宮本顕治という殺人犯でありながら、皇族、華族よりも豪盛奢侈な生活を送った男の存在など憶えていないだろうから。
よく不祥事を起こした議員が選挙で当選すると禊はすませたと称するが、彼らも長い時を経て禊をすませたのか?それとも有権者が忘却したことを良いことに世を憚ることなくやってきた厚顔無恥の徒か。
似たような状況に昨今のネット右翼と呼ばれる若者(もしくは肉体は老齢だが精神は未成熟な者)の増加もあるだろう。特に戦争に関して言えば体験者が減るにつれ賛美者が増えるのも妙なことだ。しかも戦争に参加してないのに、今さっき戦い終えたといわんばかりの勢いで騒ぐのだから滑稽なものだ。
海音寺潮五郎氏の著書『実説武侠伝』に後鳥羽天皇と交野八郎という盗賊のことが書いてある。後鳥羽天皇が文武両道の優秀な人物であることを解説した後、以下の引用文になる。
「 一体天皇家ではこんな方がお生まれになると、あまりいいことにはならない。後鳥羽がそう、後鳥羽のお祖父さまの後白河がそう、ご子孫の後醍醐がそう。天皇家は必ず悲惨な運命におちいられます。英雄は自らの力に対する自身がありますから、つい時勢逆行のことをやるのですね。英明な天皇様でうまく行ったのは、時代の要求と天皇の要求とが合致した時だけですよ。天智、天武、桓武、明治、皆そうです。
このことは天皇制を考える上に、よく考えなければならないことです。天皇家はこの敗戦前のような専制権をおもちになってはいけないのです。それは日本国のためにもならなければ、天皇家のためにもならない。右翼の人達はこんなことを考えたことはないのでしょうかねえ。」引用終わり
昔からそういった思考が止まっていた人物は少なからずいたのだろう。多くの従軍経験者が終戦後に色々苦言を呈しても馬耳東風であったようだ。あれから幾星霜経て日本は、まともな若者が増えるどころか右か左に偏った若者が増えてしまった。あとは何も考えぬ者ばかり。
こういった意識のズレは面白い事に色んなところにあり、同じく海音寺潮五郎氏の『史談切り捨て御免』の世相直言、紀元節の復活についてでは、氏が戦前に伊勢の神宮皇学館で日本紀元に600年ほど水増しがあることを教わっていた。このことは、戦後、紀元節の復活にあたり世に知れ渡るが、世間では余程ショッキングなことであったらしい。
しかし、前述のとおり神学校や歴史学者の間では普通に議論されてきたことであった。なのに一部学者は何故?騒ぎたてるのであろうかと氏は疑問に思う。氏は、これらは学問としてのことであり、拝仏棄釈などを例に挙げて現実の生活の改変など、できるだけだけやらん方がよいという。そして史学が、我々の生活に対して、それほど強制力を持つのなら先祖の祀りなど、どういうことになるだろうか?織田氏が平資盛、藤原氏が天児屋根命など信憑性のない系図は数多かれど、どの家も先祖を先祖として崇敬奉祀して来たのだ。前述の600日のずれを発表した学者、それに賛成した学者、反対した学者、誰もが学問としてやっており、紀元節の存廃にまで論を及ぼす者は一人もいなかったと。紀元節が戦後どうなったかはネットで調べればすぐに出るだろう。同じ様に他人の祭祀に口を出す者は現在にも多くいる。例えば首相閣僚は靖国に参拝しろと騒ぐ者達と参拝するなと騒ぐ者達だ。普段の生活からして、とても神道を信仰してる様に見えない論外は除くとしても、人の信仰を他人がとやかく言うべきではないだろう。ましてや他国の者が言うべきではない。
また、8月15日前後に行われる一部議員の靖国参拝と絡めて(その者達についてなら、まだしも)国旗、国歌について難癖をつける者達が出るであろうから、先に氏の著書 『史談切り捨て御免』の世相直言、日の丸の旗から引用させていただく。
「今日、日本人の一部に、日の丸の旗にともなう記憶には不愉快なものが多いから、新しく国旗を制定すべきであるという声があるが、了見のせまい話だ。
国の長い歴史の間にいろいろなことのあるのは、個人の成長過程と同じだ。放蕩したこともあるだろうし、親兄弟をなげかせたり、友人知己に迷惑をかけたりしたこともあるだろう。顧みて恥じるところの全然ない人もあるだろうが、そんな人はごく少なかろう。反省と後悔は忘れてはならないが、こだわってはならない。国の場合も同じだ。顧みて恥じるところのない国がどこにあろう。どこの国もいろいろな時期を経験して来ている。日本だけが悪かった時期にこだわるべきではない。
日章旗が日本人の誇りであり、全世界の有色人種の誇りであり、希望の光であった時代もあったのだ。国旗をかえようなどというせまい了見は捨てて、これを美しくて、かがやきに満ちて、さわやかで、誇りあるものにすることを考えるがよい。そのたくましさのない国民の後悔から、なんの良きものが生まれて来よう。こんな国民は、国旗をかえても、二十年後にはまたかえようというだろう。」引用終わり
今、日章旗どころか、旭日旗にまで難癖をつける失礼極まりない民族がいるという。多分、国家が成立したばかりの、まだ歴史の浅い、幼い国家の未熟な国民なのだろう。そういった幼子を好々爺然として放って置けば、成長した幼子は常識をわきまえない迷惑な大人になるが、国家は人ではないので未熟云々は関係ない。中身はどうであれ、独立を宣言し承認された時点で一人前の大人として扱われる。
だが、未熟な子供が大人と同じ権力を有してる時点でどうなるであろうか?食事の仕度を自分でできず、会社に出ようとすれば事故をおこし、仕舞いには金の勘定もできず。玩具を買いあさり、破産状態になり、生活をしていけなくなるだろう。そんな大人が近隣にいるだけで周りは大迷惑であろう。
これが国家規模になればどうなることだろう?大迷惑では済むまい。こんな未熟な者でも捨置けば被害が拡がるだけであろうが、金銭を援助しても無駄である。また浪費されるだけである。
地道に常識を身につけるよう助言し、迷惑行為を受ければ、未熟な国家が悪いことをしていると認知させ常識を形成させる為にも、未熟な国家の非道を抗議すべきだ。
まさか日本の役人は喉もとすぎればのごとく、黙っていれば全て忘れ去られ、前述のごとく禊が済むと思っているのであろうか?それが大人の対応とでもおもっているのであろうか?常識のない幼子相手に常識的対応をしても無意味である。それを理解させねばならないからだ。
日本はこれらの未熟な国家の為にも、悪い事は悪い、嘘は嘘と声を上げて抗議し、善導してやらねばならない。
- ¥440
- Amazon.co.jp
- ¥407
- Amazon.co.jp

