第472話

こんばんは
菊水千鳳です

 上野にある東京都美術館で
4月7日まで開催されている
《奇想の系譜展》
前回の日記の続きです。

今回は、曽我蕭白(そが しょうはく)さんの描いた画の幾つかからメッセージを受信しましたので、ご紹介します。


ところで…(´・ω・`)?


以下のような疑問が沸き上がってくるかと思います。

『画(絵)からメッセージ??
たかが人が描いた絵だよ?
仏像とか神社の御神体とかではあるまいし…  画からはメッセージは無いでしょうに。』
と…。

実際に、
つい先日、読者の方からも
《昔の絵画でも、何か絵にこもってたりする念とか、神さまの存在ってあるものなのか?
もし絵から感じるものとか絵にこもった見えない存在があればどんな感じなのか?》
と質問がありました。

これらの答えですが、メッセージを受信できる場合、以下の条件のパターンがあります。
 ↓
画から作者の想い(思念)を読み取り、それがメッセージとなる場合。

⭐画の描かれている対象となるモノに魂が宿り、メッセージを送ってくる場合。

⭐動物神等を含めた神仏の画に、描かれた神仏の魂が宿るか、宿っていなくても、その神仏の意識が画を通して繋がり、コミュニケーションを取ることができる場合がある。

ただし、画の質や像の仕上がりが、対象となる神仏の本来の姿と異なる場合、コミュニケーションがとりにくい。
対象となるモノが気に入った絵だったり、仕上がりの方が繋がりやすいようです。

しかし、上記の内容は、すべてに当てはまるとは一概には言えません。

例えば、しっかりとしたキリストの画を見ていると、キリストの魂が入っていて繋がることがありますが、画がしっかり描かれていたとしてもキリストの魂が入ってない時もあります。 
立派な画や像でも、魂が空っぽの場合も多々あるということです。
(魂が入っていなくとも、瞑想などを通じて意図的にキリストを意識することにより、キリストの意識と繋がることもあると言えます。)

画からメッセージを受信するにはチャネリング、リーディング能力が必要となります。
ですが、見ていて心地良いな~とか、心打つような画は良い波動なので、言葉にならなくともそれ事態がメッセージであると言えます。
 
と、偉そうに書いていますが…
こうした画家達の画に関しては、実際に行って観てみないと分かりませんでした。

俺自身、(こういった絵や像から)メッセージが聴けるかは半信半疑でしたよ。体当たりで確認してみたかったのでした。


では、早速 参りましょう。


🖼️🖼️🖼️🖼️

No.20 雪山童子図

この画の左下には青鬼が描かれ、右上には裸の妖怪みたいな女性にも見える人物が描かれています。
(パンフレットより↓)

画の横の説明書きには
「釈迦が前世で若いバラモン僧、雪山童子として修業をしていた時、悪鬼の姿に身を変えた帝釈天から修行の熱意を試される場面。群青と真紅のどぎつい対比が生々しい。蕭白35歳頃の制作。」 


画を霊視していたら、
青鬼と、木の上の人物を隔てるかように
両者の間の画の空間に、左上から右下に亀裂ができて、その真ん中あたりに裂け目ができ、そこから声が聴こえてきました。

裂け目の間からは、太陽のような明るい光が現れました。

声の主は、帝釈天のようです。

帝釈天
【 修行に鬼は付き物だ
様々な試しがあるぞ

仏の顔を被った鬼も
また 何処(いずこ)から来た真っ黒な鬼もいる
どこかしこも鬼しかおらぬ場面も出てくるぞ

その境遇にどう立ち向かうか
心身を試されることがある

鬼にも種類がある
まさに悪鬼(あくき)の存在形態と呼ばれる者達と進化(神化?)をともないながら成長を続ける鬼もいる

後者の鬼は はからずべき悪鬼と申さない部類である
ただ悪さだけを好む鬼もあれば
助けてあげれることの良い鬼もいる

鬼にも様々な思いを持っている

すなわち 鬼が悪であるとは言えない

えんのおづぬ(役小角=修験道の開祖)が使役している二つの(前鬼後鬼)は 良い鬼の代表である
鬼の進化(神化?)を妨げてはならない】


🖼️🖼️🖼️🖼️

No.25 仙人図屏風
(風景の中に3人の仙人達が描かれています)

仙人
【 仙人は 万人にもなれる

ただし 心の込もった修行をしたらな ふぉふぉふぉっ】

別の仙人
【 いい身分だぞ
乞食(こじき)だと思っただろ
そうみられても...  そうかもな】

確かに仙人はみすぼらしい出で立ちに描かれています。実際に目の前ではお目にかかったことはないのでなんとも言えませんが。


🖼️🖼️🖼️🖼️

No.21 唐獅子図(前期のみの展示)

大きな一対の狛犬がワイルドに今でも動き出しそうな姿勢で描かれていました。

狛犬達
【 我らは 普通 神社に納まっている
像は動かない
だが本当の我々の姿はこうである

もし我々の動きを良く見るなら
各それぞれの社の仲間たちも
このような姿をとることがある

それは像だから見れないだけだ

像の中に 仲間はいる

像に収まっているから
動かないように見えるだけだ】


次回も《奇想の系譜展》でのメッセージをご紹介します。

興味のある方は是非、間近で感じてみてください。

奇想の系譜展日記
こちらからもご参照できます。