第445話
おはようございます
菊水千鳳です
お正月はいかがお過ごしになられましたか?
初詣は行かれましたか?
前回の日記の続きで、東京 日野市にある高幡不動尊の境内にある、小さな稲荷社での参拝体験の前後の出来事になります。
この小さな稲荷社のすぐ近くに、空海さんの立像がありました。
像にご挨拶しました。
先ほど空海さんに
【 あとで、別の場所で伺おう】と言われたことを思い出しました。
別の場所とはこの像のことなのかもしれない?、と思いました。
案の定、空海さんはここで流暢に自分語りを始めました。
語り出したので、Sさんにいつものようにメモをお願いしようとしたら、
Sさん
『いけない!ノートを車の中に置いてきちゃった!ペンはあるんだけどな…💦💧』と。😅あらら
と、ここで究極の奇跡が……びっくり😲玉手箱😱
たまたま、参拝者が来られたので、像から5、6歩ほど離れたのですが、ちょうど足元に 何も書かれていない1枚の破かれたノートが、4等分に折られた状態で草の上にキレイな状態で落ちているのを発見しました。
お互いの目が皿のように丸くなり、瞳孔が開いちゃいました(すぐに閉じました(笑))
白紙の紙1枚がすぐそばにちょうど落ちているなどタイミング良すぎ…
紙を手に取り、落とし主が近くにいないか、もちろん居たら届ける予定でキョロキョロしましたが、気配なし…。
何故落ちてたかは謎ですが、これでメッセージをメモとれると大はしゃぎでいただくことにしました。
(高幡不動を去る頃にはノート一面に文字をピッタリちょうど書き終わりました。)
再び、像の前に立ちました。
ニヤリと意味ありげに微笑む空海さんの笑顔を見つめました。
どうやら、空海さんが用紙を一枚、あらかじめ用意して下さったのでしょうか… 真相はいかに(笑)
(因みに、このあと、メモできそうな紙などどこにも落ちたりしていませんでした。
メモが無ければ以下↓の長いお言葉を記憶だけでは覚えきれませんでした。まさに奇跡❤️)
空海さん
【(今年はお主達にとって)
極めて重大な年になるから
お主らが迷わぬようにしておくから
光を照らしてあげよう】
と言い、空海さんが右手に持っている杖を東??の方向に向けて掲げました。
その杖の先端部分から光の筋が一気に放たれました。
光の筋の太さは杖の太さと同じでした。
この時、方位磁石が無かったので東かな?って感じでした。
後で地図を確認したら、空海さんが指した方角は
今年の恵方 《東北東》のようです!
これからの一年、空海さんが光の道案内をして下さると約束していただけました。
闇や、まがい物を照らして下さる頼もしい光の筋道…
有り難く思いました。
日記をご覧の皆様にも、恵方が重要であることを伝えているようでした。
空海さん
【 かさを貸してやろうか
二人とも似合うぞ】
(かさとは、多分、像の頭に被っていた菅笠(すげがさ)のこと)
空海さんなりのおふざけ、か?
遍路の旅に出てみるか?等と思いました。
ここで他の参拝者がいらしたので稲荷社へ移動しました。
と、この時、除夜の鐘が!😃🎉
(↑この場面は前回の日記の稲荷社のところと繋がっています)
稲荷社でのお話が済んで、帰る前に もう一度、改めて空海さんに新年のご挨拶をしようと像の前へ回りました。
すると…
空海さんは菅笠(すげがさ)を外し、右手に持つ杖と左手に持つ鉢を足元に置いて、お辞儀をなされ、新年のご挨拶をしてきました。
空海さん
【 めでたい新年のご挨拶をするのに 笠を被ったまま、両手に(モノを)抱えたままご挨拶するわけなどなかろう
偉そうな素振りはせぬぞ】
と、ワザワザ 俺達のために、律儀な応対をしてくださりとても感動しました。
更に、
空海さんが意外や意外…😱
空海さんのこれまでのキャラが崩れてしまうような大胆な冗談が!!
↓
空海さん
【 光で照らされて…
初(はつ)日の出じゃな】と…
なんと空海さんは、笠を外したツルツルの頭を、すぐ近くの照明に目がけて頭を付き出したのでした。
つまり、ツルツル頭をライトに照らすことで、頭が眩しく光るから、それを太陽に見立てて初日の出、と言ったのでした…(笑)
びっくり😅 (信じられない冗談をされたのでした)
ここで、
空海さん
【 あー💦(こんなバカなおふざけをしたら) ワシの威厳が失われていく💦
お主らの前だからこうしたことができるんだからな
普段はこんなふざけはせんからな
このふざけは公表しないでくれないか(笑) 皆 戸惑うに違いないからのー】と。
ここでしんみりと、
空海さん
【 生前は(ワシに)悪ふざけはなかった
(ワシは) 今 こうして変わってきている
真面目すぎると
かえって人は傷つくことがある
そのようなことが
しばしばあるのだぞ
(生前から)堅物と言われてきたワシではあった
よもや ガイコツのように
笑わぬ人相であっただろうな
そう思われてしまうのも
訳ありであろうが
今の時代 それだけでは足りぬ
衆生を救うのが難しいことも出てくる
人 喜ぶことに意義がある
真剣さは時に応じて
人を追い込むことがある
幸せのつもりが災いに転ずる事もある
人は至って単純明快
幸せに生きること
これに尽きることではないかな
だからこその
こうして(冗談を言ったりする)ワシの(側面の)ことを伝えたもらえたら
心から楽になる
より健やかでいられるようになる
ワシにとって当時 弟子達に教えなかったこと
その流れを変えてくだされや
これ(=空海さんが冗談を言うこと)に もしや反対する人達も出てくるかもしれない
それも良いのだ
それを崩すこともない
そのままでいればいいのだ
決して責めてはならぬぞ
良き悪いはそれぞれの価値だから
お主たちはどう思うか
もしワシがチンドン屋のように一晩中明かしていたらどう思われるか?】
俺達
『空海さんらしくありません。 や、やめてくださいね(笑) いきすぎでしょう』
空海さん
【ワシらしくないと思うだろう?
土台が崩れるだろう
そこなんだよ
ワシはこのようなことは
至ってない
誰が言ってもそうはしない
(=チンドン屋の真似はしない)
強いてするとするなら…
(少しだけ間を置いて…)
お尻をペンペンすること(ニヤリ)
このくらいがちょうどいい】
だそうです😅。
こうして、大胆不敵なメッセージをいただいて、像を後にしました。
確かに、空海さん=真言密教の開祖であり、弟子達には特に厳しい修行を重視されたのでしょう。
さほど笑わない、真剣み溢れる生い立ちを送られてきたのかもしれません。
真面目さだけでは衆生を救いきれない、はたまた おふざけだけでも衆生を救いきれない。
多少のバランスを空海さんは仰りたかったのではないでしょうか。
時と共に、神も人も変わります。
次回も高幡不動編の続きを予定しています。
大観音像、虚空蔵菩薩、弁財天(べんちゃん)が登場します。
こちらからもご参照できます。