北斎派浮世絵師の作品と思われる 肉筆浮世絵
「子守り図」 紙本 無落款”子供を背負い子守りをする母親、先ほどまで愚図っていたのだろうか、左手にでんでん太鼓を持っている。やっと寝入った我子を背に、子守唄でも口ずさんでいるのだろうか。”紙本に描かれた無落款の作品になりますが、母親の顔などは北斎風であると感じます。さすがに北斎の作品ではないでしょうが、無落款ゆえに最近有名になってきた娘の応為(おうい)の可能性も少しはあるかもと想像すると少し楽しくなります。葛飾 応為は、江戸時代後期の浮世絵師。葛飾北斎の三女。応為は号(画号)で、名は栄(えい)といいます。北斎と同居し女流浮世絵師として、北斎の作画の助手も務めました。特に美人画に優れ、北斎の肉筆美人画の代筆をしていたともいわれています。北斎は「美人画にかけては応為にはかなわない。」と語ったと伝えられています。北斎が亡くなった後、突然家出をして行方不明になったとも、加賀前田家に扶持されて金沢に移り住んだとも言われています。どちらにしても、北斎の才能を受け継ぎ、北斎という偉大な画狂人を陰ながら支えた人生を送ったのでしょう。浮世絵師としては革新的な陰影法を強調した細密な肉筆画を残しています。メナード美術館の「夜桜美人図」は無款ですが、特に最近話題になっている作品です。ところで北斎というと、人気絵師で門人も大勢いたのにもかかわらず、たえず赤貧にあえいでいたと伝わります。どうもその点が少し納得できません。理由としてよく言われるのが、画工料を貰っても、数えもせず包のまま机に放置して、米屋、薪屋が請求にくると包みのまま投げつけて渡し、集金人は多めに入っていれば着服するし、少なければ催促したといい、金銭に無頓着であったのが原因と言われています。もう一つの理由が長女の息子が、大変な悪党で北斎は孫にたかられていたというものです。しかしそれが貧乏の主因には少し無理があるような気がするのですが。江戸時代後期の大工の収入が、一か月で約2.25両 (1両を10万円として)現在の価値は225,000円。当時の大工の賃金は、他の手間賃よりも高額だったので、これだけあれば十分に家族が生活できたと思えます。北斎の画工料は通常の倍の金一分(現在の25,000円)。北斎程の人気絵師ですから月に相当、描いていたと思えます。また肉筆ならば10両以上は貰っていたでしょう。かなりの収入があったのが想像できるから、余計に不思議です。