悪魔のような人とはこんな人【仏教の教え】 | 仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

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親鸞聖人の言葉に「さるべき業縁(ごうえん)の催(もよお)せば、如何なる振舞(ふるまい)もすべし(歎異抄)」とあります。
"縁がくれば、どんな恐ろしい事でも、親鸞はやるであろう"との親鸞聖人の告白です。
ここで親鸞聖人の言われる「如何なる振舞」の中には、窃盗もウソも虐待もある、殺人もあれば、自殺も入ります。
縁がくればどんな恐ろしい事でもやってしまう業(カルマ)を持つ我身を知らされ、痛切な懺悔から親鸞聖人はこう述懐されたのです。
これは親鸞聖人だけのことではありません。



カンボジアのポル・ポト政権下で1万2千人以上が殺害された政治犯収容所の所長を務めた77才の元幹部が、入院先の病院で死亡したと最近報道されました。
拷問や処刑を直接指揮したとされる人物です。
彼はかつて首都プノンペンの最高学府に全国2位の成績で合格した優秀な青年でしたが、共産主義に傾倒し、革命運動にのめり込んで行きました。
ポル・ポト政権が彼にとって「さるべき業縁」であり、それにより拷問や処刑という「いかなる振る舞い」がなされたのです。



ドイツの哲学者ハンナ・アーレントは、多数のユダヤ人を殺処分したことで「凶悪」「悪魔」「怪物」とされていたアイヒマンの裁判を傍聴し、そのあまりに小市民的な姿に「怖いほどの凡人」「国家の忠実な下僕として罪の意識もなく従っただけ」と評しました。
平和な時代ならまじめな公務員として一生を終えていたであろうアイヒマンは、ナチスの政権に順ったため、想像を絶する残虐な犯罪人と化したのです。



縁がきたら人間は何をやるかわからない。
「あんなことだけは絶対やらない」と言い切れる正義の人は果たしているでしょうか。
人間の実態を深く洞察したお言葉が「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし(歎異抄)」なのです。