あと一年の命となったら、必ず○○をしろ【仏教の教え】 | 仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

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『かぎりとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり』
源氏物語の主人公、光源氏の母である桐壺が、三歳の幼子であった光源氏を遺し、病でこの世を旅立つときに遺した歌です。
(今日を限りと死出の山路に赴かねばならぬとは... 私が行きたかったのは命ある道です。生きたい。生きていたい。悲しみの中で気づきました)



死を前にした人間が感じる底知れない不安を、千年前の小説には、このように記されているのですが、これはいつの時代、どこの国の人も共通した根本的な不安であり、古今東西の人類にとってこれ以上の大事はない、とお釈迦様は説かれています。



がんとの闘病生活の末、20代でこの世を去った20代の漫画家がツイッターにこう遺しました。
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■何だか最近情緒不安定でよく泣くようになってしまった。
■薬が効いてるのかもわからないし、もうすぐ余命宣告された半年が経つ。怖い。
■ああ、怖いな。最近本当に情緒不安定だ。
■怖い。生きてくのが怖い。死ぬのも怖い。もう嫌だ。
■主治医との面談が終わった。また一つ薬が減った。残念ながら終わりが見えてきてしまった
■辛い……。一年持たないのかもしれない。嫌だ死にたくない。
■怖い、辛い、誰か助けてくれ……
■俺も普通に生きる未来が欲しかったな。
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ネット上のつぶやきですが、千年前の桐壺の詠んだ和歌と胸の内は同じです。



死はそれぞれの生涯の中で、違った時期に、違った形で、人生の行く手に立ちはだかる大きな壁です。
突き当たって人は初めて、その威力を思い知ることになります。
死を前にしては、外国人も日本人もなく、皇族も平民もなく、共産主義者も資本主義者もありません。
何万年前の人も、今も、何万年後の人も、生きている以上、万人が避けられない一大事なので、仏教では「生死の一大事」といい、その解決を目的とします。
これは、いつか死ぬからこそ、かけがえのない生に気付こう、ということでもなければ、死を見つめ、有限の命を知ることで、より人生が輝く、ということでもありません。
生死の大問題を解決することで、生きてよし、死んでよし、の絶対の幸福に雄飛する、ということです。