同調圧力にNOと言える勇気を持て【仏教版】親鸞聖人の流刑・承元の法難 | 仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

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沈没しかけた船から海に飛び込むよう船長が説得を行う、有名なジョークがあります。
アメリカ人には「飛び込めばあなたはヒーローになれます」
ドイツ人に「飛び込むのはルールです」
イタリア人に「飛び込めばあなたは女性に愛されます」
日本人に 「みんな飛び込んでますよ」
これが世界の人の典型的な日本人の印象ということですかね。
「みんな~してますよ」の言葉に弱いのは日本人だけでなく、もちろん他国の人もそういう人間心理があるに違いないですが、確かに日本人はみんなと歩調を合わせなければ不安になる傾向が強いように思います。
単一民族の島国だからか、稲作の共同作業生活だったからか、その理由はいろいろありそうですが、なにしろ子供の頃から「人様に迷惑をかけることだけはするなよ」「世間さまに笑われるような人間にはなるなよ」と言われて育ちます。
理不尽なことでも年長者から「世間とはなぁ、そういうもんなんだ」と言われると、その主張が通ってしまうものです。
日本人に特に強い、一種の「世間」信仰とでもいいましょうか。



教室でも、職場でも、近所付き合いでも、周りと足並みそろえてできない人の評価は低く、空気が読めない人と疎んじられます。
会社の会議でも、根回しが重要視されますし、「世間の常識」「定説」「しきたり」「伝統」という言葉に弱いのも、日本の特徴です。
この日本人の特徴は、秩序、団結、協調性など世界中の人が一目置く美点として発揮されますが、一方で少数意見や弱者の声を封殺し、異端を許さぬ偏狭な集団になる危うさも秘めています。
世間信仰の長所と短所といえましょう。



多数派に身を委ねる方が悩まなくていいので楽ですし、レストランや読む本を選ぶ際は、そうした方が堅実です。
しかし人生の根本的な問い、「何のために生まれてきたのか?」「なぜ生きるのか?」「どうして自殺してはいけないのか?」といったこれらの問いには、その時代の潮流に身を任せて答えを安易に出していい類いではないはずです。
多数派のどこかで借りてきた言葉を並べて事済む問いではありません。



その昔、シッダルタ太子は29歳の時、王と王妃であった両親、側近の大臣、家来、国民全てが太子に望んでいる道を選ばず、ただ一人夜中密かに城を出て、真の幸福を探求する道に入られています。
誰も評価しない、常識破りの人生の選択でした。
そして35歳12月8日、ついに仏の悟りを開き、お釈迦様(ブッダ)となり、全人類の救われる大道を開かれたのでした。