堕落した僧侶とはどんな人か【仏教の教え】 | 仏教講師の菊谷隆太が『人生の目的』を親鸞とブッダの言葉で示すブログ

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何人かの方から「御布施はお経をあげてもらったお礼だと思っていました」との感想をいただきました。
それが今日の常識なんだと思います。
実際「御布施の意味」と検索してみても各種葬儀社のサイトなどに「葬儀や法事の際に、読経などの一連の儀式を執り行ってもらったことや戒名をいただいたことへの謝礼としてお寺や僧侶へ渡す金品のこと」とあります。
その法事をつとめるための金額が一般家庭には馬鹿にならない金額なので、頭を悩ませる人が多いようです。



そんなお一人の感想ですが、匿名保持のため、一部情報を変えています。
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おはようございます。
いつも仏教についてのメルマガ、拝読しております。
読み始めてもう一年以上になりますが、仏教というものは奥が深くて難しいなと感じながらも、こうして触れられること自体に有難いと思っています。
No.2167のお布施を渡さなくてもいい場合がある、というタイトルでは、目から鱗のような気持ちになりました。
昨年他界した夫の葬儀や四十九日、一周忌法要にお墓の開眼供養などお布施に纏わる儀式が今年は重なり、余計に今回のタイトルに目が止まりました。
うちは娘が2人おり、長女は大学生で次女は今年高校生になったばかりで、これからまだまだお金がかかる年頃です。
(中略)
お布施の額に関して、毎回お寺にお願いする度に頭を悩ませています。
お仏壇屋さんに聞いたり、お墓の事務所の方に聞いたり、ネットで調べたり…
明確な基準があれば良いのですが、ネットで調べても高額な印象が正直な感想です。
お布施、お車代、お膳料と初盆を控えた今また頭を悩ませています。
コロナ感染が拡がってきてるので、法要自体をどうするかも悩んでいます。
初盆の祭壇をお寺と葬儀社からプレゼントという形で(お代はかからないそうですが)わざわざ法要の前日に祭壇やお花など祭壇を飾りに来るそうです。
お布施は余分になど気になさらないでくださいとのことですが、悩ましいところです。
亡くなった主人に対しては私なりに感謝の気持ちと精一杯の供養をの思いでいますが、現実に生きていく中では一言では片付けられないものがありますね。
(後略)
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この方も書いておられましたが、コロナ禍で3密を避けるために法事を取りやめる家庭も多くなり、この風潮に頭を悩ませているのが寺院、葬儀社です。
初盆の祭壇をお寺と葬儀社からプレゼントというのも、なんとか法要をしてほしいからだと思います。



この感想をくだされた方、若くしてご主人を亡くされ、どんなにお辛いことか、そこで精一杯供養したい、感謝を捧げたいお気持ち、尊く思います。
しかし供養、感謝は法事だけではありません。
ご主人の気持ちを考えてみれば、何より望まれることは残された家族が幸せになること、これにつきるのではないでしょうか。
亡くなられるとき、何より心残りであり、心配されたであろうことは、これからのご家族の生活だったと思います。
子供さんがまだ学生であり、お金もかかりますし、その生活費、学費を確保するために法事が簡素になることはご主人を悲しませることには絶対なりません。
子供さんが自分の望む学生生活を過ごし、経済的にもやっていけて、家族みなが幸せに生きることが、何よりも亡くなられたご主人の望まれることであり、最も供養になることです。



そもそも命日にはお坊さんを呼んで「読経はお坊さんにあげてもらわなければならない」と思っておられる方が多いようですが、そんなこともないですよ。
「ろくな挨拶や会話もせずお布施だけもらって帰って行く」いわゆる気持ちのない僧侶に読経してもらうより、家族が丁寧に気持ちを込めて仏前で正信偈をあげる方がずっといいです。



ではなぜお経を法事で読むのか。
それはお経には、私たちが幸せに生きる智慧がいっぱい詰まっているからなのです。
お経に書かれている教えを学び、残された家族、親戚、友人が幸せに生きることこそが、葬儀や法事に集う本当の意味であり、故人の最も喜ぶことなのです。
そしてその時には難しい漢字ばかりで書かれているお経の内容をわかるように話をする人が必要で、その人が「僧侶」「お坊さん」なのです。
僧侶の使命は仏法をわかるように届けること、これ一つです。



お釈迦さまも、そのお弟子も、翻訳した三蔵法師も、日本まで伝えた僧も、親鸞聖人も、蓮如上人も、仏法の内容をわかるように多くの人に伝えねばの使命感に生きられた方々です。
そのわかりやすい仏教の教えに触れた人たちは、こんな話もっと聞かせていただきたい、ありがたい、と感謝の気持ちから出されるのが「御布施」なのです。
決して渋々出すものではないので、「御布施」のことを「御喜捨」ともいいます。
お礼の気持ちから喜んで出させていただきたい、というものだからです。