気遣いとは、周りに対してやってよいこと、やって悪いことや迷惑になることや面倒を見ることなど、気を使い周りに迷惑をかけずスムーズに事が運ぶように気を配ることです。
例えば、年を取り動きが悪い人は、若い人を優先して、電車やバスなどに乗ったり下りたりする場合、お先にどうぞ、というようにすれば、相手から感謝され気遣いのできる人だと思われます。
そのような人は、老人とは言いません。年を重ねた人格者なのです。
どうしても年を取ると、年を取ったことに対して、年寄りだから、優遇されたり、気を遣うのは当たり前と判断して、人に迷惑をかける行動をと、自分は年寄りだから仕方ないと思っている人があまりにも多いのです。
若い人にも言えます。子供がレストランや静かなところで大声を出しても注意もしなく、子供にい行かせることもしない若い親が沢山います。
このことは子供の教育上もよくないことで、小さいうちから、やってよいことやってはいけないことを教えなければ、大きくなってもよい悪いの判断ができない大人になってしまうのです。
(三つ子の魂、百までも)ということわざがありますが、幼いうちに人間としてよい悪いを教育しなければならないのです。
昔は学校で道徳という時間がありました。
人間としてやってよいこと、やってはいけないこと、弱いものを助けること、人に迷惑をかけてはいけないこと、を理屈なしで人間とは、このように生きなければ人間として失格になるということを教えたものです。
この道徳の時間を取り入れる、取り入れないなどの議論を数十年議論していますが、一向にやろうとはしません。
私は道徳の時間を取り入れることが、人間としての正しい生き方を教えるのに重要だと考えます。
今の若者は、法律に触れなければ何をしてもかまわない、見つからなければ何をしてもかまわない、というような現実的な考え方の人間が殆どになってしまっています。
もう一度よく考えてください。
人間に生まれたからには、人間としての役目を果たすため、個人の人間として、世の中に貢献して、より良い社会つくりをすること、このことは地球全体にかかわってくることだという自覚を持ってもらいたいものです。
人間は一度しか生まれず、一度の人生だったら面白おかしくするのは当たり前だという人がいますが、人間が生まれた理由は、修行のためと前世のカルマを拭うため、のあるのです。
自分勝手に生きるとカルマは更に着き、生まれ変わっても苦労ばかりの人生を歩むことになります。
正しく生き、カルマを拭うことで来栖は幸福な人生を与えられるのです。
人にやさしく、施しの心を持ち、人を許す心を持ち、社会貢献を果たすことが人間としての宿命だとお考え下さい。
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施術を受ける心構えとして、何を差し置いても病を治したいという必死の心境が必要です。
無難になんとなく治したいというのでは奇跡の効果を与えることはできません。
命の危機感をもってください。