遠隔気功とは離れた場所から念を送り、相手の病を治したり、相手の精神状態を良好にしたりする気功です。

気功はいつも説明していますが、体内の気の力により、病を治したりする行為です。

気功や遠隔気功やガン気功や難病気功などで検索してホームページを見るとズラーっと訳の分からない気功師のコメントが出てきます。

簡単に難病やガンを治すと堂々と書いてありますが、治す力のない気功師が殆どです。

難病やガンに高い効果を出せるのは、宇編まれ持って与えられた癒しの超能力を持った人間にしか高い効果を出せないのです。

ましてガンや難病を完治にまで持っていけるのはヒーラーの中でも最も力の強いヒーラーにしかできないのです。

 

しかし、ガンや難病を簡単に治せると言う宣伝に、こんなにガンや難病を治せる人間がいるのかと安心して、うまいことの書いてある気功師にガンや難病の施術を受けても何の効果もなく、そのうちに病が進行して取り返しのできない事態になるのです。

力のない気功師などの言い訳は、先祖の霊が強すぎるとか気を受け入れられない体質とかいい加減な嘘を言ってごまかすのです。

 

よく考えてください。

手のひらを押し当てた気功でも治せないのに、ましては、遠隔で治すなんてありえないでしょう。

慣れた場所から出かけることもなく労せず治してくれたらこんなに良いことはありません。

このような労せず簡単に治してもらおうとすることで遠隔気功のうまい宣伝に騙されてしまうのでしょう。

 

もう一つは、相乗効果と遠隔気功をやっているのだと言う、安心感が働き少しは良くなった気がする人もいるのですが実際に遠隔気功で効果が出たのではなく、一時的な思い込みが働くのです。

 

恥ずかしい人間かどうかを知りなさいと言うタイトルでブログを書きましたが、出来もしなことを堂々と言っている自己満足的な錯覚をした人間のことを言っていたのです。

 

少し前まで、遠隔気功専門店などの触れ込みで、ホームページに高いお金を払って堂々と掲載していたインチキな人間が居ました。

この人は遠隔気功専門店などの店をする前に歓喜堂に来た人でした。

どこが悪いのですかという質問に、私は同業者で遠隔気功をしている人間だと言うにでしたが、全く気が感じられず、よくこんな人が気功店を開いているのかと思いました。

インチキな人間は話がうまく、ホームページも神秘的な光景を入れ、凄い人間だと言わんばかりに首に太い数珠をつけ、山の上で手のひらを合わせ念ずる写真が出ていました。

 

この人の遠隔気功のやり方は、札に名前を書き、何時にこちらの方向に向かい手を合わせ、気をかじるようにしなさい、というやり方で、本人はこの時間に火を焚き、護摩焚きのまねごとをして念を送るふりをしていたため、一回に何十人の遠隔をしていたのです。

しかし、効果が出るはずもなく、苦情が殺到したため、店の名前を変えたり、逃げ回っていたのでした。

遠隔気功をしていた人は、泣き寝入りになってしまったのです。

 

このような、インチキというかその気になっている愚かな気功師はたくさん知っています。

中には弟子を6人抱えたその気になっている愚か者もいました。

この愚か者ですが、遠隔気功を受けていた末期ガンの人が危篤になり、この人間委このことを伝えたら、(私は超能力者なのだから死ぬわけがない)と言ってから数日後に亡くなったのでした。

 

遠隔気功をできる人間は日本には私を含めてごくわずかしかいませんが陰に隠れている人が殆どです。

ホームページに遠隔でガンや難病を治すと書いてある気功師は絶対に治せないことを知ってください。

労せず治すなんてことはあり得ません。

何に変えても何を失っても治したいと言う必死の思いが必要だと言うことです。

何を失ってもというのは財産を使い切ると言うことではなく、死んだら終わりなので必死になっていただきたいと言う意味なのです。

 

くれぐれも愚か者には注意をしましょう。

 

施術を受ける心構えとして、何を差し置いても病を治したいという必死の心境が必要です。
無難になんとなく治したいというのでは奇跡の効果を与えることはできません。
命の危機感をもってください。

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人間界は天国と地獄の境目の宇宙なのです。

天国に感じるのも地獄に感じるのも、その人の感覚でいかようにも感じるのです。

その人の感覚なので、他の人と見比べても仕方ありません。

例えば、ある人は月に30万円あればそれなりに楽しんで暮らせるとし、ある人は月に一千万ないと満たされない人もいるので、その人なりの満足感で良くも悪くも感じるのです。

 

天国と思えた時は、欲を満たされて、自分が感じる幸福感に満たされる時でしょう。

地獄と思えた時には、仕事がうまくいかなかったり、自分が思うような満足感が足りなかった時でしょう。

人間は必ず、不幸が訪れます。

身内の死や突然の挫折は地獄に落とされたような悲しみと悲壮感にとらわれるでしょう。

 

これが人間として生まれた宿命なのですが、自分次第の考え方で天国にも地獄にもなり、あくまで自分でどちらも選べるのですから、それに向かって精進すればよくなるのですが、ダメ人間は、努力も精進もせず、良いことが起こるように願うだけで、不幸が続くと死にたくなる、ということは人間に生まれたことを恨むと言う考え方になってしまうのでしょう。

 

人間に生まれたことに感謝をと言う意味は、虫や動物に生まれることもある中から、人間に生まれたことは奇跡に近いことなのです。

虫や動物は自分が誰であるかの意識はなく、ただ本能のままに生きるのですが、虫の場合、毎日ほかの動物から襲われる恐怖と食を満たすためだけに生きるのです。

動物も同じです。食を満たすため、子孫を残すために生きますが、弱肉強食の世界は生きるために毎日を戦い生きるため、安堵の時はないのです。

 

動物には意識はありませんが、人間には意識があり、考える力があり、喜びも自分次第で手に入れることができ、この人間界を自由に謳歌できるのは人間でしかできないことでしょう。

素晴らしいとは思いませんか。

この世は修行であり、正しい生き方次第で、次生も人間に生まれることができるのです。

 

人間が嫌だと自殺をする人がいますが、自殺は絶対にしてはならないことなのです。

自分から人間を放棄すると言うことは、修行を途中で放棄したことになり、死後は音もなくどんよりした暗闇で一人で何十年、何百年も過ごさねばなく、生きていたことの辛さなど問題にならない、寂しさが付きまとい、逃げ出すこともできない世界に入れられてしまうのです。

 

祖いて許される時が来て、運よく人間に生まれたとしても、前世のカルマが付き、自殺をしたことの罰が付き、苦しく耐えがたい修行をさせられるのです。

その修行に耐えなければ、生まれ変わっても、寂し辛い修行に追い込まれるのです。

 

この辛さを考えれば自殺など絶対にしないでしょう。

生き抜いて、修行を果たすのです。

前会説明していますが、喜びを手に入れるのは、自分を鍛え、難問難関に耐え、それを克服して達成感を手に入れ喜びを手に入れるしかないのです。

 

何となく普通に生きていたら、喜びは手に入りません。

自分を鍛えるのです。

人を当てにしてはなりません。

例えば病気になって、病院では治らない病の場合、行いが良ければ力の強いヒーラーと巡り合うでしょうが、行いが悪いと、大きなことばかり言っている力の弱い気功師に巡り合ってしまうのですよ。

 

人間に生まれたことに感謝をして、正しい行いをして強く生きるのです。

 

施術を受ける心構えとして、何を差し置いても病を治したいという必死の心境が必要です。
無難になんとなく治したいというのでは奇跡の効果を与えることはできません。
命の危機感をもってください。

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人間が恥ずかしと感じることは、ウソがばれた時や大きなことを言っても出来なかったとき、うぬぼれが自分で分かった時、能力以上のことを言っていたのに、低い能力が分かってしまった時、などは自分が恥ずかしいと思う時でしょう。

 

自分が恥ずかしいと思わなくとも周りの人間が恥ずかしい人間だと思うのは、本人が自覚をしていなく分かっていない時に、周りの人から、馬鹿にされ、軽蔑の目で見られるのでしょう。

 

自分で気が付く人間はやり直しがきくでしょうが、自己陶酔というか、自分が分かってない人間が、出来もしない大きなことを言ったり、偽造写真を使ったり、自分が分かっているならば、そんなことは言わないだろう、誰が見てもかっこ悪いことを堂々としている、姿は救いようがない人間でしょう。

このような人間は、自分だけ凄いと思い込み、周りの人の目などは一切気にしない人間なのでしょう。

自分が分かってない分、悩みもなく恥ずかしさも感じないのである意味幸せなのかもしれませんね。

 

恥ずかしいと言っても周りに大きな迷惑をかけるわけではないので、笑われないようにしなさい、程度のことですが、恥ずかしさを全く感じない悪魔的な人間が世界にいます。

自分の欲望だけを満たすために、他の人間のことなど一切思いやることなく、自分のやっていることは正当だと言わんばかりに破壊行為を続けている人間がいます。

 

人間とは、悪の部分と善の部分がある生き物ですので、最初は人のためとか人類のためとか言っているのですが、自分が最高の立場になった時から、悪の部分が出て来て、自分の欲望を満たすためだけの人間になってしまうのでしょう。

 

人間界は悪と善の±0の世界なのです。

天国に思えるのも地獄に思えるのも、自身の思い方と感じ方で天国や地獄に思えるのです。

 

天国を味合うには、自分の立場を理解をし、無理することなく、小さな喜びを大きな喜びに思えるように、精進することです。

しかし、小さな喜びを大きな喜びに感じるには、自分を戒め、自分を鍛え、少々の嫌なことや不幸を乗り越える精神力を養わなければなりません。

 

いつも言ってますが、自分から難関、不幸を克服することをするのです。

不幸に負けていては人生の喜びは手に入りません。

 

柳の様に雲の様に、何事も柔らかく捉え、精進を重ねるのです。

必ず安らぎが訪れるときが来るはずです。

生きるのは大変ですが、修行と思って強く生きるのです。

 

施術を受ける心構えとして、何を差し置いても病を治したいという必死の心境が必要です。
無難になんとなく治したいというのでは奇跡の効果を与えることはできません。
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気功についていろいろな観点から説明しましたが、気功を身に付けることは自身の精神と体を整えることができるようになります。

もともと中国での気功の考え方は、自身の健康のために行ったのです。

精神統一をして無の心になり、雑念を捨て、宇宙の気を体に入れる瞑想をし、体が健康になるよう、正しい生き方ができるように祈るのです。

この宇宙の気を取り入れる気功が外気功と呼ばれるものです。

内気功とは、自身の体の中にある気を活用するのです。

例えば太極拳などは気を凝縮して、手のひらから相手にぶつけて衝撃を与えて倒すというものです。

漫画の孫悟空のかめはめ波は、大げさにしたものです。

 

正しい気功の使い方とは、毎日必ず宇宙に気を取り入れる瞑想をしながら、体の隅々の健康を祈り、友愛の精神を強く念ずるのです。

座禅も気を集中して無の境地から、自分を見つめ直し、新たな気持ちになることを目的としたものですが、気功の修業ではありませんが、やっていることは気功と同じことなのです。

このことにより、人との争いは無くなり、人を許すことができるようになり、自身も健康で毎日が楽しく生きられるのです。

 

人間最大の喜びとは、達成感と自信がやり遂げたという自信から喜びが生まれるのです。

単純な喜びは、うまいものを食べた時、自分で思うことを遂げた時、自分がやりたいことを達成した時でしょう。

これは欲望が付いて生まれたため、欲望を満足した時に感じる喜びですが、欲望は果てしなく、これで終わりということは無く、できないのです。

 

自分を戒め、難関に向かってチャレンジをして達成した時に最大の喜びを手に入れることができるのですが、いつまでも喜びは続きません。

さらに難関に向かって克服するのです。

一生このことをしなければ、安心感と安らぎは離れてしまうんです。

 

喜びと安らぎを手に入れるには、自分の能力を理解をし、能力の範囲内で満足するように心がけ、その中で最大限の努力をし、前向きに精進をする、そして難関に向かい克服するようにする、この繰り返しから、人間が大きくなり、少々のことは気にならなくなり、平和な安らぎの喜びが来るのです。

 

これこそが最大の人間としての満足であり喜びなのです。

 

この世は修行の場なのです。

克服して喜びを感じ、また克服して喜びを感じる、そうしなければ、挫折してしまうのですが、このことを何年何十年としているうちに人間が大きくなり、卒業が訪れた時に、最大の安心感と安らぎが生まれ、思い残すことが無く卒業できるのです。

 

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昨日気功のやり方を教えましたが、精神統一して宇宙の気が体に入ってくる瞑想を毎日繰り返し一か月くらい経った頃にはいくらかの気が出ているでしょう。

気の強弱は人によって違います。

手のひらを軽く重ね、両手の平の間や指の周りにまつわっている、ぼんやりしたものが気ですが、見える人には見えますが見えない人には見えません。

見えない人は、テレビの消えた黒い画面に手を写すと見えるかもしれません。

 

◎気功をしている写真に手のひらが光っている写真がありますが、あれは偽造写真なのです。

あのような光は出ません。

あくまでぼんやりした空気のようなものなのです。

気はその人間が持つオーラが出るのです。

オーラとはその人間が持つ生命体です。

 

◎気功を身に付けるには正しい生き方と友愛の精神を忘れず、人に施しを捧げると言う心が一番大切なのです。

 

気功についていろいろなことを言っている気功師がいますが、心臓の鼓動ではなく、その人の持つエネルギーがテレパシーとして相手や自分に伝わるのですよ。

 

昨日も説明しましたが決して自慢のためや良い格好をするために気功をしてはなりません。

このような考え方で気功を身に着けようとしても、気功は身に付かないでしょう。

 

誰でもわかるように気功を教える、などと言っている気功師もいますが、一番重要なのが友愛の精神と正しい生き方なのです。

正しい考え方の気功を身につけましょう。

 

ただし、気功に向いている人で、修行をたくさん積んでも気功ではガンや難病に多少の効果は与えられるでしょうが、完治にまでは至れないのです。

それでも、人のためになればという考え方ですることが大事なのです。

 

ガンや難病に高い効果を与えられる人間は生まれ持って神より与えられた宿命の癒しの超能力者でも高い能力の人間にしか完治には結びつけられないのです。

 

人間には持ち場があります。

自分の能力の範囲内でできることをやればよいのです。

無理な背伸びをしたり、大きなことを言ったり、嘘をついてでも大きく見せたいと言うことでは、みっともなく恥かき人間になってしまいますよ。

 

施術を受ける心構えとして、何を差し置いても病を治したいという必死の心境が必要です。
無難になんとなく治したいというのでは奇跡の効果を与えることはできません。
命の危機感をもってください。

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