人間に生まれた意味とは、簡単に言えば修行をするために生まれてきたのです。自分から進んで人間界で修業をする人は居ません。なぜならば人間界は地獄の一丁目だからです。10回の苦しみの中で一回いいことがあれば十分ですが、楽しいことが感じられなく苦しみばかりの生活を余儀なくしている人も沢山います。ですから地獄と天国の狭間にあるのが人間界です。煩悩を与えられて欲に駆られるために苦しい思いをしなくては生きられないのです。昨日も言いましたが、全ては自分の考え方ひとつで良くも悪くも感じられるのです。

般若心経の中に五蘊という言葉があります。受、想、行、色、識、とは、受とは暑い寒い不快という感覚です。想とは想像力によるイメージを描くこと。行とは何かをなそうとする意志。色とは形あるもの。識とは目や耳や鼻や下で感じる感覚のことです。

この五蘊全てが自分で作り出した感覚から生まれてくるのです。人それぞれの感覚からは、嫌だと思う人が居たとしても、ある人には嫌なことでも何でもないと感じる人もいます。【心頭滅却すれば火もまた涼しい】という言葉があるように熱くないと思ったら熱くないのです。

全ては自分の感覚から、楽しい苦しいと判断をするのでしょう。ですから最初から何にもないものを自分自身が作り出しているのです。

考え方次第では良くも悪くもなるのです。このような考えに至るには、ある程度の精神的な修行が必要ですが、日常このことを知っていれば有利に生きられると思います。人間に生まれた意味とは、自分にしかできないことをするために生まれてきたと思って下さい。

この世にいらない人間など絶対に居ないのです。そのために生まれてきたのです。このことを理解をしてこの世の中での自分にできることをすればそれでよいのです。大きなことをしなさいと言うのではなく、自分に出来る、人に喜ばれることをすればよいのです。

もう一つ付け加えますが、私は昔からある意味を考えてきました。例えば100歳まで生きるとして、99年間は苦しい生活だが、最後の一年は楽しい思い通りの生活ができる。もう一つは99年間思い通りの楽しい生活が送れるが最後の一年間は苦しい生活を送らなくてなならない。昔の私でしたら100分の一の確率から判断をして99年間楽しいほうが良いと言ったはずです。しかしよく考えてください。

時間はどんどん通り過ぎて全ては過去になるのです。思い出だけでしかないのです。でしたら最後の一年間を楽しんで卒業(死)を迎えることが安らぎに繋がるでしょう。ガンや難病に罹った方も同じことが言えるのです。自分だけ何故不幸なのかと思うでしょうが、意味があると思って下さい。難病やガンが治ったら今まで以上の幸せがあるのです。これこそが安らぎの境地に達する心境なのです。

しかしその人の行いや縁が無ければ、不死の病を治してくれる人とは巡り合えないのです。その人の宿命もあります。

 

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この前も書きましたが人生を有意義に生きるには、達成感の連続からその都度の喜びを知ることなのです。分かりやすく説明しますと、歌手の中に、【何でもないことが幸せだったと思う】という詩があります。この意味は皆さんお分かりだと思いますが、今考えてみれば、何でもないこと(平凡で変化のない生活だが、悩みのない生活が出来た」ということは悩みのない生活だったということでしょう。これこそが一番幸せなのです。しかし、人間は煩悩があるために欲に駆られ、とどのつまりを知らないのです。自分の器も考えず、もっと幸せがと願ったりもっとお金が欲しいとかもっと出世をしたいとか、自分の欲を制御できないのが人間なのです。中国の、秦の皇帝という人物を知っていると思いますが、中国を制覇して何でも自分の思い通りのことが出来た時でも欲望は果てしなく、世界を手に入れようとしたという話です。実際には暗殺されたのですが、生きている間には、欲望の限りを尽くしても満足は出来なかったようです。ある逸話ですが、ある日にあらゆる食べ物にあきた皇帝は「ヒバリの下を食したい」と難題を持ち掛けた配下の者は一万羽のひばりの舌を皇帝に食べさせたというのですが、一万羽のひばりの舌と言ってもスプーンに一敗程度しか取れません。私が思うには牛タンのほうがよっぽどうまいのではと思いますが、ただ食べたいだけではなく、力を見せつける豪の意味からも満足感を達せさせる手段なのです。このように人間とは自分を見失うと歯止めの気かない状態になるのです。これでは満足感など味わえないでしょう。ですから、小さな喜びを大きな喜びに感じる心が、満足感を与える安らぎの心に繋がるのです。小さな喜びを大きな喜びに変えるには、自分の器を知り、その中から満足を見出すことです。しかし向上心は持ち続けなくてはなりません。この前も説明しましたが、人間の一生は山登りを繰り返さねば達成感と安らぎは生まれないのです。山登りを致すときには苦しいのですが。峰に着いた瞬間はやり遂げた達成感と峰に着いた安ど感で、最高の幸せと安らぎを感じるのですが、長くいると飽きてしまうのです。そこから、さらに上の峰に向かって進むことで、苦しみを乗り越えて、上の峰に着いたときには達成感と安らぎが生まれます。このことを一生繰り返さねば安らぎのある人生を満喫できないのです。もっと伝えたいことはありますが、簡単に説明しました。自分の器を知り無理なく、戒めの心を忘れずに、生きていることに感謝をして生きることです。必ず納得のいく人生を送れることでしょう。

 

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