アメリカにいたとき、嵐のファンでした。
今年いっぱいで嵐が活動休止になるので、嵐の思い出を振り返ろうと思います。
始まりは6th gradeのとき、知り合いから「ごくせん2」のDVDを貸してもらったことです。
当時KAT-TUNが人気だったんですよね。
ドラマのシーズン2を見たらシーズン1も見たくなるのが人間のサガ
YouTubeもサブスクもない時代だったので、インターネットで「ごくせん1」について調べ、嵐というグループの人が出ていると知りました。
そういえば日本にいたころ、知り合いのお姉さんがMステで嵐を見ていたような.....
後日コスタメサのブックオフで嵐のCD探したところ「いざッ、Now(初回限定版)」を発見!
月に$10のお小遣いからCDを購入し、帰宅後ウォークマンで聴いてみました、
必然的に初めて聴いた嵐は『言葉より大切なもの』
グループ全員でユニゾンを歌う、ザ・ジャニーズ!の感じに若干の違和感を覚えつつ
2曲目『JAM』では「どの声がごくせんの人かな....」と予想していました。
アルバム全部が終わるころには「いい曲多いじゃん嵐!」とすっかりお気に入りに
初回限定版にはDVDが付いていたので、家族が寝静まった夜中、リビングでこっそり鑑賞。
必然的に初めて見た嵐の動画は『とまどいながら』のMV
ごくせん愛から最初は松潤を目で追っていましたが、2回目、3回目とリピートして1人ずつ顔を追うごとに.....
嵐....カッコイイ.......
ジャニオタの階段上り始め、夜な夜なDVDを鬼リピしました。
ほどなくして、ミツワ(日系スーパー)に日本のテレビ番組専門のレンタルビデオ屋さんができました。
今考えると完全に著作権法を犯していますが、海外にいる身としてはありがたいことこの上なし
無事「ごくせん1」を借りることができたのです
沢田慎の松潤マジかっこいい
借りてきたVHSをDVDにダビングしてもらい、毎週かじりついて見ていました。
カメラカットを覚えるほど「ごくせん1」を見たころ、ミツワの三省堂で嵐の新しいアルバム「One(初回限定版)」を発見
迷わず購入。
うおおおお~~~~
ソロがあるではないか
DVDが付いているではないか
真夜中のひとりDVD鑑賞会は続く.....
7th gradeになるころには、嵐の過去のアルバムも欲しくなってきました。
でもミツワとブックオフには売ってないし、買うならネットしかない.....Amazonで頼むには、親を通さないといけない....
自意識過剰な思春期だったので「ジャニーズのCDが欲しい」とは恥ずかしくて言えず
しばらく悩みに悩んだ挙句
結局、愛が勝ちました
母に「欲しいCDがあるんだけど.....」と頼み
『ARASHI No.1〜嵐は嵐を呼ぶ〜』
『嵐 Single Collection 1999-2001』
『嵐 HERE WE GO!』
『How's it going?』
買ってもらいました。
次なる欲望は.....コンサートDVD
7th gradeの12月には『2004 嵐!いざッ、Now Tour!!』を買ってもらいました。
もう毎週毎週毎週見ました。
この頃はまだメンバーカラーが決まっていなかったんですけど、もし決まっていたら部屋中が紫になっていたと思うので、ある意味助かりました
DVDまで買ってもらっちゃったので、私の嵐愛はとっくに家族にバレてます。
吹っ切れた私は車でもCDを流すようになりました。
そして母も嵐にドハマり
7th gradeが終わった夏休みにアルバム『ARASHIC』が発売した折には
初回限定版と通常版、ダブルお買い上げいただきました
母を巻き込んで本当によかった
思春期と反抗期のど真ん中でしたが、嵐のおかげで共通の話題がありました。
日本みたいに、自分でお店に行って何でも買える環境だったら、こんなに自分の趣味を家族にオープンにすることはなかったと思います。
その夏、日本に一時帰国したとき…
「ワタシ、イマ、嵐と同じ大地を踏みしめている(゚Д゚≡゚Д゚)
ということは嵐と間接タッチ((((;゚Д゚))))
え、ちょっと周りのみんな、ナゼ落ち着いていられるの」
お前が落ち着け
パニック in 成田
『Gの嵐』も『まごまご嵐』もオンタイムで見れるし、本屋さんに行けば最新のduet、wink up、ポポロが手に入るし、天国じゃん~日本サイコ~
ニヤケ in 成田エクスプレス
1番の思い出は何といっても
嵐 SUMMER TOUR 2006 “ARASHIC ARACHIC ARASICK Cool&Soul @横浜アリーナ
に母と行ったこと。
しかも2夜連続
この頃は申し込めばチケットが取れたので。
母とどんな服着ていくかキャーキャー話して
自分の服装は覚えてないのに、母が着ていたワンピースとボレロは今でも鮮明に思い出せます。
連日嵐に手を振ってもらえて、本当に素敵な時間でした。
たとえエクステ&ボーズ&パーマの伝説の髪型年であっても
ごくせんの松潤から入りましたが、コンサートに行ったあとはメンバー全員が好きになりました。
受験に向けてアメリカでもう1年頑張る元気をもらって、アメリカへ…
8th gradeの私のスクールピクチャーは嵐コングッズのTシャツで撮りました。
みんながわからないのをいいことに
この年の冬には『Letters from Iwo Jima(硫黄島からの手紙)』がアメリカで上映
なんと音声は日本語、英語字幕付き
近くの映画館に家族で見に行きました。
アメリカでニノの映画が見れるなんて~
ありがとうクリント・イーストウッド~
しかし、字幕で映画を見る習慣がないアメリカ人にとっては難しかったのか、周りが結構うるさかったです
私は日本語を聴いて理解していましたが、たまに目に入る英語字幕のクオリティがまぁぁ酷くて
5段の字幕でスクリーン半分が埋め尽くされたときは「おいおい」と思いましたよ。
字幕がニノの顔にかぶっとるだろーが←そっち
ところでアメリカでは子供が1人で出かけることはできないので、学校も習い事も送り迎えが必須。
アメリカ在住お母さんあるあるだと思いますが、巡回バス並みのドライブっぷりなのです
車では嵐がかかっているので、日々1番嵐を聴いていたのは母でした。
今でも『Dear My Friend』あたりを聴くたびに母は
「あ〜これを聴くとIrvine Center Drive(道の名前)を思い出す〜」
と言います。
思い出の曲を聴くと、聴いていた当時の風景がブワーーっと見えてくることありますよね。
テレビで聴く機会の少ない曲だとなおさらです。
塾帰りによく聴いていたのは
Wishのカップリング『二人の記念日』
Love so sweetのカップリング『いつまでも』
黄色い涙の『もどり雨』『涙の流れ星』
このあたり聴くと当時を思い出して涙腺崩壊します。
日本に帰国して高校に入り、徐々に嵐の追っかけは卒業しました。
今でもテレビで見るのは好きですけどね!
Netflixも全部見ました
でも歌えるのは『Time』収録曲が最後です。
20年間フルで追いかけていたわけじゃないけど
嵐はアメリカでの私を支えてくれました。
母と一緒の思い出を作ってくれました。
私の人生の一部です。
今年の年末年始は、久しぶりに嵐コンのDVDを観て過ごそうと思います。
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