こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年4月中旬。

受験予定は、10ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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目次

・男らしさ・女らしさ・・とは

・男性性と女性性

・まずは、男性が勘違いした

・男らしさ・女らしさの具体例

・誰がイチバン偉いのか!!??

・社会契約説

・ケルト民族が滅ぼされた理由

・社会契約説の限界

・「歴史」を学ぶことは、自分の人生を構築することだ

・勘違いが、人生を構築してしまった

・誰が悪い?

 

 

 

 

男らしさ・女らしさ・・とは

 

男らしさ・・本来は、機能のことを言っていた。

 

男性性・・宇宙で言えば、法則

(だから、理屈っぽい)

女性性・・宇宙で言えば、空間そのもの

(だから、包み込む)

 

 

 

僕から見ると、

現代の人類は、アクセルとブレーキを勘違いしてる。

一生懸命走ろうとして、ブレーキを踏んで「あれぇ、走らないなぁ」

止まらなくちゃいけなくて、思いきりアクセルを踏んで、どっかーん、、

 

おじさんは、車に乗って「いえーい!時速100キロだぜ!」と、ドヤ顔する。

けれど、外から見たら車は走っていない。

(これは、「支配者が描く歴史」で何度も話した内容です)

おばさんは、パートナーを心から大事にしてるので、「あれ、走ってないよね?」と、僕が言うと、ヒステリックに怒鳴りだす。

 

今の社会は、だから、ホッブズの『リヴァイアサン』なのですね。

(『荒巻の新世界史見取り図 中』P85~)

 

 

 

とは言っても、

アクセルとブレーキを勘違いしてるせいなので、

その勘違いを正せば良い、、だけでは?

 

そう思うかもしれませんね。

けれど、人生をかけて、つまり、幼い頃からその勘違いを学び続けています。

その一つが、デカルト式思想を背景にした勉強です、、が!!

 

 

 

 

男性性と女性性

 

問題は、実はそこではないのです。

男性はドヤ顔して、女性はそんな男性の誇りを守ろうと本能的にしますよね。

問題は、その理由なのです。

 

 

 

なぜ、男性はドヤ顔しやすいのか?

しかも、動いてもいない車に乗って、走ってる気分を味わいながら。

 

幼い男の子を思い出してください。

おもちゃの車で、ぶーん!って走ってる気分になってるでしょう?

 

それは、男性の本来の性質に深く関わってるからなんです。

では、その本来の性質とは?

 

(ここで言う男性性&女性性は「機能性」を表現しているために、いわゆる性自認とはあまり関係がありません。

だから、個人差はかなりあると思われます。

けれど、人間なら必ず「どちらも」あることは意識してください。)

 

男性性は、宇宙の仕組みを理解し、人生の役に立て、家族を幸せにする役割。

女性性は、その理解を基に、成長を促し、人生を花で彩る役割。

これが、大雑把ですが、男性性と女性性の機能です。

 

 

 

まずは、男性が勘違いした

 

男性が勘違いしました。

何を? 宇宙の仕組みを。

 

そして、その理解、いや誤解を基に、女性(正確には女性性)が社会を彩ってしまいます。

だから、男性はドヤ顔し、女性はそんな男性をヒステリックに守るのです。

 

 

 

問題は、誤解を解いた時に、

本来の機能を持つ、男性性&女性性を破壊してしまいかねない、、こと。

 

だから、現在のLGBTQの活動は、当事者の支持を得にくく、

法案に抵抗する人(特に男性)が多いのです。

 

 

 

男らしさ・女らしさの具体例

 

ここで、最初に書いた言葉を思い出しましょう。

男らしさ、女らしさ、、です。

 

男らしさ、女らしさ、、とは、本来は「機能」のことを言っていました。

思い出してください。

幼い頃に言われる「男らしく女らしく」とは、具体的にどんな内容だったかを。

 

機能性の意味を持つ「男性性・女性性」を、ここでもう一度思い出してください。

例えば、女の子らしくお人形遊び・おままごと。

女性性の、社会・家庭を花で彩る、、が、遊びになっています。

 

例えば、男の子らしくお外でボールで遊んでおいで。

男性性の、宇宙のルールを感じ取り、それを自分たちに役立つように具体化して楽しむ。(友達同士でルールを決め試合にし、破ると非難する)

 

例えば、男の子がおままごとに参加すると、他の男子からバカにされてしまう。

男子は父親や周囲の成人男性から、男性性を学びます。

だからこそ、男性性の表現方法を「ドヤ顔」だと思い込みます。

すると、当然、おままごとに参加する男子をバカにせずにはいられません。

おままごとに参加する男子は、単に自身のうちの女性性に従っただけなのですが、、

 

女子は、男性性を大切にします。

人生に花を咲かせるためには必要なことだし、恋愛の意味での愛もあるから。

だからこそ、おままごとに参加する男子を拒絶することもあります。

だって、男性性を表現してる男子たちを見てしまったから。

思い出すのです。

まわりの成人男性は皆、ドヤ顔してる、、って。

だから、早い時期に男性性を勘違いしてしまいます。

だから、大人になってヒステリックに何かを守ろうとする女性は多いのです。

 

 

 

 

誰がイチバン偉いのか!!??

 

『荒巻の新世界史見取り図 中』P87では、

「この世の中で誰がイチバン偉いのか、、(中略)一般の人々以外にいない」

 

正しいです、、「支配者が描く歴史」では。

だから、王は国家に奉仕する存在、、という発想が生まれます。

けれど、どちらにしても上下関係なのです。

人間は必ずこの地球上で実感したがるようにできています。

 

イチバン偉いはずの僕が、どうして好きな大学に行ってはダメなの!!??

学力が足りないでしょ?

お金がないじゃない?

奨学金があるよ?

けど、後で利子をつけて返してね?

初任給ではデートのお金も捻出できないだろうけど、そんなこと関係ないからね?

 

いやはや、学力で上下決められちゃってますね。

福沢諭吉が言うように。

また、荒巻先生も上巻で、高級な服を着る若い日本人女子を「便利な身分制を理解していない」と批判しています。

一般人は、やっぱり誰かの下なのです。

 

それは、そうです。

「支配者が描く歴史」では、理想が大事です。

だから、現在、ヴァーチャル世界に移行するだろう、、という説が生まれています。

 

人は、実感したがるのです。

上下関係、つまり奴隷を認める「支配者が描く歴史」では、人より上、、であることを。

だから、スクールカーストがあります。

そして、一般の成人男女によって障害者への無意識な差別がなくなることはありません。

 

ちゃんと実感したいのです。

上にいけない、、となると、誰かを下に置かないと落ち着かない。

例えば、障害者を。

だから、ナチスでは障害者に対し安楽死計画を実行したのです。

 

だから、

僕は「愛から見る世界史」で、本当の人間の姿を描く必要があるのです。

 

 

 

 

社会契約説

 

『荒巻の新世界史見取り図 中』P85~では、

社会契約説を学びます。

 

ジョン・ロック、、トマス・ホッブズ、、ジャン・ジャック・ルソーです。

国は、イギリス、イギリス、フランスです。

 

おもしろいと思います。

中世の有名な大学は、イギリスとフランス(とイタリア)に置かれています。

 

そして、「支配者が描く歴史」ではなく「愛から見る世界史」では、

大学の設置目的は、ケルト民族(文化のこと)の完全な撲滅。

(すでに説明済み→→【東大世界史】笑える12世紀ルネサンス「人々の生き様が変わる分岐点」)

 

→→社会契約説 「世界史の窓」(y-history.net)

→→ロック/統治二論 「世界史の窓」(y-history.net)

→→(中世の)大学/ユニベルシタス「世界史の窓」 (y-history.net)

 

 

 

ケルト民族が滅ぼされた理由

 

ケルト民族を滅ぼした目的を考える時、

歴史の流れを考える必要があります。

 

「支配者が描く歴史」では、イキるおじさんの自画自賛になっているので、現実を認識できません。

だから、「愛から見る世界史」の視点が必要です。

 

その目的とは、「始まりの愛の祈り」に則っているはずです。

(精神科医の先生が、人は無意識に動くことがほとんど、、と言っていました。

それは、潜在意識に気づかず支配されていることを意味します。)

 

つまり、その目的とは、

本来の意味から離れるように作用する、、ということ。

 

社会契約説が、人々を気づかずどこかに導いていく、、ということです。

 

だから、ほら、デカルト式教育を学んだ現代日本の指導者・教師のほとんどが、社会契約説をとても良いものと解釈しています。

『荒巻の新世界史見取り図 中』P85~90

 

社会契約説については、再びブログでまとめたいと思います。

そのくらい重要なので。

 

 

 

社会契約説の限界

 

社会契約説。

国家・政府は、いつの間にか出来ていた、、ものでなく、

人々が契約によって「作り上げた」、、このことを前提にして話を進める考え方。

 

上巻で、支配者とは、自分で主張するだけではなれず、まわりの人間が拍手でもって受け容れたから、支配者になれた、、と書いてありましたが、

そこからも繋がってますね。

(以前の僕のブログで、すでに否定済みですが)

 

 

でも、いったい、どこの誰が「はい!僕も賛成します!」と言ったのでしょうか?

今これを読んでる人の中に、また、今日本に住んでる人の中に、、いますか?

 

「愛から見る世界史」では、この社会を否定しません。

なぜなら、男性性・女性性という人間本来の(機能性という)能力を否定してしまうから。

(改革や学園紛争が上手くいくことは、だからないのです。)

 

 

 

 

受験勉強で学ぶ「歴史」は、支配者が描く歴史です。

参考書や教科書を読むと、必ず「一般人はバカで、支配者である俺様だけが頭が良い」ことが前提になっています。

 

具体例は、これまでもたくさん指摘してきました。

今回の具体例は、社会契約説です。

多くの人々は、国家の成立に関わっていません。

上巻でも、文字を知ることで「支配者」になれた、、と書いてあるじゃないですか。

 

文字を知らないバカなお前らのために、国家を作ってやった。

もちろん、欠点もあるだろうから、参政権をやろう、また、革命権もやろう、、

ほら、これで良いだろう?

 

ね?

中世の大学の中に、「法学」も大切な位置にあった理由を思い出してください。

ケルト人の大切な森林を、関係のないローマ人が(大移動してきた)ゲルマン人と契約を交わし、与えてしまいました。

その根拠を、法理に従って正当化する、、目的がありました。

だから、「法学」の大学は、ケルト人の森林キリスト教会の本拠地にあります。(修正しました)

 

ね?

当事者を無視してる点、同じでしょう?

 

 

 

 

「歴史」を学ぶことは、自分の人生を構築することだ

 

「歴史」を学ぶことは、人生を構築することだ、、と言ってきました。

こんな「歴史」を学べば、僕は社会に参加していない、、と感じるに決まってます。

いくら参政権があったって、今の日本でしっかり自分の意見が反映されてる、、と感じる人がどれだけいるでしょうか?

 

でも、言う訳です。

農奴と奴隷は違う。

農奴には特権があった、小さくはあっても。

だから、奴隷との間には明確な違いがある。

(『荒巻の新世界史見取り図』より)

 

奴隷は、どこまで行っても奴隷です。

特権を与えられた、、とは言っても、それまで完全な自由があったケルト人を奴隷にした後で、少しだけ特権を与えたからと言って、やった!奴隷じゃなくなった!とは感じません。

 

 

 

 

勘違いが、人生を構築してしまった

 

歴史とは、その本でも言うように「支配者」が主役です。

もちろん、シナリオは主役が一番「偉い」ように書かれます。

 

だから、「支配者が描く歴史」は奴隷を認める立場であり、

統合失調症患者が感じる世界、「愛から見る世界史」では決して奴隷を認めない立場なのです。

 

奴隷を認める社会とは、必ず人々をバカにします(下に見る、ということ)。

本来賢いはずの人間がバカでないと困るのです。

 

ね?

男性性と女性性、つまり人生を楽に生きる、、ための機能を勘違いしています。

賢さは、ないでしょう?

 

ちゃんと「歴史」は、人生を構築しているのです。

 

 

 

 

誰が悪い?

 

勘違いして人生を構築してしまいました。

では、誰が悪いのでしょうか?

 

勘違いさせた奴が悪いのでしょうか??

 

そうだ、、と感じる人も多いと思います。

あまりに酷いので、そう感じることは否定しません。

 

 

 

けれど、あなたも僕も人間なのです。

人間は、この宇宙で絶対的な自由を持っています。

 

この自由を侵せるのは、他の動植物でも宇宙人でもなく、

人間だけ、、です。

 

人間には絶対的な自由があります。

絶対的な自由なので、他の人の邪魔をする、、という自由すらあるのです。

 

だから、自分を騙した、、という理由で、誰かを罰することは、「本来」人間の機能に反するのです。

 

今の人類は、始まりの愛の祈りに従っている、、と言ってきました。

人類自ら愚かになる選択をし続ける、、という祈りです。

(その理由は、説明済みです)

 

ほら、だんだん、被害者が誰かを罰するのは正義だ、、という風潮になってきていますね。

それが正義かどうか、、でなく、機能に反するのです。

 

機能に反するとは、ブレーキを踏んで「いえい!100キロで走ってるぜ!」とドヤ顔するようなもの。

 

当たり前ですが、被害者もその家族も、心は癒されるべきです。

けれど、少し前までは、罰した後で虚しさが強調された、、という家族は多かったのです。

被害者や家族のために、もっと厳罰を、、と主張していたのは、全く関係のない人々だけでした。

 

けれど、今では、被害者の家族もそう言うようになりました。

愛は、決して誰かを罰することでは感じることはできません。

 

 

 

今の人類は、永遠を創造することを忘れました。

 

それは、誰のせいですか?

自分以外の誰かが騙したんだ!!、、そう言うことで、人間の能力を失ってきました。

なぜなら、この宇宙で人間だけが絶対的な(排他的な)自由を持っているから。

進化論は、これを証明しています。

(分かるでしょうか?)

 

 

 

誰かのせいだ、、

つまり、自分には人生を構築する能力がないんだ、、

 

絶対的な自由があります。

ほら、人生を構築する能力がないんだ、、を、実現できました。

 

 

 

騙されて、最初から自分だけの責任として受け容れることができる人は、いません。

それだけ人間の、いや人類の力は凄いのです。

 

けれど、そのままならば、人生を構築できません、、

いや、下手な人生を構築することになるのです。

 

だから、どこかで、自分の責任に引き戻す必要があるのです。

つまり、人類の歴史の中で、どこで間違えたのか、、

 

それを、自分の問題として見つけていく作業。

受験世界史&日本史を、自分のために役立てるのです。

 

 

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。