こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年5月上旬。

受験予定は、9ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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今回、思いついたまま書いてます。

精神障害者として軽くコメントしてる感じです。

 

 

 

今回は、東大受験とあまり関係ないように見えて、

大きく関係する内容です。

(最後に結局、東大受験する理由につながりました)

 

僕の奥さんの生活に深く関わってきます。

奥さんが安定していると、僕の勉強の捗(はかど)りかたも違うからです。

 

(注)

ここでの情報は、僕が気楽に見聞きしたものです。

今回の情報は、軽くYouTubeで得たものに過ぎません。

間違った情報が含まれてる可能性があります。

ですから、詳しく知りたい方は専門のPSWや相談支援員の方に聞いてくださいね。

 

 

 

 

目次

・今年度の福祉の報酬改定

・奥さんはA型事業所で働いている

・YouTubeで

・コメントを思いつくままに

・僕の考えが少しずつ出てきて

・差別主義者の方が好ましい

・僕は彼らを怒らせてしまうから

・正直な思い

 

 

 

 

今年度の福祉の報酬改定

 

令和6年度、今年の4月からですね。

大きく福祉の報酬改定があったようです。

 

 

 

僕の奥さんは、A型事業所の利用者です。

 

A型事業所の仕事内容は、パート職やアルバイトと同列とみなされます。

だからこそ、今回、国の方針として「赤字=利用者の最低賃金を稼いでいない」の事業所は、かなりのマイナス査定になる訳です。

(月に約80万円の減額)

 

だから、、

A型事業所の多くが潰れるかもしれない、、と。

事業所を売ったり、事業所をたたむ所も出てきてるようです。

 

 

 

 

奥さんはA型事業所で働いている

 

僕の奥さんはまだ若く、

仕事そのものの経験もあまりありません。

 

だから、大きく変わるかもしれない時に、どう振る舞って良いのか気づいていません。

「様子を見て。落ち着いて、どう流れていくのか見極めて。今事業所が動いてるけど、ちょっとストレスがかかるかもしれない。けれど、それでも、反射で反応するのは控えてね」

 

こんなことを伝えました。

 

 

 

奥さんの通う事業所が大きく動いてるのです。

昨日までは、悪手じゃないのか、、と僕は思っていたんですけど、、

いやいやいやいや、、もしかしたら、上手い手かもしれない、、と、今考えが変わりました。

 

 

 

 

事業所が何をしてるのかは、話が変わってしまうので書くのを控えますが、

どちらにしても、僕は、奥さんができるだけ落ち着いて過ごせるようにしていくだけです。

 

大学受験をしようとしてる僕にとって、

まず、僕と奥さんが落ち着いて過ごす、、ことが大事です。

 

ということで、バランスが取れるように過ごしています。

 

 

 

 

YouTubeで

 

ある精神福祉士さんが言っていたこと

いわゆるリストラが起こる?、、利用者を少なくすれば、もちろん、基準を達しやすくなるから。

 

 

 

ある事業所の職員さんは、、

まず、利用者の募集を止めて、最低賃金を払えるようなレベルに上げる。

利用者を増やせば、その分、難しくなるから。

 

 

 

就労を推進する。

働きアリの法則というものがあって、しっかり稼いでるのが上位2割の人。

その2割の人を卒業させ、就労させる。

そうすれば、残った人の中から2割になる人が出てくる。

 

 

 

A型、B型の違いを、

A型で働く人は障害が軽度で、B型で働く人は比較的重い、、と判断する一般の人がいる。

けれど、A型で働く人は軽度とは限らない、、

(僕自身は、A型で働く人は軽度とみなします)

 

ということを話していました。

 

 

 

コメントを思いつくままに

 

以下は、僕の思いつくままのコメントです。

あくまで、思いついたものであって、意見というほどではありません、、

 

 

 

福祉の使命と、資本主義を両立させるなんて難しいだろうに、、

大変だなぁ、、

 

 

僕から見ると、

無意識にどれだけ資本主義に沿っているか、、が、重要視されてるけど、、

 

 

障害者というのは、健常者に合わせるのが上手だから、

一見上手くいってるところもあるけれど、、障害者にどんな影響が出てくるのか、僕も分からない、、

 

精神、知的、身体、発達、、の障害を持ってる人は、それぞれ特徴が違うから、

精神を持ってる人は、今は、落ち着ていて流れを見極めてほしいなぁ、、

 

一番、精神がこういう時に苦しいかもしれない。

(もちろん、他の障害も当たり前ですが、それぞれ苦しい)

精神は、俯瞰的な視野が強制されるから、分かることが多い、、けれど、身体は疲れやすいので、現実にどうこうすることが難しい、、だから、焦れて辛い、、だから、こういう時にバランスを崩しやすい、、

 

だから、特に精神の人は、事業所ばかりでなく、病院の人(医師、看護師、OT、ケースワーカー等)と疎遠にならないよう気をつけて。

 

 

 

 

僕の考えが少しずつ出てきて

 

働きアリの法則は、

自然界が「永遠」を演じるのに必要なシステムだと思う。

(本来、働いてない方が大切なポジションになる)

だから、人間にあてはめても機能し続けるか疑問。

人間は、完全な自由、、だから、働きアリの法則に「合わせる」ことも簡単。

とは言っても、人間としての「機能性」に反してるのは確かだと思う、、

 

とは言っても、まぁ、資本主義自体が人間の機能から乖離してるのですけどね。

 

国の回答というのが、

資本主義に殉じてるのは、確か。

資本主義は本来、人間性に立脚していないので、まぁ、それに没頭すれば苦しくなるのですが、、

まぁ、今のところ、仕方ありませんね。

その辺りのことは、東大受験世界史等で書いてきてます。

 

僕の奥さんは「(今の社会は)乖離してる!」って泣くことがありますけど、、

まぁ、現時点では仕方ありません、、

特に成人男性(僕を含む)が、そう創りあげてるのですから。

 

 

 

 

差別主義者の方が好ましい

 

普通に人種差別主義者、普通に障害者差別、、そんな彼らと、

資本主義にあまりに沿ってしまった人(僕の言葉で言うと、デカルト式思想に馴染み過ぎた人)、、

僕はどっちと仲良くできるだろうか、、?

 

普通に差別してくれる人の方が、、いい。

 

 

 

資本主義にあまりに沿ってしまった人は、表面的にはとってもフレンドリーなのです。

しかも、障害者を大事にしてる、、ように見えます。

 

とは言ってもなぁ、、

デカルト式は、そもそも「支配者が描く歴史」の系統なのです。

 

資本主義は、完全な縦社会なのです。

だから、決して「横」の関係になりません。

 

共存という言葉が、資本主義ほど似合わないシステムもないのですね。

 

統合失調症患者は、なんとなく感じてしまうのです。

だから、はっきり差別してくる人の方が良いのです。

 

はっきり僕を蔑んできた人なら、ある意味、勝負できるのです。

僕次第で、彼からの敬意を獲得することもできるのです。

 

けれど、、優しい風を装って、本人も自分が優しい、、と思ってる人は、困ってしまう。

 

 

 

僕は、統合失調症患者。

だから、俯瞰的な視野を持つ、、病状で。

 

優しい風を装う人は、確かに優しいのです。

けれど、完全な上下関係の教育を受けてきて、しかも、デカルト式だから視野が狭い、、

これは、現代の人類全体の問題なので、例外はいないし、仕方ない、、とも言える。

 

だから、どうしても、彼らの優しさを受けられないことがある。

だから、僕は、彼らを怒らすのです。

 

 

 

僕は彼らを怒らせてしまうから

 

どう生きても、僕は怒らせてしまう。

仲良く??、、ありえないほど。

 

なぜなら、僕は統合失調症患者だから。

 

怒らせる。

カルテに現実と違うことを書かれたこともある。

その先生とはケンカしてないけど、後でそのカルテの内容でからかってきた先生には思わず怒りをぶつけてしまった、、申し訳ない、、当時はまだ若かった、、

(看護師の詰め所だったので、僕が声を抑えて怒っただけだから、問題にならなかったです)

 

 

 

そんなだから、まぁ、とても仲が良くなる職員が半分。

とても仲が悪くなる職員が半分。

 

けれど、いくら酷いことをされても根には持たないから大丈夫。

当時の酷いことをした心理師さんやケースワーカーの人が、今、僕の奥さんと関わっていても、一切悪く言わない。

奥さん自身にとって良いかどうかだけで判断し、言葉を発するから。

 

たとえ、人間に見えないって言われても、へぇ、正直だな、、くらい。

 

 

 

 

だけどなぁ、、

自分に陶酔されてしまうと、、陶酔してる時に、現実突きつけられたら、当たり前だけど怒るよね、、

 

彼・彼女は、優しさを見せた。

けれど、僕はその優しさに喜ばない。

(苦笑いすることがほとんど)

自分の優しさを踏みにじった僕を、彼らは攻撃する正当な理由を得られた。

だから、僕への攻撃に躊躇はしない。

 

彼・彼女は、優しさを見せた。

けれど、あまりに陶酔してるので現実に合っていない。

だから、仕方なく、僕は言う。

決して、僕は相手の人格を攻撃しない。

そのせいか、憎しみの表情をよく見せられる。

病状が酷くなっただけ、、と言えないから。

 

 

 

 

正直な思い

 

う~む、

愚痴になった??

 

いいえ、

どうして人類がそういう状況になっているのか、、

解明しようと思って。

 

だから、東大受験したら?って言われた時に、これ!って思った。

 

優しくした、、って思ったのに、

相手からは顔をしかめられた、、なら、傷つくでしょう?

 

 

 

いつまでも、そんな状況でいるなんて、あまりに可哀想。

少なくとも、自分で考えるための題材はあった方が良いでしょう?

 

 

 

人間は、本来凄いのですよ。

 

現実を見ない、、

この言葉は、マイナス面を見ない、、と解釈されると思う。

 

けれど、プラス面を見ない、、ことの方が、問題は大きいのです。

 

人間は、自然に対して、または他人に対して影響力がない、、選ばれた人以外、、

だから、イエスにすがりつくのだし、政治家ばかりに責任を押し付けるでしょう?

 

人間には力がない。

そう思い込んだから、何とかするために人類は暴力を選ぶ。

学園紛争だって、そうだったでしょう?

 

暴力を選ぶ、、力を誇示してるように見えて、

実は、「人類には力がない」ことを実現してるのです。

 

ほとんど知らない。

なぜなら、自分で考えたことがほとんどないから。

(デカルト式は「支配者が描く歴史」であって、上下関係しかないから。

上下関係では、必ず上意下達 or 反発になるから)

 

いつまで、自分で考えることから逃げるのだろうね。

(デカルト式に安住してるのだろうね)

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。