こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年1月中旬。

受験予定は、1年と1ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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↓↓前回の記事です↓↓

【東大世界史】笑える12世紀ルネサンス(前半)「歴史を学ぶ前に知っておくこと」 | 統合失調症患者が「東大受験」してみようか (ameblo.jp)

 

なぜ、こんなに前提にこだわるのか?

 

統合失調症患者が見る世界と、健常者の見る世界では、全然違うから。

『荒巻の新世界史の見取り図 上』P9には、、

「自分の思った通りに伝わらないのも事実です。だからこそ、言葉を持つ人間は争い合うとも言えるでしょう」、、と。

 

心を捨ててるのに?

理解には、必ず「精神・心・意識・魂」の協力が必要なのに?

 

デカルトは、「理性」だけを推奨したのでしょう?

心を否定し数千年、(魔女狩りによって)心を眠らせ数百年、、

心を感じ取れなくなった西洋人は、デカルト達を生み出した、、

 

デカルトの思想を受け容れた日本人も、100年以上の時間をかけて、心を眠らせた、、

それなのに?

 

自分の思った通りに伝わる訳ないじゃん?

それなのに、言葉を持つ人間という「人間本来の実力」にしちゃうのですか?

どうして、自分たちにはその実力がない、、だけだ、、と言えないのです?

 

人間本来の実力を、僕たちは知らない、、いや、違う。

僕たちは忘れ去ってしまっている。

 

僕たちが幼い頃、、

ほんのちょっとした出来事で、ほんのちょっとした決断で、、

僕たちは「自分たちが愚かになる」ことを受け容れてきた。

 

だからこそ、

こんな社会であることを、ご先祖様の責任にはできない。

僕たちは、ご先祖様の奴隷じゃない。

 

いつまでも、誰かのせいだ、、と責任をなすりつけてる訳にはいかないのだ。

もちろん、デカルト式思考で成り立っている学問の世界・受験の世界で、

統合失調症患者である僕が、東大受験をまともに受けるためには、文句ばかり言ってはいられないのだから。

 

僕はいつだって、自分ファーストで行くのです。

 

 

 

目次

・(前提7)「意識」も人間の道具

・(前提8)現代は「マイナス」に振れている

・(前提9)この世界の責任は、どこまでも僕たちにある

・(前提10)思想を「作った」人の心がポイント

・(前提11)焚書坑儒の意味をもう一度考える

・(前提12)言葉を変え、思想は簡単に変えられる

 

 

 

(前提7)「意識」も人間の道具

 

YOASOBIの『祝福』の歌詞で、、

誰かが描いたイメージじゃなくて

誰かが選んだステージじゃなくて

僕たちが作っていくストーリー

 

けれど、YOASOBIは誰かが選んで描いたストーリーの上だからこそ、成功したんだ。

現代のような歌の形、ミュージシャンが立つ舞台、アニメの主題歌、売り方、、等、

YOASOBIのAyaseさんが全て無から創り上げた訳じゃないでしょう?

 

胸に秘めた刃が鎖を断ち切るまで、、と言われたって、

それが、自分を縛る鎖だ、、と、どう判断するのだろう?

 

外科医が、それがガン細胞か健康で大切な大動脈か判断できないのなら、

どうしてメスを握ることが許されるだろうか、、

 

自分の人生を支えるものか、自分の足枷になるものか、、

また、足枷になるものでも、突然切り捨てては人生のバランスを崩すものがあるけれど、

切り捨てた後のことをちゃんと考えたのだろうか、、

 

 

 

例えば室内の劇場で、突然真っ暗になって火事になったら、、

パニックが起きやすいけれど、パニックが起こった後では皆を落ち着けることは不可能に近い、、

 

集合意識ではなく単なる集団意識ですら、これほどの力がある。

統合失調症の症状の一つである幻聴や幻覚も、集団意識に強く影響されていて、対処が難しい、、

 

これは逆に言うと、

集団意識や集合意識を少しでも使えれば、楽になる、、ということ。

 

 

 

まして、はっきり「意識」の使い方を知ってる者からしたら、

自分の人生を楽にするのなんて、朝飯前。

 

YOASOBIは、「比較的」使い方を(無意識にでも)知っているから、成功できてるのは間違いない。

 

 

 

大学を受験することだって、

俺はだめだぁぁあぁ、、と言うことも、

俺は天才だ!受かる!、、と言うことも、

両刃の剣。

 

毒にも薬にもなる。

時と場合に依るのです。

 

「意識」が大事なのは、寝ても覚めても年がら年中、合格するために動けないから。

「無意識」に任せることも大事だし、

思い通りに「無意識」をコントロールすることも、人生を左右するポイントになるから。

 

 

 

森の中を歩いていて、

右に曲がって正しい道に出られた、、のなら、

今度も右に曲がれば良い、、と、右側の崖に向かって行ってしまう、、のは良くない。

 

これを知っていても、

「自分は受かる!」と言うばかりでは良くない、、ことに気づかないことは、よくありますね。

 

これが、前提の七つ目。

 

 

 

 

(前提8)現代は「マイナス」に振れている

 

この地球、この宇宙で唯一、人間だけが、、「マイナス」を選べる。

 

この地球で生きる動物や植物が、永遠を指向してるのは当たり前。

でなければ、地球は死の星になってるから。

 

その上で、動物や植物は他者と関わる。

 

進化論を選ぼうと、神の創造を選ぼうと、どちらでもかまわない。

 

 

 

人間には、「自由」がある。

人間の魂だけが、「自由」を望む。

 

大空を舞う鳥ですら、喜び嬉しいから空を飛ぶ。

決して「自由」を求めてのことではない。

 

鳥も、樹も、魚も、森も、、水も空気も、

全ては永遠を指向する。

 

人間だけが選べる。

人間が選んだものだけが、外の世界に影響する。

 

鳥も、樹も、魚も、森も、、水も空気も、

選べないので、外の世界に影響する力が小さい。

 

人間だけが選べる。

それはすなわち、影響力。

 

「自由」を持ってる人間は、世界を変えられる。

もちろん、マイナスにも。

 

それならば、今の社会がゼロ地点から見て「マイナス」に振れている可能性がある、、って、どうして考えられないのだろう?

 

考えたことがある?

ならば、それを前提にして、ゼロ地点とは何か?、、を自分だけで考えたことは?

また、どうして「マイナス」に振れることになったのか?、、を考えたことは?

 

 

 

「支配者が描く歴史」では、決して「マイナス」を認めない。

だって、自分が正しいからこそ親や友達や愛する人を殺せるのだから。

 

進化論も、そう。

自然淘汰も適者生存も当たり前だけど、「マイナス」は考慮していない。

だから、進化論は本来、人間以外のものにしか適用されないのだ、、

 

自然淘汰も適者生存も、宇宙の法則でもなんでもなく、

単なる流れに過ぎない、、

 

水が流れる溝があるから、そこに川がある。

アインシュタインは、神の心を知りたい、、と言ったという。

 

けれど、知っていただろうか?

物理学から神の心を知ることは不可能だ、と。

 

物理学で見つかった法則は、全てツールに過ぎない。

包丁を持っただけでは、料理人の心は知り得ない。

包丁を持っただけでは、ただ人を傷つけることしか考えられない人もいる。

 

実際、アインシュタインが愛した法則を使って、アメリカは見事な人殺しの道具を作った。

 

料理人の心を知るには、法則ではなく現実に料理人の心にならなければならない。

神の心を知るには、神の心を自分の内に持たないといけないのだ。

 

なぜ、神?創造主?単なる生命?は、人間だけに「自由」を与えたのか?

、、呼び方は、神でいいや。

神と同じことを、あなたがするなら、どういう気持ちでする必要があるのか?

現実を鑑(かんが)みながら、神と同じことをシミュレートしなければならない。

 

いや、進化論ではそうではない、、と言うのなら、それでもいい。

けれど、それなら、「自由」があるかのように振る舞うのは、ダメだよ?

 

ズルいよ?

人間が進化論の支配下にあるなら、そんなに自由はないのだから。

 

前提8は、

人間には自由があって、現代は「マイナス」の方向に振れている可能性がある。

だから、プラスに行きたいなら、まずはゼロ地点に戻らないといけない。

(ゼロ地点に戻るのであって、決して探す、、のではない)

 

 

 

(前提9)この世界の責任は、どこまでも僕たちにある

 

二重スリット実験の話をした時に書いた。

 

人は蒔いた種は刈り取らなければならない、、のは、当たり前のこと。

流れを創り、流れに乗った先にある場所にたどり着く、、というだけ。

 

因果応報でもなんでもない。

そんなものは、ない。

 

だから、自分が創った流れの責任は、どこまでも自分にある。

決して神様が与えてくれたりしない。

 

神は、ただそのツールを与えた。

この宇宙に影響を与えるだけの力を。

 

だから、発作的に人を傷つける、、というマイナスも、効果があるのだし、

いわゆる幽霊屋敷も、人という主人を失ったから、与えてもらう力が失くなった結果で起こる、、

 

善でなければ実現しない、、と言う人もいるけれど、

そんなことは、ない。

悪でもちゃんと実現するのだ。

だから、人間には自由がある、、と言える。

 

包丁を持って、人を傷つけることも人を喜ばせることも、できるのだから。

ツールは、ツールに過ぎない。

愛の人だけに与えられてる、、とは思わないこと。

それでは、自由を侵すから。

 

良い親は、ケガする可能性を知りながら、子どもが外で遊ぶことを許す。

これが、前提の9。

 

 

 

(前提10)思想を「作った」人の心がポイント

 

特に思想の教育に携わる先生は、精神が癒されてないといけない。

 

キリスト教会の祖であるペテロ。

彼は、師であるイエスに自身の弱い心を見抜かれていた、、

それだけでパニックを起こした、、(鶏が鳴いた時)

 

そのまま彼は布教活動に入ってしまう。

裏切りを見つけられてパニックに陥ったまま。

 

(彼はユダヤ人だし、聖書に残る彼の言葉を見ても)そのショックは大きいので、現代のPTSDレベルの問題になる。

PTSDを治療するのは、数年で癒されれば早い方だと思う。

 

それまでは、人々の前に「師」として出てはいけないんだ。

彼はすぐさま(癒される前に)、布教活動を始める。

 

 

 

江戸時代初期、、

水戸光圀は、水戸学という思想の基盤を創った。

 

彼は、生まれた直後、父親から否定され殺されるところだった。

その後も、彼は父親に受け容れてもらえることはない、、

 

彼は、だからか、若い頃荒れまくる。

ある時、悪友に煽られて、ホームレスの人を斬捨ててしまう、、

 

煽るような悪友と一緒にいられない、と、縁を切った。

発作的に爆発してホームレスの人を殺した「後」で。

 

人を殺す「前」に、縁を切るでしょう?

、、ふつうなら。

 

彼は、ある時、明からの亡命者朱舜水に出会う。

儒教という学問に出会った、、だけだろうか、、それは歴史に現れることはない。

けれど、彼は水戸学の構想を得る。

 

水戸学の問題なところは、まず、天皇家の「女性」の地位を下げたこと。

神功天皇とされていたものを、神功皇后に下げた、、

 

南朝を正統とするために、僕個人としてはわざわざ女性を下げる必要はないと思うのですが、、

他に、大友皇子をわざわざ天皇に列席させる「必要」もないと思うのです。

 

けれど、大友皇子を天皇にしたのは、僕も理解できるのです。

自分の血を素直に受け容れることができず、、悶絶していただろう彼は、天皇になれるはずだった大友皇子に同情してしまった、、

自分を認めたい、、という思いから、大友皇子を天皇に列席させた、、分かりやすい。

 

けれど、、

自分の父からの血を否定するために、母親(つまり女性)を否定すること、、が必要だ、、ということに気づいた!!

(分かりますか?

父と母が心ばかりでなく身体的にも結ばれた。

だから、母を否定すれば、必然的に父親の血も否定できるのです)

 

光圀にはムリです。

荒れてただけの若者には、周囲の女性を否定することはできても、他の家のご先祖様の女性を否定することを考えつくはずがありません。

それだけの頭の良さがあれば、荒れることなしに天皇家の「血」を否定することに夢中になるはずだから。

 

こういうポイントポイントで、必ず「(闇方面の)知恵者」がいるのですが、、

本当にポイントポイントなので、誰かが意図的に、、という話には無理がありますし、あまり意味がありません。

 

問題は、始まりの愛の祈り、、と僕が言ってきたものが集合意識に入ってることです。

いわゆる悪意の天才は、集合意識に従い、上手にその力を得た者、、というだけです。

その方向性は、祈りの通りに「僕たちが自ら愚かになることを選ぶ」こと。

だから、そういう天才は決して僕たちを支配しません。

必ず、僕たちが自ら愚かになっていくように持っていきます。

だから、僕はそういう人を「天才」と呼ぶのです。

 

だからほら、僕たちは「自由」を謳歌してるでしょう?

それなのに、僕たちの人生は上手くいきにくい、、ほらね?

 

 

そうして、

光圀が作った水戸学は、、

女性を否定したことで、父親からのいわゆる「血」を否定し、

大友皇子を同情したことによって、南朝に同情することが受け容れやすくなる、、

 

「血」を否定したことで、

「覇者」ではなく「王者」に忠誠を尽くすべき、、という論理に力を持たせた。

 

現代の天皇家は「血」で言えば、北朝。

にもかかわらず、天皇家の家系図では、北朝が敗北者になっている。

高校の参考書でも、もちろんそうなっている。

「血」は否定されてるので、それが通用する、、

 

女性が否定され、「血」が否定されたので、

明治維新以後、女性の地位は信じられないほどに低下し、

大義名分で行動、つまり、暗殺しまくることが可能になった、、

 

そして、明治天皇は明治時代が始まった途端に、突然に神のごとく人格者というイメージで売り出しています。

江戸時代では、そういうイメージで売り出すことはできませんでした。

理由は、まだ支配者ではなかったからです。

統治機構がしっかりしてないと、「王者」のイメージで売り出すことはできません、、

それまでは、裏切りと暗殺ばかりの戦いの世界でしたから。

 

まぁ、統治者のイメージ戦略として、方向性は合っています。

ただ、さすがにフリーメーソン経由で欧米の知恵が入ってはいても、ちょっと強引でしたね、、

 

 

そして、、

幼い頃からの教育が重要なのは、ナチスの教育の仕方を見るまでもなく明らかなのです。

 

 

 

(前提11)焚書坑儒の意味をもう一度考える

 

書物を焼き尽くし、知恵者を亡き者にする、、

その目的は?

 

普通に考えて、、焚書坑儒は支配者がするもの。

 

人に憎しみを植え付ける本を焼く、、のは、下策。

判断する知恵をつけさせる、、のが上策だけど、そういう教育は(有史以来の人類には能力的に)ムリだから仕方ないのかもしれないけど、、

本を燃やしてしまったら、逆にそういう本があることを強烈にイメージさせてしまう、、

 

一番良いのは、それを思い出させる言葉を失わせること、、

 

できるの??

できる。

 

必要なことがいくつかあって、

①新しい言葉を作ること

②たくさん引っ越しさせること

 

たくさん引っ越しさせれば、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の知恵のある人々から離すことができる。

だから、未熟な若い親だけで子どもは育てらせる。

それから、「学校」を作れば、数百年の後には親は子育てどころではなく、赤の他人の思い通りの思想を学ばせることができる。

※思い通りの思想とは、愛ある親でなければできないことを教えることができない、、ということ

 

コスパが重要になるので、大量生産の教育になっていく、、

 

最近、奈良の国立の小学校で指導要領を無視した授業が長年行われていた、、と、ニュースになっていました。

学校というのは、教師の思い通りになりやすいし、

また、指導要領も、そのレベルに合わせることだから、頭の良い子は正解を出しても否定されてしまう、、弊害がある、、

 

そして、新しい言葉を作れば、まずは、その言葉の例文を自分で設定できます。

例文を、自分で設定できるのです。

 

学校で、教会で、社会で、、その新しい言葉だけを使えば、

昔の自分たちの文化を継承する言葉を、、失います。

 

実際、例えば日本語を話せなくなるのは、ほんの3世代の後です。

ロシアの現在の言葉を考えたのは、ギリシアから来たキリスト教会の人です。

確か、高校世界史で詳しい参考書には載っています。

 

 

 

ちょっと考えてみてください。

子どもの頃に、友達同士で暗号とか秘密の言葉を作って遊びませんでしたか?

特に、男の子は。

 

それが、人が文字を生み出す原動力になります。

すごく幼い遊び心、、ですよね?

 

それなのに、アカデミックな学問では、「文字の誕生は、支配者と被支配者が現れたことと時を同じじくする」とか、、

いやいや、文字を生み出すのなんか簡単でしょう?

 

いや、ちゃんとした文法があって、ちゃんとした文を作れるのは、、と思った人、いますよね?

あまりにご先祖様をバカにし過ぎです、、

幼い男の子は、新しく自分たちに合うルールを作るのは、遊びのための前提です。

 

それに、愛する女性と合図ばかりでなく、なにか愛の言葉を囁きたい、、そう思うのは、男なら当たり前のことでは?

 

 

だから、文字は、人類の誕生とほぼ時を同じくして創造されます。

決して、ヒエラルキーが生まれるまで待ちません。

 

これが、前提11。

 

 

 

(前提12)言葉を変え、思想は簡単に変えられる

 

僕は、新約聖書の中のイエスの言葉が分からない、、

イエスがペテロを弟子にする、、時の言葉。

 

「人間をとる漁師にしよう」

この言葉があるからこそ、後のヨーロッパを中心とした地獄のような世界が生まれた、、

 

どうしてこんな言葉を??

イエスははっきり分かって言ったのか?

それとも、ペテロが権威付けのために作ったのか?

 

最近、もう一つの可能性があることに気づいて、、

それは、イエスの言葉をペテロが誤解して別の解釈をした、、という可能性。

 

言葉を変え、師の思いとは全く違う思想を生み出してしまう、、

 

イエスは、ユダヤ人に対して布教していた。

決して他のローマ人に対しては行っていなかった。

 

たかが浮気しただけの女性に、石を投げて殺してしまうユダヤ人、、

彼らは、前回書いたように洗脳された状態です。

 

そんなユダヤ人の洗脳を解除する、、

つまり、ユダヤ人に救いを与えるのが、イエスが選んだ役割。

イエスは、人々に同情したのです。

人類全てではなく、狂ってしまったユダヤ人に。

だから、彼は「ユダヤ人の王」と名乗ったのです。

 

解除する、、その目的があるとして、

イエスの言葉や振る舞いを見ていくと、、演技や言葉を用いて一貫してるのが分かります。

 

だから、ペテロへの言葉が不可解でした。

 

もし、ペテロを哀れんだとしたら、、

「人間の心を(自身の奥にもぐって)とる者になりなさい」と言ったはず。

これなら、典型的なユダヤ人で、しかも、疑問にも思わず日常を過ごすペテロに合っているのです。

 

人間の心を、、の部分を、ユダヤ人だった彼は、心の存在を実感できず、誤解釈した、、

だからこそ、イエスは最期のとき、ペテロの心に揺さぶりをかけるために、

「鶏が鳴く前に、あなたは3度私を知らないと言うだろう」と言った、、

 

そう考えると、イエスの言葉は一貫性を持ちます。

 

 

 

まぁ、真実はどっちでも良いのです。

大切なのは、言葉をちょっと誤解し変えるだけで、全く別の思想が生まれる、、こと。

以後、キリスト教会は公会議で、イエスの言葉を修正し続けます。

 

これが、前提の12。

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。

 

統合失調症患者から見る世界は、健常者と違います。

本来の人間を中心として、両極端にあるからです。

(症状から説明できます)

 

マイナスな状況をプラスだと思ってしまうのは、健常者に偏り過ぎた者の特徴です。

だからこそ、石原元都知事は、障害者に向かって人間に見えない、、と言ったのです。

マイナスかプラスかを判断するのは、「理性」だけでは足りず、精神・心・意識・魂の協力が絶対に必要だから。

 

ヨーロッパは、魔女狩りを経験し、女性の心が眠りに就いた。(主に12世紀より前)

その上で、12世紀ルネサンスを経験する。

 

「伏線」なんです。

以後の人類が、確実に愚かになっていく、、そのための。

 

次回は、それを説明したいです。

できるかどうか、、やってみましょう。

受験勉強を楽にするために。

 

蛇足、、

実は、日本でもあったんですよ。

昭和時代かな、、伏線が一つ生まれました。

(今でも細々と続いています、大きな本屋にはありますよ)

けど、実現するには駒が足りなかった。

 

時間が余ったら、それも話したいと思います。

これは期待しないでいてくださいね。