白髪が生えるようになってきたお年頃な私。
見つけたら「あっ」とは思うけど、特に恥ずかしいとは思わない。
黒っぽい毛の中に1本だけ白い毛があると目立つな~と、鏡をみたら感じるけど。
別に何とも思わない。
むしろ「ああ、私って、白髪が生えるくらい生きてきたんだなあ」ってちょっと感動。
別に、早く年を取りたいわけでも、寄る年波に抗いたいわけでもなく。
ただ、うれしい。
昔から子供っぽいから、あんまり年齢とか、老けることを気にしてこなかった私。
確かに、高校生の時のような見た目には戻れないけれど。
今が一番若く見える不思議。
若く見えるというか、かわいい。
今が一番かわいい。
造形美と言われている基準には当てはまらないかわいさがあります。
特別何かしているわけでもなく、化粧もしていないです。
化粧水もつけてないし、リップも日焼け止めもなし。
たまに「化粧したいな」って思ったらする程度。
でも、なにもつけてない、そのまんまの今の私が一番かわいらしい。
なんだか、ゆるキャラみたいな雰囲気を醸し出している……と自分では思っています。
一緒にいる友達とか、職場に来る実習生にも「なんだかゆるくて癒される」って言われる。
たしかに、なんか、ゆるいんですよね。
私が癒されるというか、自分自身がほっとする話し方をするようにしている……。
歩き方も、ゆっくり。
話すスピードも、なにもかもゆっくり。
好きなものについて語りたいときや、食べたいものを見つけたときのスピードはチーター並みだけど
私が年を取るのがイヤじゃない理由としては色々あって。
そのうちの一つが、大好きなおばあちゃんとおじいちゃんがいるから、なんですね。
おばあちゃんは、いつもニコニコしてて、丸くて、お風呂で歌を歌ってくれたり、一緒に寝て昔話をしてくれたり。
おじいちゃんも、ニコニコ面白くて、温泉に連れて行ってくれたり、山に山菜採りにつれていってくれたり、パークゴルフを教えてくれたり。
幼心ながら尊敬していました。
今になって、より、愛情深さや自然と寄り添う姿勢が素敵だなって感じています。
歌を歌ったり、お話を考えるのが好きなのは、おばあちゃんのお陰。
私が自然や温泉が大好きなのはおじいちゃんのお陰。
もちろん、私がそういったものが好きになる個性っていうのもあるけど。
幼少期の影響って大きいよなあって。
そんな感じのあばあちゃんとおじいちゃんがいてくれたので、
自分も年を取ったらこんなふうになりたいな~っていうのがあります。
かわいいおばあちゃんになりたい
ぽかぽかした日に「あ~たのしかった~」って身体を脱ぎたいです。
そんなかわいいおばあちゃんになりたい私ですが。
大学生時代は、パートナーに対してコントロールのエネルギーをはたらかせていました。
年上のパートナーなので、白髪が生えていたんですけどね。
それに対して「髪染めてよ!」ってずっと言い続けてたんですよね。
でも、パートナーは「う~ん……」って微妙な返事で、気にしている様子もない。
それにモヤモヤしていました。
でも今、当時のパートナーと同い年くらいになって「別に白髪が生えてたって何にも思わないな??」っていうことに気づいたんです。
全く染める気にならない。
むしろ染めたくない。
パートナーの白髪にもなんにも思わない。
白髪を白髪とも認識していないというか、それがパートナーの一部というか。
白髪があることが当たり前なっています。
私自身、特に頭でなにか考えたわけではないですが、言語化できない、謎のブロック、常識が外れました。
年を重ねただけなのにね。
これって、けっこうおもしろいなって感じました。
タイミングってあるんだなあって。
20代前半の時には考えたり、ムリに気にしないようにしていたけど。
タイミングじゃなかったんですね。
うんうん、なんだか、白髪、愛おしいです。
記事を書きながら、自分の毛が好きになりました。
年を重ねるのも、たのしい。
ふふって笑えます。
年齢を重ねて、気づくこともあるんですね。
自分という存在がいるだけで、おもしろいなって思えることがあるのはうれしい。
自分観察?たのしいです。
もはや、趣味。
そこに、大好きな人がいるともっとたのしい。
超絶日常なことをたのしいって思える私が、前よりも好きになりました。
なんだか、記事を書いてほっこりしました。
それではまた