信仰不信 | イタリア田舎生活

イタリア田舎生活

北イタリアの田舎町で息子(17歳)との生活日記。
日々の生活を通して見たこと、聞いたこと、感じたこと、神様のこと

息子が学校へ行かなくなって丸々3週間が過ぎ、そろそろ1か月になろうとしています。

私は一応毎朝、息子の為に、学校の休憩時間に食べるスナックのサンドイッチを作るために

早起きします。

 

でも、彼が起きなくちゃいけない時間になっても、

彼の部屋から目覚ましが鳴っていても、

彼は起きてきません。

 

正直、イラッとします。プンプン

だって、サンドイッチ作らなくていいんだったら、あと1時間寝れるから…

 

毎朝、私の目覚ましが鳴って、ベッドから出ようと思う時、

心がキューっとなります。

 

あぁ、今日もきっと起きてこないだろうな…

 

と思っちゃうからです。

 

そしてその予想は当たるのです…

 

私が本当に、心の底から、

全てを神様にお委ねして、

安心して、

毎日を感謝で過ごしているなら、

 

息子が学校へ行こうが、行くまいが

朝起きようが、起きまいが

 

心はキューっとならないはずなんですね。きっと。

 

そういう自分にも嫌になり、

 

今朝は学校の担任の先生からも電話があり、

 

「お母さんももう少し強く息子さんが頑張れるように後押ししてください」

 

何て言われたから、

 

「もう、やだ~!」

 

となって、何が正しいのか正しくないのか、

私のスタンスはどうすべきなのか、

神様は一体何を考えておられるのか、

 

全くわからず、涙がでそうになりました

 

私の不信仰がいけないのか。

 

どうしてこんなに、何年も息子の事で悩んでいるのだろう。

どうしてこんなに、息子とも不仲なんだろう。

どうしてこんなにできの悪い母親なんだろう。

どうしてこんな私に息子を授けられたんだろう。

 

今では、希望を与えてくれていた御言葉さえも、

 

「そんなのうそだ」

 

と思ってしまう。。。

 

私はこのまま神様から離れていくのかもしれない。

 

 

大変な時、試練の時の支えとなってくれた御言葉↓

 

種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

詩編 126:6

 

でも今では

「そんなのうそだ。種が穂を実らせる前に私はへばってしまう。

神様だったら、そんな私をご存じのはずなのなのに、今日も私は苦しんでいる」

 

と言う考えがよぎってしまう。

 

疲れています。