さて今回は、去る4月4日、イースター礼拝で語られたメッセージから
私が受けた気づきのひとつ。
聖書箇所は ヨハネによる福音書 21章15節から17節
食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、
「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。
ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、
イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、
イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。
そして言った。 「主よ、あなたは何もかもご存じです。
わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」
イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
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イエスが十字架上の死から甦られて、ガリラヤ湖畔で弟子たちに現れられた時のできごとです。
弟子たちは、イエスを裏切った自分たちを責め、心に傷と負っていました。
そして、ペトロも大きな傷と持っていました。
何しろ3度もイエスなんて知らないと言ったのですから。
ここでイエスは3度ペトロに「わたしを愛していますか」
とたずねられます。
ペトロは3度とも「愛しています」
と答えます。
イエスは3度 ペテロに「私の羊を飼い、世話をしなさい」
すなわち宣教を促されます。
ここで私はペテロを赦されていることを示されたイエスの偉大な愛を見ますが、
それと同時にペテロの「愛しています」
という、少しの迷いもない100%の返答に心を留めました。
凄い。。。!
イエスはペテロと同時に私にも
「私を愛していますか」
と問われました。
そんなに簡単に「愛している」と言えるだろうか。
本当に愛していたら、
イエスを悲しませるような
わがままで自己中心的な考えなどするわけないし、
私は本当に弱く、罪深い。
そんあ軽々しく言える言葉ではない。。。
そんな思いが頭を巡りました。
日々、私たちはイエスの愛にふれ、その大きさ、深さに言葉にならないほどの感謝をします。
でも意識して、
「あなたを愛しています」
と今まで何度告白しただろう。。。
祈りの際に「愛する神様」、「愛するイエス様」
と語りかけることは
ただの定型句の様になっていなかっただろうか。
完全に主の愛に頼り切って、受け身であった自分を示されました。
私達の愛の告白を
いつも待っておられるのだと気づかされました。
出来の悪い、愚かで、イエスを悲しませてしまう事も多々ある私だけれども
罪赦された私は、感謝して
「愛しています」
と告白し、自覚して歩んでいこうと思います。
↓今回の気付きが与えられたメッセージです。 ミラノ賛美教会 内村牧師