なぜ神様は息子を創造されたのか | イタリア田舎生活

イタリア田舎生活

北イタリアの田舎町で息子(17歳)との生活日記。
日々の生活を通して見たこと、聞いたこと、感じたこと、神様のこと

外出規制が厳しくなって3週間ほど…

人々のイライラや落ち込みがじわじわと増してきているのがなんとなくわかります。

 

私も家に居ることがほとんどですが、

何もする気にならず、ぼーっと座ってネットサーフィンしてしまったり、

読みかけていた本をよんだり、

編み物を少しやってみたり…

 

やらなきゃいけない家事は結構あるのですが 汗

まぁ、明日もどうせ家にいるんだし。。。 って思うと

後回しにしちゃって、なかなか片付きません… だめですね。

 

そんな日々、恵まれているのは日課にしている朝の聖書通読の時間です。

家を出かける時間を気にせずに、その時その時、心に浮かんだ思いや

示されたことを書き留めたり、調べたりできるのでとっても楽しいです。

 

そんな中、数日前に心にとどまった御言葉があります。

 

なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、

しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、

キリスト・イエスにおいて造られたからです。

わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」

本エフェソの信徒への手紙2章10節(新共同訳)本

 

今私は息子の事でチャレンジを与えられています。

神様からの訓練と受け止めてもいいかと思っています。

 

正直言って、息子のことがよくわからないし、

彼も私のことがわからない、私の意見はわかるけど、受け入れられないこともあると言います。

話し合っても、意見は食い違うばかりだし、

ストレスは溜まるばかりだし…

 

親の私が子供を力づくでねじ伏せることはできません。

彼は独立した人格ですし、尊重せねばなりません。

でも、学校に関することや、社会の一員として生きていく際のルールなどは

守って行かないといけないと思いますから、その旨しつこく言ってきました。

 

でも彼の固ーい頭はそのままで時間が経つばかり。。。

 

神様は息子を創造された。

神様は彼を愛しておられる。

今の息子のことをしっかりとご存知である。

私は息子が御心にかなった道を歩むように祈っている。

神様はよい方である。

 

そんなことを毎日グルグル考えているとき

先の御言葉に心が引き寄せられたのでした。

 

私達は神様に創造された、 と言う箇所まではなじみのある聖句でしたが、

「神が前もって準備してくださった善い業のために」創造されたと言う箇所で

 

はっ!

 

としたのです。

 

私も、そして息子も創造される前に、

既に行うべき善い業を用意して下さっていたんだ~!ラブ

毎日ダラダラしてて、学校の授業もまともに参加していない息子にも

ちゃんとご計画があると教えてくださり、

今まで「何のために毎日を過ごし、生きているのかねぇ。。。」と思っていた私に

回答してくださいました。

なんと恥ずかしい。。。ショボーン

 

私達は弱い、罪深いものです。

主の愛をわかっていると言いつつ、

苦しい時、悩みにある時

ついつい自分の頭でいろいろ考え、自己主張をし、

お願いごとを祈りとしてしまいます。

 

神様は私たちに、行うべき善い業をあらかじめ用意くださっている。

その為に私たちを創造された。。。

何と感謝なことかとしみじみとこの聖句を噛みしめたのでした。