皆様はこの状況の中、何を想い、どう過ごされているでしょうか?
この時間は私達に、何を教えようとしているのでしょうか。
日々カウンセリングをする時に、必要不可欠なマインドがあります。
言わずもがな『クライアントに寄り添う』ことに始まり、終わります。
けれど『寄り添う』って一体何なのだろうと、改めて考えるのです。
共感するって、簡単なようで実はほとんどの人ができていないのでは?と。
この世界はこれから人との関わりが安らぎのあるものに変わっていけるか…と以前にも書きました。
人は人と関わることでしか人として成長できない。
カウンセラーとしてどんなに知識を積み上げても、スキルを磨いても、高額なセミナーに参加したとて頭でっかちになるだけで、大事なものを忘れては、それは一部の助けにしかならない。
結局は自分の問題から逃げないこと。
己の弱さを認め、愚かさを受け入れ、闇にも向き合い、己の魂を磨くことでしか、真に人に寄り添うことはできないのです。
他人の人生の課題に向き合う時、いつもいつも自分を試されます。
セッションが深くなればなるほど、自分の無力さに打ちのめされます。
どうにかしてあげたいは奢りでしかなく、人の人生をどうにかするなんて思い上がりも甚だしい。
無力さに打ちのめされながらも、魂の学びを続けていくしかないのです。
そこに答えなどなく、いつ終わるかもわからないあてどない旅です。
気が遠くなるような。
さて、以前私は娘の不登校をきっかけに、子ども達のサポート活動を続けていました。
そこから得た学びは、大きな代償を払うに十分な価値があり、今も尚学び続けさせられています。
そんな昔、ある支援ネットワークからのメッセージに
『子ども達が立ち止まるのは弱いからではない、親の子育てが間違っていたのでもない。(だけど親の矛盾は見ていたでしょう)、もっと社会的な原因がある。くもりのない目でまっすぐ、社会や学校のはらむ矛盾を見たとき、子どもは行けなくなるのです』
という鮮烈な一文があり、今もハッキリと覚えています。
不登校支援時代に一緒に闘っていた友人の
『私達、すごい体験させられてるね。不登校や引きこもりの子ども達と同じように、立ち止まる時間を皆が与えられている』
という言葉にハッとしました。
地球規模で強制力が働いている今、立ち止まることでしか得られないものがある。
苦悩の中に成長がある。
この時間を無駄にしない為にも、立ち止まることを今はただ受け入れてみませんか。
弱い自分を受け入れることも含めて。
その先にはきっと新しい何かが待っていることを信じて。
そんなことをふと思った今日という日です。
お読み頂き、ありがとうございます。