1946年(昭和21年)9月3日。ボクの誕生日です。つまり、今日はボクの68歳の誕生日。
別に、何処かの誰かさんのように<年齢不詳>にしているワケではないけど、若い頃から年齢を聞かれなければ、自分からは触れないようにして来ました。それは自分の実年齢を知られるのが、仕事に影響すると思ったからです。
ボクは25歳の時に最初の会社(デザインプロダクション)を設立したのですが、無名で実績のない若い社長は、クライアントからの信頼性はゼロ。
つい数ヶ月前まで大手企業の広告宣伝部に在籍はしていたけど、広告業界では未経験の若造が、ある日突然に広告制作会社のトップになったのですからね。しかも、今まで聞いたことがないような広告理論を振りかざし、相手が業界の大御所だろうが、大企業の偉い人だろうが、「それは、違います」とか、「ボクはターゲットに届く広告を制作しています。貴方がどう思うかなどは、関係ない」等など、自説を押し通すのですから…敵は多かったです。「あの生意気な奴を潰せ。素人は二度と使うな」とね。
だったら広告賞の肩書きを持とうと出品したのが、某新聞社の広告賞。
その作品が入選しボクへのバッシングは消えました。その時にデザインを担当した友人が、現在アメリカに在住しており、先日、その彼から仕事の依頼が舞い込みました。広告賞以来の一緒の仕事です。
有難い話なのですが、問題点が二つ。
ひとつは、彼はアメリカでボクは日本に住んでいるで、仕事の進行をパソコンで遣り取りするのが前提条件。ボクはアナログ人間だけど、彼はアメリカで仕事をしているのでパソコンを自在に使いこなします。さあ、どうする?
そして、もうひとつはボクの病気。タイトなスケジュールで進行するので、途中で病気が再発・転移したらアウト。そこで、ボクが教え育てたコピーライターの中で、仕事のクオリティが高く気心も知れていて、パソコンにも対応出来る人物とコンビを組む事にしました。
昨日(2日)、横浜で20数年振りに彼と打ち合わせ。おかしなもので、現状はともかく、昔の師匠と弟子みたいな関係はそのまま生きていました。だとしたら、基本的な作業は彼が担当して、そのチェックをボクがする。ウン、だいぶ手抜きが出来そうです…なんてね、そんな下心は、彼にはバレバレかな?
その打ち合わせが終わる直前に、落語家の桂幸丸さんから電話が。10月の落語会の件で4日に蒲田で会うことになりました。
ついでと言っては何だけど、10月6日(月)の<桂幸丸落語会>のチケットを彼に売りつけ解散。67歳の最後の日は、気分上々でした。
※いつものように一気書きですが、この後の予定が詰まっているので校正はしません。誤字や文章の不備な点はご容赦を。…でも、ボクの本業はコピーライター。マズイかな?