ネットでその存在を知った講演会「転ばぬ先の子育て」を聞きにいってきました。
裁判官をされていて、少年非行事件を担当し更生に取り組んでおられたのですが、2人目のお子さんが自閉症と診断されたことをきっかけに、裁判官を辞められたという、女性の方が講師です。
万引きなどの非行に走った少年・少女は、昔から札付きだったわけではなく、裕福な家庭の子もおり境遇も様々で、いったい彼らの共通点はなんだろう、と真剣に考えられたそうです。
そして、みんな「幸せそうじゃない」という結論に達したそうです。
住む家だってあるし、ご飯を用意してくれる人もある。だけど「幸せ」だと感じる感性がないのです。
幸せかどうかは、本人の主観が決めるもの。それならば、子育てにおいても、幸せと感じられる感性を育てていけばいいわけです。
とはいえ、感性は教えて身に付くものではなく、土に雨が沁み込むように、じわじわと本人の心に沁み込ませていくしかありません。
子育ては長いスパンで行うもの。その際、「正しいことをいってるかどうか」ではなく、自分の言葉によって「子供が何を感じるか」に注目する必要があります。
「年金が破たんして将来は真っ暗や」で終わるか(それは事実なのかもしれませんが)、「お母さんには清き一票があるから、あんたのためにあきらめないよ」という一言を付け加え、子どもに明るい未来を信じさせてやることができるかで、全然、子供のものの見方は変わってきます。
だから、いい未来を描ける「明るいイメージのことばを選んで使う」ようにしよう、
そして、自分を支えてくれている全てのものに感謝し「ゴミ箱にゴミを入れるときにありがとうを言う」、
感性を伸ばすため「子供の表情をほめる」ことを、提言しておられました。
講師の先生は比喩表現がとても巧みで、「海とヒトデ」の話が心に残りました。
引き潮になり浜辺に取り残されたヒトデを海へ返してまわっている人がいたそうです。
その人に向かって、「全世界にヒトデは無数にあるのに、そんなことをして何になるんだ」といったところ、
「たしかに僕が海に返してあげられるヒトデはほんのわずかだ。だけど、このヒトデにとってはどうだろう、このまま浜辺で死ぬか、海へ戻れるかは全然違うんだ」
自分がしている水や電気の無駄遣いは日本全体からすればほんの一部分かもしれません、しかし、この電気にとっては、無駄になるかどうかで全然違いますよね?
ほかにも、東北の津波でワカメ漁の人が被害にあったときいても、なかなか自分のこととして受け止められないとき、
「昨日食べたワカメをとっていた人が亡くなった」
と聞いたら全然違いますよね?
子育てをしているのは自分だけじゃない、子供が着ている服や食べているごはん。それら全てが子供を支えているのです。自分たちを支えている社会のネットワークに、自分たちの心をつないでいくこと、そんなことの大切さを教えられました。
この西宮在住の講師の先生の存在を知ったのは、私のブログに「ペタ」して下さったのがきっかけなんです~、ブログをやっててよかったな~。
気づかされることの多い「悠々かあさんのブログ」↓、どうぞご覧になって下さいね!
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