昨日、20代後半のお友達とお茶していました。
彼女は父親からの暴力で心に傷を負っていました。
でも、「自分が我慢すれば大丈夫、、」と我慢する癖が付いていて、
だから何かにつけ文句いう事が苦手です。
でも、それじゃあ自分を愛する事はできません。
「自分が幸せになる道は、自分が見つけるしかないんだよ。」
「苦しかったら、必死になってさがすの。自分だけの幸せになる道を、それが人から見たらおかしいことだって何だってかまわないのよ。その人がそれで幸せならね。」
幸せへの道筋は、みんな違うルールでいいし、それを他人がとやかく言う必要はまったくありません。
たとえ新興宗教だろうが、多額の寄付を必要とされるものだろうが、他人が口を挟むことじゃないって思います。
ムスメが大好きなヨガは、ちょっと新興宗教に似ています。
先生になろうとする人たちは全てをそのヨガに捧げないといけません。
時間も労力も、お金もそうです。
決して安くないセミナー代金をいつも支払っています。
常に自分より他人を、この地球全体に対して意識を持つよう言われます。
そして、師(グル)のいう事は絶対的、個人の意見はありません。
私はそれが嫌いでした。反感や嫌悪感さえ抱いていました。
「まるでヒットラーじゃない!」
でも、それは私の中の問題です。
その人たちがそれで満足し幸せを感じているなら、それでいいのです。
私が口を挟むことではありません。
問題は、私の中にそういうものへの嫌悪感があるということだけです。
でも、、、よくよく見たら、それは私自身と全く同じでした。
自己を追求し、常に自分の内側に向かっている私自身と、、何ら変わりはありませんでした。
「おんなじやん、、、」つい、笑っちゃいました。
みんなが自分の幸せルールをみつけたらいい、それだけを見てまっすぐ進んだらいい、そう思います。
それを認められなかったら、それは自分の問題です。