今、この瞬間を全力で生きている感触がある人には、、、チョッと関係ないことですが、
子供の話を、ダンナの話を聞いているのに、聞いているような聞いていないような、、、
今ここを歩いているのに、ここに意識がここにいないような、、そんな感じがする人は読んでみて下さい。
私にはずっとその「今を生きていない」感覚がありました。
昔に比べたら、、随分減りましたが、それでもまだあります。
一昨日、久しぶりに母の夢を見ました。
末期ガンの母を心配している私がいました。必死になって夢の中でもヒーリングしていました。
「??何でまだ、こんな夢を見るのかしら??」
そう思ったのですが、
私の中で、母がガンで亡くなるその瞬間が、そのままストップしているんだって、分かりました。
私の体の中のある部位は、あの時から時間が進んでいなかったのです。
今朝は亡くなった父を思い出しました。
母がなくなる1年前に、父は肝硬変から肝不全を起こして亡くなりました。
その時、すでに母はガンで同じ病院に入院中でした。
父は長年の不摂生から肝硬変を引き起こしていたのですが、母のガンのショックだったんでしょうね。
あれよあれよ、、という間に、先にあっちに逝っちゃったんです。
大好きな父でした。私は随分可愛がってもらいましたから、本当に辛かったです。でも、母のことを思うと、、その悲しみに浸ることができませんでした。
父の葬儀の前日、私は父のことを親類のおばさんたちに任せて、母の事だけ考えていました。
父の死のショックで母まで病気が悪化したら、、、それが心のそこから恐怖だったのです。
「葬儀に参加したい」と泣いて言う母を、無理やり病院に連れて行きました。
「長年連れ添ったお父さんを、何でお母さんは見送れないの、」そう言って嘆いていましたが、
結局、私たちのことを案じて黙って、病院にもどってくれました。
私も母も、父へのお別れが全然できていませんでした。
それが、今朝になって、、、急に湧き上がってきたんです。
「大好きだったお父さんに、最後にちゃんとお礼が言いたかった。今までありがとう、って言いたかった。」
ただ、ただ、母を守りたい一身で、私は父への思いをすべて内側に封印してしまいました。
悲しさや寂しさは、ここ数年で随分解放したのですが、、
まだ感謝の気持ちだけは、十分に表現されずに残っていたようでした。
父へも、母へも、まだまだ言い切れていなかった言葉の数々、感情の数々がありました。
「ありがとう、ありがとう。本当に長い間、いっぱい愛してくれて、育ててくれて、本当にありがとう。」
その思いにつながるとボロボロ涙が出てきて、そのうちハートがあったかくなってきました。
過去に封印してしまった感情は、その後の人生でも同じようなことを招きます。
私は、その後の人生でも、感謝する気持ちがストレートに出てきませんでした。どんなラッキーなことがおきても、完全に喜んでいない自分を感じていました。
めいっぱい、心いっぱい、歓喜のごとく感謝することが、なぜかできなかったのです。
もし、両親との最後の別れの時に十分に感謝できていない人がいたら、一度チェックしてみてください。
その後の人生での自分を、です。私と同じようになったいたら、、要注意!
やっぱね、悲しいときには大いに悲しみ、つらい時には大声で泣く!これが一番ね!!
私が住んでいるアパートの裏にマンゴの木があります。
昨日見にいったら、、「わおおおおお~」
こんなにたわわに生っていました。何と、マンゴが重過ぎて枝がしなってます。
木って、スゴイですよね。
どんなことがあっても、ちゃんと実をつけて、
例え枝を折られても、新しい芽がちゃんと芽吹いて来るんですものね。