生と死、誰でもこの2つを通ってこの世に存在するわけですが、
「生」は喜び、「死」は悲しみ、として、通常は受け取られています、が、スピリチュアル的に言うと、逆なんです。
「生」は苦しみの始まり、「死」はこの世を終えた祝福、お祝い、として考えられます。
今でも、ある宗教では、人が亡くなるとお祝いをするそうです。
私も、何度も何度も、死の意味を学んできました。
死後の世界は、光に包まれた美しい世界で、至福であり、自由です。
亡くなった人は、この領域に行かれます。死はすばらしい儀式であり、祝福だと、、よく理解していたはずです。
今朝のことです。
「はて?私は、父と母の死を本当にお祝いしているだろうか?」ふと、そう思ったんです。
「いやや、、してない、してないよ!まだ心のどっかで悲しんでいるし、両親に会いたい、会いたい、って泣いている子が心の中にいる、いる、、うそ~~」
そう、私は両親の死を全然祝福できていなかったんです。
「お父さん、お母さん、死んでよかったね!」って、心からお祝いできていなかったんです。
まだまだ、「死なないで、、、行かないで、、」って、さみしがっている子が、心の中にいたんです。
祖先解放ワークにも何度も参加し、毎日毎日、祖先にも「ここはもうあなた方のいる場所ではありません。光の世界へどうぞ行ってください」と、お祈りしていながら、、、
心の奥では、「さみしいよ、逝かないで、、、」って、、引き止めていたわけです。
死は、祝福だと分かっていながら、無意識ではさみしい、さみしいと悲しんでいたわけですね。
亡くなった人が完全に光の世界に、それもサティアローカ(光の最天上)に行くことができるためには、
何年経とうが、時間だけではダメなんです。
私の両親は、なくなって15年以上たちます。それでも、まだ心の奥深くに悲しみがあったんです。
どうぞ、亡くなった家族に対して、その死に対して、心から祝福し、おめでとうと言えるかどうか、
自分に聞いてみてください。
何かが残っているなら、、まだ死んだ人も引きずられています。
その感情を無視しないで下さい。無理に消そうともしないで下さい。
私は、このことに気が付き、、やっと心から両親の死を祝福できました。
「おめでとう、おめでとう!良かったね!」「バンザイ!バンザイ、バンザイ」万歳三唱です。
そして、胸の奥からたくさんのチャージが流れ出てきました。涙と共に、たくさんの古いエネルギー、感情が流れ出しました。
ハッと気が付けば、今日はお彼岸の入り、、、これも不思議なものですね。
おはぎをお供えしました。