長いことハワイに住んでいながら、、初めて訪れたハワイ日本文化センターギャラリー。
日系移民の歴史と精神を学んできました。
1868年、私が生まれる100年近く前、日本から153名の移民が到着しました。
その後、ハワイと日本の間に移民条約が結ばれ、計218,000人もの日本人が移民として渡ってきたのです。
その血筋が、日系2世、3世、4世として、今のハワイを作り上げたわけです。
移民の人々は、主にパイナップル畑、サトウキビ工場で重労働を長時間強いられましたが、
その給金は日本でえられる金額の数倍で、彼らは必死に働き祖国の家族に仕送りしたそうです。
「余りの暑さに、私はおかしくなりそうだ」
これは、サトウキビ工場で働いていた人の言葉でした。1日12時間、冷房もなく、蒸気にまみれた工場での労働の厳しさを語っています。
当時は写真花嫁と言って、すでに移民として渡った人の嫁になるために、ハワイへ渡ってきた女性たちも多くいました。もちろん期待通りの男性とは、、、おそらく言えなかったと思いますが、
だからといって引き返すこともできず、その運命を受け入れ必死に生きてきた女性たちのたくましさを
改めて感じ入りました。
ギャラリーの入り口には、何本もの石柱がおいてあり、その一本一本に文字が刻まれていました。
「孝行」「恩」「我慢」「頑張り」「仕方がない」「感謝」「忠義」「責任」「恥」「犠牲」「名誉」「義理」「誇り」
当時の人々の精神です。
中でも、「仕方がない」、この言葉がとても印象的でした。
すべてを「仕方がない」として受け入れ、そこから一生懸命生きていく姿です。
決してあきらめることなく、前を向いて生きていった人々が想像されます。
今の私たちには、「仕方がない」という言葉は、イコール、諦めに捉えがちですが、
この言葉の本当の意味は、むしろポジティブだったのではないかと思うのです。
過酷な労働を受け入れ、好きでもない人と結婚し、差別も受け、それでも移民たちは生きてきたんです。
きっと私たちには、そういう力が残っているんだと思います。
発揮できないだけで、潜在能力として、素晴らしい力があると思います。確かに、3.11の大災害では日本人の素晴らしい力が発揮されましたもの、ね。
でも、切羽詰ったギリギリの環境で発揮されるだけ、というのは、、、もったいないような気も、、、します。
これ、昔の日系社会を再現した町並みなのですが、今と余り変っていないかも?
こんなようなレトロなお店は、未だいっぱいあります。
ハワイのお越しの際は、是非お出かけ下さい。