キリストの愛です | きれいで美味しい私のビューティフルライフ

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先日来の奇妙な事件、送信者不明のテキストや食パン事件が、、ディバインではなく、

おそらくムスメの仕業、、、と何となく分かってきました。

友達からも、「ティーンエイジャーはウソをつくのが当たり前」と言われ、、、それでも収まらない胸のうち!

「くそ!また、だまされた!!信じた私がバカだった!!」と、出て来ます。


でも、思春期は自我の目覚め、自我はうそつきです。

だから、思春期の子供がウソをつくのはやはり仕方のないことで、それを納得できないのは、私の心の傷なんですよね。

そう思って、、感情を味わっていると、、、でてくる、でてくる、、いろんなダマサレタ人の声!

「保証人になったばかりに、、、」「金返せ、、、」「愛してるって言ってたのに、、、」

いろんなインナーチャイルドがわめいていました。


友人がイタリアのアッシジにあるセントフランシスコ教会で買ってきてくれたロザリオ。

昨日お土産にくれました。

それを見ていたら、、、じわ~っと暖かいものが胸の中に、、、。

そう、キリストのエネルギーが私の中に入ってきたんです。

大きな十字架を背負って処刑場に向かって歩いていく、キリストの姿が浮かびました。

人々の苦しみ(罪)を背負い、罪人として処刑されたキリスト、しかし、キリストは至福の中で死んでいった気がしました。それも自分が望んだこと、人々の身代わりとしてわが身を捧げることは、もはや苦しみではなかったと、、、。

キリストが至福の中、その命を捧げた、、そう思いました。





私の解放も、、ずいぶん長いこと続いています。

心の中では、もうそろそろ終わるだろう、、そう期待しています。

そして果てしなく続くプロセスに嫌気がさしたり、悲しくなったり、、。

でも、そうじゃなかったんですね。

これが私にとって完璧な状態、本当に完璧だって、初めて思えました。

どんなにブロッケージやチャージがあろうと、毎日が苦しみの解放であろうと、それをしたくて存在する私には、今が完璧なんだと分かりました。


私も完璧、あなたも完璧、すべては完璧です。

ただ、あれが良い、これが悪いとジャッジしているラベルをはがせばいいんだって、思います。

自分が完璧だって気が付くと、、不思議と今このときに留まれるみたいです。

今を生きるって、何者かになろうとするときにできないことなんですね。