1月31日は『愛妻の日』なのだそう。

夕方のニュース番組では道行く女性に

「愛妻家とはどんな男性だと思いますか?」

とインタビューする映像。

夕飯の支度をしながら横目に入れる私。

 

抽象的な「こんな人」だけでなく、時折具体的なエピソードも紹介される。

年配の女性が数年前に亡くした夫について語ったり、

10代後半の女性が自分の父親の姿から理想の夫・父像について語ったりしていた。

 

 

 

我が夫は愛妻家か?と振り返れば

世間的に「あの人は愛妻家だね!」と言われるようなタイプではないと思う。

 

例えば記念日を欠かさないとか、子煩悩で妻の一人時間を作ることにストレスがないだとか…

そんな柔らかい雰囲気のエピソードはそうない。

 

そうそう、以前何かの映像で

「どこにいても迎えに来てくれる」とか

「自己決定や挑戦を応援してくれる」とかそんな手放しの優しいエピソードに

「愛されてるねー!!」というコメントが飛び交うのを目にして、

「なるほどぉ…そういう行動をとる男性もいるのか…そしてそれが“愛”と評価されるのか…」

と妙に感心したこともある。

感心した、というのは私にとってはそういった経験がないので発想すらしたことがなく、驚きに近い感情だったから。

 

 






最近思う。

我が夫の“愛”とは“誠実さ”なのだと。

彼には嘘がない。

彼の経験と理解に基づく主義主張がある。

ただそれだけ。

だからけっこう耳の痛いことも言われるし、なんならこちらの話を聞いてくれないと感じることも多々あるし、共感が足りない!!!!!もっと寄り添ってよ!!!!!と声を大にしたいこともたくさんあった。

でも今になって思うのは、声を大にして伝えたいと私が思ったことは、「なんだか自分勝手だったなぁ」なのだ。

 

「私が」「私が」

「わかってほしい」「わかってくれない」

と思っているときって、頭に血が上っていて、近視眼的なのだ。

今もしくは少しばかり先の自分の感情に焦点が当たりすぎていて、数年後・数十年後、老いた先の自分たちが夫婦としてどうなりたいのか・どうありたいのか、ということは私の視界に入っていない。

だから本心から言いたいことを言っているつもりでも、本質を突かない。

誰かの役立ちそうな知見も、ネットの一般論も、夫婦の関係に答えを出すことはできない。答えは自分と相手で作るしかないのだから。それもちょっと話すくらいじゃ答えにならない。

 



 

結婚する前の私に尋ねたい。

あなたはどんな夫婦になりたいの?そのためにどんな行動をするの?夫婦で大切にしたい価値観ってなに?

 

夫とたくさんのエピソードを共有してきたけれど、私は夫のことを断片的にしか知らなかったなぁと思う、結婚8年目。

 

 

 




 

我が夫は十分に愛妻家だ。筋が通っている。

そんな夫には特別な『愛妻の日』は必要ないと思う。


一方、おろおろして勝手に悩んでばかりの自己中心的な私は愛“夫”家だと胸を張ることができない。

 

結婚してからも両目で相手をよく見て、向かい合うばかりでなく横並びで歩み続け、日々あらゆる話をする。そんな愛“夫”家になっていきたくて。

1月31日は、私のための日。

毎日を『愛“夫”の日』にしたいと、思ったのだった。

望月順子先生の著書「美意識の育て方」に感銘を受けて集うようになった「美意識を育てる会」。

第6回の今回は6名の参加にて開催しました!

会のいろいろはどこかに書きたいのですが…

刺激的だった今日の気持ちのままに、会で皆さんとお話したことで着想を得た内容を書いていきたいと思います。

 

 「美意識の育て方」

 



 

美意識を育てる会は、いつも「ちょうどいいサイズ」だ。

まるで自分用に仕立てた服を着ているみたいに、腕を伸ばしても肩周りが窮屈に感じることはないし、バストが余ったり、裾が長すぎることもない。

誰かの顔色を伺うことや背伸びする必要がなくて、自然に自己開示できて、感じたまま表現することで新しい発見やお互いの喜びがある。

 

 



 

ある作品のレビューでこんな内容を見つけた。

「出産育児を経験したいと思ったことがなく、『子育てが大変で』と聞くと『産んだのはあなたなのに』と思う。

独身時代を振り返って後悔したり、自分が親で子どもは幸せなのかと思い悩んだりしたくない。

でも高齢になってから子どものいない生活を後悔したくはないので、『出産育児をしたい』と単純に想える人が羨ましい。

女って生き辛い」

 

あぁこれ、最後に出てくる主語は“女”でいいのかな?と思って、読み進める手が止まる。

この書き手の言いたかったことは“私って生き辛い”だったはずなのに、最後はどうして“女”にしたんだろう。

 

主語が大きくなりすぎると、そこにある気持ちや、広がるはずだった共感がぼやけてしまうように私は思ったのだ。

 

 

 



 

 

「美意識を育てる会」の根底にあるのは、共感だ。

“女”ってエレガントな服が好き

では実態が見えなくて

“私”ってエレガントな服が好き

だと少し表情が見えてくる。

 

もっと踏み込むと

私って“シルエットが美しくて、自分に合うラインや丈で、生地が上質で、柄や装飾の印象が強くなくて、ホテルやレストランや高級ブランドのショップでも気後れせず自信が持てて、でもやりすぎていなくてオフィスでもご近所でも着れそうな”エレガントな服が好き

だと情報量が多い分、該当する服が絞られてくる。

そして共感できる人にはその気持ちが届く。

 



 

 

私たち一人ひとりは、画数の多い漢字みたいなものなのかもしれない。

“女”だけではそのものを適切に表現できなくて

“女”に“臣”で“姫”になり

“女”に“宀”と“夗”で“婉”になり

“女”に“口”と“一”と“八”で“娯”になるみたいに、自分を表現する要素を少し増やすと、意味が変わってくる。

 

そして、漢字が並んで熟語になるように、隣同士になるには誰とでもいい訳ではない。

並んで気持ちを共にできる人と時を過ごす。

 



美意識を育てる会は、私にとって共感が下地にある場だ。

“マグノリアコレクションの”エレガントな服が好き

という共感が、服だけではなく、周りの人への接し方や立ち振る舞い、選ぶ言葉、仕事での在り方、子育ての軸にしたいこと、幸せといったあらゆるもの・ことに波及していて、信頼のもとで会話が成立する。

 

マグノリアコレクションという、なりたい私を表現する服を着たら、「ちょうどいいサイズ」の居場所に出会えた。

それは主語が“私”の、快適な等身大なのだった。

「ブログ書きたい脳」のスイッチをちょっと切り替えて、目標に向かって書く脳をお試し中。

年始に夫と共有の『今年の目標』を定めた。

こんなのって結婚して初めて。

 

なので「ブログ書きたい脳」の仕組みは大切にしつつ、ちょっと違うところにアウトプットを増やしています。

結局「書く」ことで「形」にしていきたい今年の私。

 

 

 



 

 

 

 

ユーモアのある人になりたい…という、漠然とした憧れがある。

でも、どんな人が「ユーモア」のある人なのか、モデルもいなければ引き出しもない。

そんな私が最近ふと思い出すのは、ある日の義父。

 

ちびは2歳頃から好き嫌いが増え、食事にとても時間がかかるようになった。

今の私なら2歳の子どもが立ち上がらずに自分で好きな量を食べているだけでハナマル~!!って言いそうだし、2歳児が食事に集中できないなんてあるあるだし、好き嫌い出てきたのも味覚が発達したんだね、自己主張できるのいいね…とでも言うのだけど

その頃の私と夫って今より一層真面目で(ん?)

まぁ特に夫は傍目から見ても厳しかった。

 

次第に私たちも親としての経験値を身に着けて態度を変えてはいくものの、ちびは今でも食が細い方で、態度も消極的だ。どちらかといえば周囲の会話に注意が向いて、「それってどういうこと?」とばかり言っている。

 

 

 

 

義実家で夕飯を頂いていたある時、ゆっくーりと食べるちびを見て義父が笑いながらこう言った。

「ちびくんはフランス人みたいだなぁ」

 

フランスでは、食事は会話を楽しみながらゆっくり食べる…という知識を元にした義父の言葉。

(Microsoft搭載のAI Bingさん曰く、フランス人のランチは1~1.5時間、夕食は2時間だそうだけど、現代のフランスでもそうなのかは果たして。)

 

それを聞いて、ちびの顔はぱっと明るくなった。

 

どこに価値を置くのかで、心持ちは変わるのだ。

好き嫌いなく、集中して、周りと同じスピード感で…と思うと「しっかり食べなさい」だが、ちび自身に焦点を当てると「食事時に会話を楽しんでいるんだね」となるのかもしれない。

そうか、ユーモアってfunnyだけじゃなくinterestingもなのか。

ちびに焦点を当てることで私の発想の選択肢が増えたら、ももっとユーモアを持って接することができるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

ちびとの今日の夕飯は、やっぱり好き嫌いや集中力のなさや時間がかかりすぎることに私の注意が向いてしまって、食後に家族会議をした。

 

食事についてちびは

「父ちゃんと母ちゃんと、どれ食べるか話しながら食べたい」

と言う。

夫は

「自己決定する力が養われないのでは?」

と述べたが、

「何で遊ぶか迷わないのと同じように、食べ物にも興味が増えたり経験値が増えたら、自分で決めれるんじゃない?」

と私。

 

ちびは「明日のごはん楽しみ」と言いながらベッドに横になった。かわいいやつめ。

 

目指すはinterestingな食卓。

2歳頃のちびはお片付けが得意だった。

 

「おっかた~づけ~、おっかた~づけ~

 さぁさぁみーなさん、おっかた~づけ~」

と歌を口ずさみながら開始し、

おもちゃ箱を生き物に見立てて

「食べさせてーって言って!」

と私にリクエストしては、ブロック類なんかを入れてくれた。

それがいつからか、部屋中におもちゃを広げて、まるで蝶が花から花へと移るみたいに次々と遊ぶようになった。

 

生き物と図鑑、絵を描くこと、工作をすることが好きなちびは「もっとリアルに!」と言わんばかりに図鑑を広げたりフィギュアを並べたりしながら自分なりの制作物を生み出す。

そのうちにフィギュアを使ったごっこ遊びで空想の世界を広げ、そうかと思えば部屋中のクッションをかき集めて秘密基地を作り、その中にブロックと本とぬいぐるみをしまい込む。

そうこうしているともーちゃんがお客さんとして来訪しおままごとになる…という具合だ。

 

宇宙空間で次々と爆発現象が起こっているみたいに、彼の脳内でもアイデアが小さな爆発を起こし続けているのかもしれない。

 

 



 

という訳で最近は

「食事の前と出かける前と就寝前は片付けませんか…その方が気持ちよかったり、物を汚したり無くしたりしないのではありませんか…」

という内容の“問いかけ”やら"申し出"になっている。

 

本当は「1つ出したら、1つお片付け」というような家庭内の決まりを作って徹底してもよかったのかもしれない。

「1つ出したら、1つお片付け」をすることによって、自制心が育まれるのではないかという思いもあった。

親としてそこに注力した時期もあった。でも、徐々に私ができなくなった。

だって3~4歳くらいの子どもって、親は言おうと思えばあらゆる場面で口出しできちゃうのだ。

危ないよ、こぼすよ、じぶんでできる?汚いよ

それはこっちだよ、ほら離して…またお腹が出てる

もっと静かにして、トイレは大丈夫?

食べながらしゃべらないで、集中して、残さないで

もう準備しないと間に合わないよ…

そんな具合に。

 

日常生活動作や習慣の獲得をしていく時期ではある。

でも、3~4歳児だって頑張っているのだ。

それなのに課題めいた提案がなくならず、あーだこーだ言われ続ける家庭って楽しいのだろうか。

要するに、私が彼にとって必要なことをきちんと選択できていなかったのだ。

 

「1つ出したら、1つお片付け」を徹底できなかったのは私の怠惰なのだけど、今思うとまぁ、これで良かったのかもしれない。

部屋いっぱいに散らかすちびはつい最近まで

「えぇ~こんなに出てるの全部片づけるのぉ~~~~~」

と文句を言っていたが、彼はそれでも出して出して出して遊ぶスタイルを変えることはなかった。

そうしてしこたま出したのちに、食事前には

「一個ずつ片づければいいんだもんね」

と言うようになった。

 





 

遊びのなかで、次々に発想を満たしたい欲求が湧き出て、時には彼のなかで繋がっている。

その瞬間のひらめき、わくわくする気持ち。

 

もちろん「1つ出したら、1つお片付け」でも、彼の好奇心を妨げることにはならなかったかもしれない。

でも、私たち親子にはこのスタイルで良かったと思うのだ。

ちびと過ごしてきて、彼のなかに年齢相応とおぼしき自制心が芽生えていることを知っている。

だから私は、彼の宇宙を妨げないことを選ぶ。そんな在り方を発見できた。

あけましておめでとうございます。

私のブログ、2024年も始まりました。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 





 

もうじき35歳になる。

30代になってからもう5年も経つらしい。

脳のどこかにまだ24歳くらいの私がいて、時々「なんかこんなんだったかなぁ」と首をかしげる。

 

ずっと、ファンデーションを塗ると肌が息苦しいような気がしていた。

「メイク崩れ」ってなんのことか分からなかった。

小鼻の赤みや乾燥に悩むことはあってもさほど深刻ではなかった。

目元のケアを予防的にやったりもしたけれど、効果を感じるよりも摩擦が気になってやめた。

 

ところが33歳くらいで、頬にシミを発見した。

そのうちTゾーンの皮脂の分泌が変わってきて、テカるようになってきた。

気付けば頬に毛穴のたるみがあって、34歳でファンデーションを乗せた方がきれいな肌になると分かった。かつて感じた息苦しさなどなかった。

 

ある朝メイクをしながら「やたらと顔が大きい」と思った。

人差し指でエラの後ろの皮膚を「くっ」と耳たぶの付け根に引き上げたら、フェイスラインがすっきりして「これがフェイスラインのもたつきってやつか…」と理解した。

 

なんとなく下り坂を感じる年齢になってきたのだ。

誰しもが通る道である。何度も耳にしてきた“お悩み”。

とうとうそれが私のものになった。

ただそれだけのこと。

なのに、なぜこんなに急に訪れたような気分になるのか。なぜ、どこか他人事だったのだろうか。

 

 

 

 

 



 

令和6年能登半島地震。

私の生まれ育ったところ。


 

昨年5月のゴールデンウイークに帰省した際にも、最大震度6強の地震があった。

実家では震度4だったが、古い家屋の建具はガタガタを激しい音を立てて、子どもたちは不安に怯えた。グラスが2つ、落ちて割れた。

 

今はグラス2つどころではなくなった。

津波や火災の影響を受けた場所はまるで戦後のようだ。

地元は未だに停電し、断水し、道路は寸断されている。普段2時間かかる道のりが、渋滞もあって7時間かかったと聞いた。

一人暮らしをしていた要支援状態の祖母は避難所生活だ。

現地の声が知りたいと情報を探すと、仮設住宅の目途も立たないどころか物資の不足が叫ばれている。

 

 


能登はここ数年、小規模な地震が頻発していた。

地元の自治体はどんな風に備えてきただろうか。


両親は言う。

「私たちは何とかなってる。田舎で畑があったから、食べ物もあるし、もしもの時のために石油ストーブもあった。

旧式のトイレや地下水が汲める家だって残っている。

文化的で快適な生活を送ってる都会の人の方が、きっと辛いよ」

 

“都会の人”とは私のことだ。

 

私はゴールデンウイークで経験した震度4をどこまで深刻に捉えただろうか。危険を回避するための行動は十分だっただろうか。

 

それからこれまでの34年間で、幾度となく地震や大雨などの自然災害で苦しむ人を目にしてきたはずだ。

3.11では被害の一部を体験し、危機に怯えたり誰かを励ましたりもしたはず。

あらゆる場面で、辛い思いを経験した方が発信を続けている。

そうした事実を、私は自分事として咀嚼し、どれだけの行動に繋げただろうか。

 

大人になって、世の中の情報との接点が増えて、責任が増えて…

水が染み込むようにして少しずつ行動を変えるに至ったが、それでは足りないと突き付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

生きる上で起こると言われる全ての危機を回避することはできなくても、

「どんな風に生きたいか」「どうしたいか」

考えることはできる。

 

“それ”はある日突然やってくるのではない。

じわじわと予兆があって、逃さず自分事にできた人は行動している。

 

 

「人生100年時代かぁ」

なんて思っていたけれど、本当に100年生きるつもりならまずその身を守らなくてはならない。

今ある平穏は永久のものではない。

子育ても、仕事も、老後も、あらゆる自己表現も、生きてこそ叶う未来なのだから。

 

後悔しない生き方を選ぶこと。

それもまた私にとっての美意識。

今月は防災対策を見直して、家族と心をひとつにします。