いつも以上に書き出しに悩む。

 




2023年は、自分の良い面も悪い面もよく見えた1年だったように思う。

 

東京から名古屋に引っ越したのが2020年の秋。

転居に伴い、天職だと思った仕事を辞めて、家庭を中心とした限られた人間関係のなかで自分の存在意義が分からなくなった2021年。

そうこうしているうちにもーちゃんの妊娠が判り、肉体的な制限から様々な理想を「捨」てたことで癒され、収まりが良くなった私。家庭に目が向いていた。

(おっと、「ヒロインの旅」は最後まで読めていない)

 

そして生活に適応して新たな人間関係を構築したり、改めて「繋」がっているご縁に刺激をもらったりして過ごした2022年。

新しい目標を抱いたりして、気持ちが外に向いた年だった。

 

2023年も外に目を向けて走っていたけれど、再度家庭に目を向けざるを得なくなった。

要領が悪い?

ううん、そうではなくて、私が「家族」という集団の在り方を見直す必要があったのだ。

 

 

 

 

 

看護学校の1年生は、看護における共通の概念を学ぶ。

例えば「家族」もその一つ。

家族機能とは何か。どのような状態や関係を家族と呼ぶのか。

 

私にとっての家族って一体なんなのか。

親族関係にあり、寝食を共にし、物理的・情緒的・経済的に共有している存在…?

そりゃそうなんだけれど、もっとぎゅっと目を凝らしたときに、私と夫とでは望んでいる家族の形が違う、ということが明らかになった。

 

それはここ何年か漠然と抱いていた疑問と合致した。

「仕事はチームでするのが好きだ。なのに家族とだけで過ごすと時々気詰まりになるのはなぜなんだろう」

 

その答えは、

私のなかで家族はチームではなかったから。

 

 

 

夫は内心とても、チームであることを望んでいた。

私はそのメッセージが分からなくて「ケンカしても関係は修復されているし問題ない」くらいに思っていた。夫にとっては溝は深まるばかりだったのだろう。

 

今年の夏、私が資格試験のために大幅にリソースを割いた。

目線がぐっと家庭から外れていた。

家庭を乱さないつもりではいたけれど、心身ともにストレス過多で家族への配慮が欠けているところに一家でコロナに罹患して、ついにダムが決壊してしまった。

流れたものは水だったのか、膿だったのか。

 

 

 

 

自分を見つめて、夫のことを見つめ直して、夫の築きたかった家庭を想像して、改めて「家族」について考えた。

私はどうしたいんだろう、どうなりたいんだろう。

また新しい水が注がれ始めている。

 

 



毎年12月に行く伊勢、今年は反省の意を込めて夫婦岩へ。

 



家族という最小単位の集団は、鏡のような関係だ。

誰かの情緒が誰かに影響を与えている。

夫と手を取り合って同じ方向を見たい私。その気持ちを表現するのなら、夫から見える私は、どんな風に夫を見つめる鏡なのか。

ハッピーでラッキーで、穏やかでユーモラスで、あらゆる考えを共有できて存在が尊重されている。そんな鏡になれたらお互いどんなに幸せだろう。

 

2024年はきっと大切な年になる。私が自分でそう決めて、そうしていく。

冬休みに入ったちびが朝起きるなり嬉しそうに

「ねぇ、今日なにする!?」

と聞いてくるので、私はメモを見ながら

「えっとねぇ、倉庫の掃除とぉ

 本棚の整理とぉ

 カウンターの上の掃除と~

 来年のカレンダー買ってぇ

 新年のお花買いに行くかなぁ」

などと答える。

 

そんなやりとりが2日も続くと

「えぇ~また掃除するのぉー!?」

と。出た出た、ちびの心底うんざりした顔。

 

「そうだよー、忘れちゃったかもしれないけど、

 年末ってそういうものなんだよ。

 きれいにして、新しい年の神様をお迎えするの」

と伝えると、既に私に背を向けたちびからは

「はぁあーい」

と、諦め交じりの声が返ってきた。

 

文句を言いながらも一応承知してくれるところがカワイイ4歳児。

ありがとうありがとう。

 

 

 

 

大掃除1日目の窓とベランダ掃除は、物珍しさもあってか乗り気だった。

やる気があるうちが華!とばかりに、普段は窓用洗剤とクロスで拭き取るところを重曹入りのスプレーとスポンジとスクイージーにする。

ベランダ掃除も本人用のじょうろに水を入れ、デッキブラシをお望みの通りに。

案の定「僕やる僕やるぅぅぅぅぅ」とやかましい。本人のやる気を削がないように注意を払う。

埃やチリで汚れた真っ黒な水がベランダの溝を流れていくのを見て、ちびが驚いている。

私の胸がすっとする。



 

大掃除2日目も、ちびはなんだかんだと言いながら自分のおもちゃの棚を整理した。

彼が豊かな発想で生み出した絵や工作は、大切な数点を残してあとは分別して資源ごみへ。

私も家の中を整理整頓して回り、年内最後の燃えるごみの日に備えた。

 

 

 

 

 


 

今月はブログを4日連続で書いてみた。

意気込んだ訳ではなく、単純に

「あ、これ書くネタになりそう」

と思ったら、それを忘れないうちにLINEにメモしておく…

という行動を始めただけ。

 

たったそれだけなのに

「あ、これとこれ繋がるな」

という事柄が増えて、連日記事を書くに至った。

 

 

2018年4月にアメブロを始めて、不定期に記事を書いてきた。

おおよそ月4件も書けばいいところ。

それがメモさえあればもっと書けるということが体感で分かってきた。

 

 

でも、「書く」ことは単なる手段だ。

元々自分の内面の整理や俯瞰をしたくて始めたブログ。

書くことで人生の何が変わるのか分からない。

ただ、書けば楽しい。

書いているときは悩んでいても書き終えれば爽快で、結論は「あぁ~書けて良かった!楽しかった!」になる。

ストレングスファインダーにおいて「最上志向で効率よく、アレンジで合理的に」といった上位資質を持つ私が、いつ何に繋がっていくか分からないものを楽しんでいる。

 

最近は更に、読んだ感想をいただけることまで増えてきた。狭い狭い自分の心の内を書いたことが、誰かに届いている。そんな奇跡みたいなことってあるだろうか。

 

「書く」ことが私にとって、捨てられない何かになってきた。

 

そんなことを大掃除をしながら考えていた。

 

 

 

 

年末の大掃除

 

 

 

 

 

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料理がおいしい!と思うときって、どんな時だろうか。

 

気心知れた人と食べているとき?

ちょうどいい塩梅の味付けや火の通り方?

好きな食材がたくさん?

洗練された空間で、丁寧な接客で出てくる?

きっとどれもおいしい!に繋がるだろう。

 

では、「想像力」はどうだろうか。

 

どこの国や地域で親しまれる料理で、

日頃はどのように食されているのか。

 

この食材はどんな環境で育ち、

どのようにして捕獲され、

どんな場所でどんな丹念な下処理を施され

この場にたどり着いたのか。

皿に乗るまでに、どのような工夫でもって調理され

自分の目の前にたどり着いたのか。

 

過程が想像できればできるほど、料理への期待感が増したり、希少性を感じて感激したり、食材や労力を惜しまず関わった人たちへの感謝の気持ちが生まれたりする。

もちろん、目の前にお皿が来てからこんなに詳細に説明されれば料理は冷めてしまう。どうしたって私は、料理が持っている情報量のほんの一部しか知らないのだろう。

 

 

説明されれば分かる。

説明されなければ分からない。

ある意味で「想像力の欠如」なのかもしれない。

野暮なのかもしれない。

 

 

ただ残念ながら私の想像力はそう豊かではなくて、少しでも説明があると光景が広がるきっかけになり、一層料理がおいしくありがたく感じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンス ダンス ダンスールは、私にとっては丁寧な料理の説明みたいなものだ。

 

最近の私は毎日この漫画に泣かされている。
バレエを題材にした少年マンガ。
既刊27巻、現在も連載中。
 
何が楽しいかって、バレエ歴わずか2年の主人公の快進撃が気持ちいい…とかではない。
主人公含め、優秀なバレエダンサー達が役を降ろす過程を描く情報量が恐ろしく多いのだ。
 
役になりきる、ではなく、役を降ろす。
役の抱える時代背景、立場、人間関係、感情の移り変わりといった「生涯」を表現するために、自分の体験と役をリンクさせながら、実感を持った解釈・表現でもって役として踊れるようになっていく。
それが主人公はじめ、登場する若きバレエダンサーの成長過程であったりもする。
 
だからバレエの知識がゼロに等しい私でも、役の生涯に心を打たれて堪らなくなり、主人公たちの心が揺さぶられる様に共感して、のめり込んでしまう。
故にウェブで毎日数話ずつ、細切れで読んでいても、毎度胸を鷲掴みにされたり、愛でもって頬をひっぱたかれたりする思いで読んでしまうのだ。
 
主人公は「これぞ」という瞬間を体験すると、「光が爆ぜる」と表現する。
私の目の前までチカチカするようになってしまった。ダンスって、芸術って、こんなにも愛して良いものなんだ。
 
 
毎年クリスマスシーズンに引っ張り出される秘蔵っ子。

 
 
 
 
 
 
作中でこれだけ役について、そして作品について語られれば、もちろんバレエの舞台だって楽しめるに違いない。
 
あぁ、来年は生の舞台を見に行きたい…!
 
何の脈絡もなく私は口走り、それを聞いた夫はぽかんとしていた。

やだなぁ、「食べるために釣りたい!」って熱心に生態から活け〆の方法まで何もかも情報を求めるようなあなたなら、きっと分かるはずでしょ。

 
知人がこの記事を紹介されていたので、思うことをつらつら書いてみます。
最近何かで、「言葉や表現が伝わるのはその前に文化を共有しているからだ」みたいなことを読んだ?見た?覚えがあるぞ…と、思い出しました。
 
 



 
4歳11ヶ月のちびとの、先日のやりとりです。
「今日は園でクリスマスパーティーだよ。プレゼント交換するよ!」
と伝えたら、昨年の経験はすっぽり忘れていたようで
 
・「プレゼント?
 なんでお母さんが準備したのに
 僕もらえないの?」
 (普段は交換の概念はわかっている。
  プレゼントの概念と交換が結びつかない)
 
・あなたのプレゼントはお友達に渡って、
 誰か別のお友達が持ってきたプレゼントを
 あなたがもらうんだよ。
 あなたももらえるよ!
 と説明すると
 「やだ!こわい!こわい!ぼく今日行かない」
 (不安感が最近体験したお化け屋敷を想起させ
 怯える。
 お友達が持ってきたプレゼント、という部分は
 おそらく十分に聞こえていない)
 
といった言動がありました。
おもしろいな~と思いつつ、きっと子どもたちが好きなプレゼントが入ってると思うよ、パーティーは楽しそう?プレゼント交換がどうしても嫌なら見学でもいいんじゃない?などと話し、彼は登園することにしました。
もちろん帰宅時は「楽しかった!」と言ってにこにこ。
ひとつ「プレゼント交換」の文化を共有できた日になりましたクリスマスツリーサンタ
 
 



 
 
以前に看護学生と関わったときも、「言葉の通じなさ」はよく感じました。
これも文化の違いです。
 
まずは異年齢。18~40代の男女。
うち半数は10代後半、30歳以上は約2割。
そして経験。東京都在住の40名の学生のうち、祖父母等が近距離に住んでおり身近に老いを実感する経験をしていた人数は3割を切り、近親者との死別体験を持つ学生はわずか1割でした。
看護師との経験の差は、想像に容易いでしょう。
更には看護師特有の、記録における文章表現なんてものもあります。
 
教員の仕事はそういった、学生が直面する文化の違いを把握し、様々な関係における「言葉の通じなさ」にアプローチすること。
知識を補うだけでなく、「言葉の通じなさ」に具体的にアプローチすると、彼らに明確に「言葉が届く」という体験をしてきました。学習がスムーズに進むということは、患者さんへの適切な看護介入に繋がります。
更には患者さんのお話された内容を読み解くきっかけを作ることにもなり、そういった側面からも、患者さんのニーズに合った看護介入に繋がるのです。
それから、看護師の誰が読んでも分かる看護師計画(一人の患者さんへのケアの計画書)に繋がりもします。
エラーも減ります。
 
簡単なことではありませんでしたが…

 

医療以外の職場においても、あらゆる指導や教育に携わって、似たような「言葉の通じなさ」にアプローチされた方がたくさんおられると想像します。

 

 
 
 


 
 
「行間が読めない」「具体性のない言葉がわからない」というのは発達特性の可能性があることも、昨今は耳にする機会が増えました。

 
日本的な行間や言葉の曖昧さは、文学的な側面から、私は好きだと感じることも多いです。
新しい流行語が生まれるように、誤用が一般的な意味合いに変化した言葉もあります。言葉は使わなければ廃れる反面、廃れることすらも文化だと思ったりします。
子どもには、あらゆる多様な表現に面白みや親しみを覚えてくれると嬉しいなと思っています。
 
そうした選択肢を持ちつつ、「伝わる」表現はユニバーサルデザインみたいなものかなって。
お互いを「伝える・伝わる」体験としては選択的に行動したいなと思う日々です。

「書く」という行為は不思議なものだ。

例えば感情や思ったことを書くと、妙にスッキリとする。

To Doリストを書くとやるべき行動が可視化されて優先度の把握もしやすくなり、脳のリソースが増えたように感じる。

 

「書く」とどこか客観視しやすくなるのだろう。

書く前は混沌としていても、書いて目で見てしまえば、書いたものと自分の内面との繋がりが細くなる。

 

反対に、「書く」ことで思い出しやすくなることもある。

私にとってブログ記事なんかはその側面があって、ちまちまと推敲することで反芻しているのだろう、妙に思い出しやすくなることもあるのだ。

 

どのみち私は結構忘れやすい方だし、(こう見えて)ポジティブな方だったりするので、こうした「書く」行為に助けられている。

 

 



 

 

 

 

最近、1歳10ヶ月のもーちゃんが、リビングに保管している書類やファイルを持ち出すようになってしまった。

保管場所を変えなければ…と思いながらファイルを開くと、そこには夏頃に行った家族会議の記録が残っていた。

 

それは大人げない私(34)と、ちび(4)が喧嘩をしたのちに行った会議の議事録。

一家でコロナに罹患し、家族みんな精神的に辛かったときのものだ。

子どもより親が重症で何もかもが行き届かず、レトルトの食事を出すだけで精一杯だった。おもちゃは出しっぱなし、家の中は荒れ放題、子ども同士の喧嘩も頻繁だった。

議事録には、ちびの言い分がしっかりと残っている。

 

 

「ぼくはもーちゃんに叩かれて痛かったから、エプロンかたづけるのをわすれた」

 

「叩かれて痛いと何で忘れるの?」

 

「わかんない」

 

「怒っちゃうと忘れるの?」

 

「うん」

 

「ちびが怒っちゃって忘れると、今度母ちゃんに注意されるよね?それってどう?」

 

「それはあんまりこわくない」

 

「直そうと思うの?」

 

「ううん。まぁべつに、ふつう」

 

「なんで?」

 

「ふつうだから。わかってることだから」

 

「どうしたら直そうと思うの?どうしたら、やろうと思ったことを最後までやるの?」

 

「え?それちびくんが決めることだよ。後でやるとか」

 

「自分で決めるから、母ちゃんは言わなくていいってこと?」

 

「そうしないと母ちゃん大変だから」

 

「じゃあ、母ちゃんが片付けしてほしいときはどうしたらいい」

 

「ちびくんが特別って思ったときはやってあげる」

 

「ちびくんは母ちゃんのこと助けようとしてくれてるのね」

 

「これはね、生態系だよ」

 

 

 

このとき弱っていた私でも、ちびと話しながら目が覚めるようだった。

ちびは主体的で彼なりに自分の考えを持っていて、家族というものを捉えているのに、私は彼を人間として尊重していなかったのだと突き付けられた。

 

 

忘れっぽい私でも、10年後も覚えていたいエピソードであり、反省していたい内容だ。

楽しい体験や笑顔の記憶ももちろんたくさん残したいけれど、家族ほど自分に課題を突き付けてくる相手はそういない。突き付けられた課題は忘れるより見つめて改善したい。

10年後に「私もこんな未熟だったわね」と苦笑いしつつも親として成長していれば、子どもたちは私を笑ってくれるだろうか?

それでも「ごめんなさい」と言える自分ではありたいけれど…。

 



 

ファイルを開くまで、こんなエピソードはすっかりと忘れていた。「書く」ことで自分との糸が細くなっていたのかもしれない。

もう一度、私は自分の記憶を塗り直すように記事にした。

 

1歳のもーちゃんが引っ張り出し、今日の私の目に留まったこのファイル。

クリスマスプレゼントをどうもありがとう。